日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

尺度が違えば、、、。

2018-06-22 05:18:35 | 私の雑感あれこれ
現在は週一で整形外科へリハビリに通っている。
施術待機中に「お若いのに、ひざが痛いのですか」と声をかけられる。
私、そこでは、若いのです。笑
(追記、考えてみれば、治療費の自己負担、高齢者の皆さんの3倍払っているんですね。医院の待合室が高齢者ばかり、ということにつながるのかな。)

同じく、週一でホットヨガに通いだした。
マニュキア・ペディキュアをつけたスタイルを気にしている若い人たちに交じって、汗を流している。どうしても正座はできないので、目立たないように、、、とヒヤヒヤ汗も。
今日も一番年長かしら、いや同年輩もいらっしゃる? なんて気にしている小心者。

わたし、そのものは同じなのに、
場が違うと、若くなったり年寄りになったり、です。


雑談の中から。
先日、長ーくバスに乗りました。隣席の方との雑談タイムもたっぷり、です。

Mさんの夫君は80歳も近いのに、会社経営で資金力潤沢っぽい感じ。お孫さんの教育費6年間をおじいさんが賄い続け、この春にめでたく大学進学となりました。とても費用の高い学校(すみません。高品質の教育機関という鳴物入りでスタートした学校)だったので、年間300万円もかかる、以前から聞いていました。ま、1800万円はおじいさんからの楽しみ分だったのでしょう。

私は、途上国での教育事情を話題にしました。
途上国育ちの青年から聞いた話です。
小学校、中学校時代は教科書を持っているのは、教師だけで子供たちは教科書もなかった、と。高校で初めて自分の教科書というものを手にした。海外に留学したくて、そのための勉強を1年間したけれど、電気がないので、夜は当然ろうそくの明かりが頼りだった。で、ろうそくの火が風で2回消えたら、勉強を終えて寝ようと決めていたそうよ、とも。
公費負担でないと、とても留学はありえないから、勉強するしかないのです。

 ↑ 我が家の家族の話です。
すると、Mさんがボソッと、「ふつう、そんな話はしない(隠しておく)ものじゃない」と。

私は、その青年が不利な条件にもかかわらず、能力にあふれている、という視点で語っているのに、

Mさんには、通じなかったようです。

ちょっと、ムッとした気分になったので、
会社では、日本人より説明がわかりやすい、と言われることもあるそうよ、とも付け加えました。
相手が何を聞きたがっているかを察して話す、というスタンスで話題を展開するから、なのでしょうね。
援護もしておきました。

分かったかな?

これも、尺度が違う?ということになるのでしょう。
話は、そこまででひっこめました。



その青年は、選抜試験は受かりました。留学先の国の試験だったから良かったけれど、自分の国が試験を担当していたら、きっと公正な選抜にはならなかっただろう、とも。
もう20年近く前の話だから、今はきっと状況が変わっていると思います。

大学卒業後は日本でIT関係の仕事に就き、母国の家族の生活費を送り、妹さん2名の学費まで賄っていたのだけれど(当然物価が違うけれど)、おじいさんの大盤振る舞いの話を語るタイプには、通じないでしょうね~。

たまたま、途上国で育ったというだけ。
彼の思考は健全で前向き、と思ったことが何度もありました。





コメント (2)
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