日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

旅の途中。

2017-05-24 20:42:53 | 私の雑感あれこれ
先週の金曜土曜に白馬へ一泊旅行。
バスは北陸道周りで信州に向かった。

その北陸道も新潟県に入ろうとするエリアに私の育った故郷がある。
素通りすることはないので、山側にある高速道路から町を見渡すことはめったにない体験でした。

整地された田園地帯と数万人が暮らす街が交互に展開する。
さぁ、私の故郷の街並みよ、と旅行仲間に案内しながら、車窓から眺める光景は特段珍しくもないのだけれど、建物に記憶があるから私には格別です。
めぼしい大きな建物は4つ。名前が大きく表示されている民間のM病院とB病院。そして公立病院と高齢者介護施設。
民間病院も実情は7割、もしくは9割が公からのお金が入っているのだから、結局は4つとも公共資金で運営されているようなものです。
これが企業誘致がない田舎の実態なのでしょう。

さて、M病院。私がこの町で暮らしていたころは、街中にあるM小児科医院でした。物心ついた時からの行きつけのお医者さんでした。
私が町を離れて大学進学することになり、下宿生活が決まったとき、このお医者さんから家庭教師先を探してもらいました。いきさつはぼんやりなのですが、私の進学する大学の医学部卒のお医者さんだったことから、その大学のある街で病院をやっていらっしゃる家庭の末娘さんの家庭教師を紹介してもらいました。
月1万円の仕送りと8000円の奨学金、そして家庭教師収入が月額4000円ぐらいでした。
家族にとっても、子供を大学に進学させて下宿生活させるのは初めてだったので、母が頼んでくれたのだと思います。
で、きっと頼まれたお医者さんはかつての同級生に声をかけ、頼まれたお医者さんは、それではと自分の末娘の家庭教師にと配慮してくださったのだと思います。特段家庭教師を必要とすることもない4人姉妹の末っ子、利発な女の子でした。

数年前の同窓会の時、その家庭教師先を車で通りました。当時も5階建てぐらいの病院でしたが、同じ名前の病院がありました。世代交代しているでしょうが、婿養子さんをとって引き継がれているようでした。

で、私の子供のころのお医者さん宅も娘二人だったので、こちらも婿養子さんで小児科から内科病院になっているようで、当然世代交代。

40年以上も前のささやかなエピソード、耳の遠くなった母と話題にすることもないだろうし、私だけのものです。うっふふ

宿泊ホテル




帰路のバスの中から一枚。何枚映しても電柱が入ってしまうんです。トホホ


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遅まきながら開花。

2017-05-24 20:28:54 | 庭 5月
不調の四季咲きバラたちが開花してきました。

クイーンエリザベスです。のっぽなバラでカメラをかざして写しています。


パパメイアンもようやく5月に間に合いました。深い赤が画像にはなかなか出ません。トホホ




レオナルドダビンチとクレマチスのピエネッタ





アンジェラをバックに手前のクリームイエローはマリリンモンロー


アンジェラ、マリリンモンロー、手前にイザベラルネッサンス










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