日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

懐かしい文章。

2018-06-09 07:37:31 | 子育ての周辺
本棚整理で、古い雑誌「○の友」が出てきた。
1985年6月号。
4月に転居して、まだご近所にも不慣れなころ。長子が幼稚園入園以来購読していた雑誌です。
転居後は購読はしていなかったのですが、なんとなく懐かしくて、投稿欄に文章を送ったのです。

以下、投稿文

    少年の自殺
「デパートの屋上から15歳の少年が飛び降り自殺」というニュースが、テレビから流れて、それを見ていた小学1年生の息子が、「どういうこと」と聞いてきた。
「きっと、生きているのが嫌になって、死にたくなったのね。まだ子どもなのに」と答えた。すると
「僕だって、そんな気持ちになること、ときどきあるけれど、死なないだけだよ」という。
「そんなことあるの」と驚いてきいてみた。
「いつもじゃないけれど、たまに・・・」
「どんなとき」
「お母さんに叱られたとき。僕、お母さんに叱られると運が悪くなるのか、そんな日はいやなことばかりあるの。いじめられたり・・・」
 学校から帰ると約束した友達のところへ遊びに行って、6時まで戻らない。彼なりに充実した日を送っていると思っていたのだが・・・。
 子供が充実した時間をおくるために親と子の絆をつくってきたつもりなのだが、少年の自殺のニュースから考えさせられました。


以上。

6歳の子(生まれて6年で)、こんなやりとりしていたんだと、感慨深い。
親には口にしなくても、いじめを感じていたんだね~。・・・読み返すまで、すっかり忘れていました。

今5歳の孫息子も、不得手なことがいっぱいあって、彼なりに複雑なんだろうと、娘は言っています。
保育園児は、すでに自分の社会(仲間)をもっていて、傷つきもするけれど、そこは成長にかせない大事な場でもあります。
離れて住むおばあちゃんは、スキンシップの加勢はできないけれど、応援団だからね、と、心の中でエールを送ります。

それにしても、息子の工作物が捨てられない。
手先が器用で、工作大好きタイプだったので、ワクワクしながら作っていたのだろうと、想像したり、です。
リアルタイムのそのころは、私は仕事が忙しくって、学校生活は先生にお任せで、それどころではなかったのですけれど。
今はすっかり連絡なしの息子ですが、遠い日の息子への愛着、なんでしょうね。
そのうちに捨てます。アッハハ


コメント
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