日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

制度は常に更新されて今に至っています。

2017-05-30 06:42:52 | 社会問題
江戸期幕末の物語を読みながら、江戸期の制度を教えてもらっています。
身分社会であること、ルール第一で変革を嫌うことで貫かれていました。
お米が納税の基本ですから、米作地が何より貴重であり、畑作などは卑近な作物とみられていたようです。きっと、その名残が形を変えてコメ作農家保護につながっているのでしょうね。
殿様をみるお医者は偉い。だから庶民の医療にかかわるなんてもってのほか。最高級の医者は偉い殿様担当しているべき、という見解。
よくもまぁ、この150年ほどで制度が更新されてきた、と感慨深いです。
生活保護につながる民生委員の制度ができてから100年目と聞かされて、きっと100年前は公が扶助すべきという概念が芽生え始めだったのだろう思ったりします。

そして、国民皆保険制度といわれ、医療に関しては優等生の国だと思っています。
外国のいくつかの国では、患者が来ても医者が居留守を使い、治療費の心配がないとわかると、おもむろに奥から出てくる、という話も聞かないではありません。

年金についても、いちおう目指すところは国民皆年金なのでしょうか。
保険料を25年かけることによって初めて、年金給付にあずかれる仕組みを、近年10年と短縮しました。これまで受給者枠に入れなかった人たちも受けられることになります。
そして、これにはからくりがあります。第3号保険者という昭和61年4月1日から始まった制度です。給与所得者の妻で収入が一定枠以下の場合は、保険料を支払わなくても支払ったと扱われます。
それまでの制度では専業主婦で保険料納付していない人は無年金者になってしまうので、納めなくても納めたことにし、老齢年金は受け取れるのです。で、無年金になる人はぐっと減ります。

ところが、給与所得者でなく、給与所得者の妻でもない場合は、25年国民年金をかけて初めて自給資格が出るのです。
またからくりがあります。この25年ですが、国民年金の強制加入になる前については、カラ期間と言って、かけていなくてもかけていたとカウントします。金額加算はなく、期間25年のハードルをクリアできるように配慮されている。
だから、国民年金が頼りの人にとっては、生活を賄える金額ではありません。そう、生活保護費よりも低額です。

制度疲労しているのではないでしょうか。
保険料を支払わなくても支払った扱いにする仕組み
がんばって支払ってきても、生活保護費より低額

ベイシックインカムという言葉も耳にします。
一定の金額をすべての国民に毎月支払う、という仕組み。スイスでは月額20万円支払う(だったかな?)住民投票にまで行ったとか。
かつてより生産性が高まって、さらに仕事をAIに奪われる時代になろうとしています。
時代が絶えず変化しています。人の労働を機械が奪い続けて、頭脳までとってかわられようとしているのです。

で、思うことは、
国民年金程度については、納付することなしに支給する制度というのはどうでしょう。

給与所得者の老齢年金部分の負担金を無くします。
第3号保険者という層を作る必要がなくなります。
国民年金を管理し、未納者に督促するコストも省けます。

この金額を生活していける最低レベルの金額にするのです。
生活保護を受ける必要がなくなります。

生活保護受給者になりたくなくて、無理にがんばっている人も、生活保護関連の膨大な医療費も底なしではなくなるでしょう。

どうでしょう。

常に社会は変わっているから、制度はより公平な形に変更していったらいいと思うのですけれど。

困るのは、国民年金を管理する職場が不要になって、職を失う人たちでしょうか。
スッキリさせれば、もっとローコストで回っていくと思うのですけれどね。

地味な話でした。最後まで読んでくださったとしたら、ありがとうございます。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする