日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

いろんな課題がやってきて、それでも月日は流れる。

2006-04-18 07:08:06 | その他
この文章は自分自身への業務連絡かもしれません。

日曜日はテレビの囲碁番組を横目で眺めながら昼食(私は囲碁はわかりません)。
対戦相手は井山裕太君、小学2年、3年と少年少女全国囲碁大会で連続優勝した、大人もびっくりの少年でした。その時テレビで解説していたプロ棋士の方も、すごい子供ですね、将来が楽しみですと評しておられました。
その少年が、いま青年となってもう7段だという。
「ホラ、あの井山君だよ」と、言われて画面に目をやると、解説者が「…、彼は困難な場面においても、それを堪えて、しのぎ、乗り越えていきますね。…」と。
まだ、年齢は高校生あたりであろうに、大のプロ棋士の口から、そんな言葉までででくるのかと、私のココロにすとんと入り込んだ。
ふーん、困難に面しても乗り切ろうとするのか、若くてもその術を使うことを心得ているのか…と、昨日月曜日の一日、何度か頭の中を転がしていました。
そして、夕食の時に話題にしたら、「それは多分違うよ」と。
「彼には、その局面が困難だったり、堪えがたいという感覚とは別の感じ方で、その場面が見えているんだよ」と。
底知れない能力の持ち主である高校生って、そう言うものか…。
なーんだ、あたふた、あたふたしてしまう自分は、力不足を宣伝してまわっているってことか。
1つの課題(ココロのしこり)がまだ乗り越えられない自分がいる。
もぐらたたきで、この頭たたいてやると、スッキリするのであればいいのだけれど、座標軸を変えたがらない、頑迷な自分がいる。。
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上手く育つか葱の苗

2006-04-17 16:49:07 | その他
自転車で通りを行くと、八重桜が咲き出して、辺りはさま変わり。
「あれっ?」コブシの花はもう若い葉っぱが出始めです。
暖かい陽射しなんだけれど、ちょっと、こころの内はひんやりです。
早朝、土曜にいただいた葱の苗を植えてきました。庭の一角にです。まぁ、初畑です。
深く掘って、始めは根っこが少し被るぐらいに土をかけて…と、言われた通りにやったのですが、実は我が家の庭土は粘土質。それなりには掘ったけれど、並べられた葱の苗の根っこは、定植された位置より下に進むの困難だろうな。もう少し、深く掘って、腐葉土と混ぜるべきなのに…。文句もいわないことをいい事にして、遣っ付け仕事ですませてしまった。
私の「ひんやり」は、早朝の土の冷たさと、葱のヒゲ根の困惑を思うところから来るのです。
「まっ、いいじゃん。横に伸びてくれるかも」
と、思い直したりして、こんな横着きっと通じないのでしょうね。
どう育つか分かりませんが、苗を植えた日の印として、ここブログに書き留めました。
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「感覚のズレ」なのでしょうか。大人に仕事を教える、その方法を見せてもらいました。

2006-04-15 21:43:50 | 社会問題
今まで、テレビで「税金の無駄使いを怒る」という番組見ていました。
どれも、番組出演者と一緒になって怒れてしまうというか、イライラが募る内容でしたが、はじめの頃にあった「私の仕事館」の581億円には呆れてしまいました。
ニートやフリーターのひとに、仕事とはどういうものかを学んでもらうために、とのことですが、いろんな職業の人の人形を飾って、昔からの職業の変遷を回覧しながら学べる施設という。1台30万円のパソコン80台を揃えて、就職の検索も出来るとのこと(パソコンはこんな立派な施設でなくとも、つながるのは同じなのに)。

子供が小学校の1年生のとき、社会科でいろんな仕事を知るという章がありました。
そのときのことを思い出したので、いまパソコンの前に。
町の人たちの職業を見せてもらったらいいなと思って、母親である私は、こんなお願いしたことあります。
町内の行きつけのパン屋さんを訪ねて「朝、パン作りをするところ、見せてやってください」と。翌朝の早い時間、6歳の娘と4歳の息子の二人が、いそいそと出かけ、喜び勇んで帰ってきました。子供達のパン屋さんと交わした会話は知りません。小さい袋に暖かいアンパン1つずつ抱えて帰ってきました。
もう一回。それも同じ町内にある縫製工場です。学校から帰った子供と一緒に私も出かけたように思います。ユニホームなどを作っている町工場でした。子供達はハギレを貰って帰りました。まとめて裁断したハギレでも、本当に仕事をしている人のその場所でいただいたことに、興奮していました。
学校への持ち物や宿題にはまったくノータッチでしたが、あの時チョコッとご近所の人にはお願いしたこと思い出しました。
そうそう、父の日を前にしたある日、学校で「お父さんの仕事」という作文を書くというので、娘は私に尋ねました。
「お父さんの仕事はね、悪いことをした人に、『それは悪いですよ』という仕事」と、答えると、娘は「なぁんだ、当たり前のことじゃない。簡単なんだ!」と。
その時のお父さんの仕事、憲法で身分保障されている、○○官でしたけれど(笑い)。

「私の仕事館」はすっかり大人になった人に、現実にある職場に似せた空間を作り(例えば、会社の受付カウンターとか、旅行会社のカウンターなど)、仕事を学んでもらうと。
「……ん?」
雇用保険料の使い道とのこと。
もう一回「建設費581億円……ん?」
年間維持費は6億だか7億の赤字とのこと。
小学校の社会科(今は生活科かな)で学ぶことは、もぬけの殻なの?
あの時の教科書には仕事をテーマに取り上げていたのに。
教科書はそれなりに基本を押さえていたというのに、大人になってから、いろんな職業の人の人形をみて学ばせようという発想!
雇用保険料の管轄は厚生労働省でしたっけ?組織が大きくなるということは、個々人の責任が問われないから、こんなこともありなのですね。
どれだけの人がこの番組を見たか分かりませんが、知ることは大事ですから、いい番組でした。

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今朝は雨。

2006-04-15 11:24:06 | その他
障子戸を明けて、庭を見ながら、
「昨日少し草取りしたからか、つい庭を見るわ」と、私。
「それは、庭を見ているんじゃあなくて、自分のした仕事を確認しているんだよ」と、家人から軽く返答あり。
…当ってる。
現金なものです。なんという判りやすい…。
余所さまのことは知らないけれど、こんな現金な私は、自分のわずかな仕事(草むしり)にも、翌日まで尾を引いていて、眺めているのです(アハハ)。
考えれば、あの仕事もこの活動も、あの絵もこの手仕事も、そして子育ても。
だから、何にもしないより、自分にできることには前向きに、負担分以上の充実感を私はしっかり得ているのです。
なんと欲張りな!

但し、庭の草は抜いても抜いても生えてくるから、草むしり好きではないのですが。

草取りしているときに必ず頭に浮かぶ、たわいもない想い二つ。
その1、「草は花開いて種をつける前にとったほうがいいですよ」と、子供の家庭訪問にこられた先生の言葉(転勤族でそのときは広い庭が縁側から丸見えだった)。むずかる子供を抱えて、あの時は時間がないなんて弁解していたけれど…、今は時間があります。そして、そろそろ今年も家庭訪問の季節かなと想うのです。
その2、この草、アフリカのゾウや、砂漠地帯の家畜のヤギなんかに食べさせると、喜ぶだろうな。そこの人たちは、草が生えて困るという感覚、ないだろうな…なんて。ゾウやヤギは私の草取りの手助け以上に、すぐ草花までを食べ散らすでしょうね。
あっ、我が家の庭、ゾウ1頭入ると、身動きできません(笑い)。

あほな話になりました。お粗末。 
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団体生保訴訟、最高裁判決 遺族側敗訴

2006-04-12 10:52:26 | 社会問題
争っていた当事者は〈会社〉と〈勤務により死亡した方の遺族〉。
保険会社ではありません。
勤務中の事故等に損失担保として、会社側が従業員を被保険者とする団体保険契約を締結していた場合、保険金は会社側が受け取るのか、被保険者の遺族が受け取るのか争われたケース。
保険料は会社負担で、会社が保険契約者です。
最高裁は筋論を通して、契約も知らず保険料も支払っていない被保険者側(遺族側)でなく、会社側を保険金受取人としたのです。

遺族の方々は、死亡したのは自分の身内なのに、会社側に保険金が…、納得いかないものが残るでしょうね。
従業員に知らせずに加入できた団体保険の存在自体が不自然だったと思うのです。
「死亡したら保険金が雇い主に支払われる」という契約は見舞金相当額を限度にするとか、それなりの配慮が出来るであろうに、保険契約の専門集団である保険会社へのシバリがゆるいように思います(生命を対象にしているのに、倫理チェックがないのでしょうか)。
さすがに、団体契約の見直しが行われたのか、新聞記事には同様の形の保険契約は姿を消したとあります。保険会社は収益を目的とした企業です。大口の保険契約を結びたくて、全社員加入であれば保険料割安になるような、「お得感」と「人の命」をセットで商品にという発想になりがちです。お目付け役が必要だと思うのですが、どうでしょう。

保険金殺人なんて聞きたくない言葉を耳にしたりします。その人の想定される損失を上回る保険は認めないとか、規定が必要ではないでしょうか。


今日も余談つきです。

―朝日新聞の特派員のコラムから拾った話題― (1年ほど前かな)
アジアのある国で、日本人の企業だったかの駐在員が交通事故を起こして、現地の住民が亡くなりました。
申し訳なくて、見舞金を支払う段になり、10万円を求められたと。
もっと支払いたいと申し出たところ、その国の担当者は「10万円でないと困る」ときっぱりおっしゃったとのこと。
「日本人が交通事故を起こし、死亡した人に沢山のお金を払うと知ったら、この国では、もっともっと、交通事故がおおくなります」と。




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ある会合で。

2006-04-11 16:21:07 | 私の雑感あれこれ
ある生涯スポーツをやっています。
その部会でのこと。
「高齢者とバリバリの上手い人との試合はいかがなものか」という話になって、各団体からの意見を持ち寄り部会で話し合いました。
「年齢制限をどうするか」
「男性60歳以上、女性55歳以上をシニアクラスとする」で話がまとまりかけた時に出たひとつの意見。
「あのー、年齢で区分けするとどうしても、クラス選択は自由であっても、シニアに出ると○○歳以上と推測されるから、ためらう人がでると思うのです…」
「…だから、『シニア』っていう年齢を使わない方法はないでしょうか」と提案。
「…だよね」と微妙な年齢のわたし。
高齢者だから、ホドホドのひと。
初心者だから、ホドホドのひと。
運動音痴だから、ホドホドのひと。
自分から声をあげにくい、こんな人たちの声を丁寧にとりあげる会合にちょっとうれしくなりました。
生涯スポーツだからですね。
そうして決まったネーミングは『リクレーション・ダブルス』
我がグループに持ち帰って伝えると
「良かった、それだったら小学生でも、大会に参加できる!」という母子で練習に来ているお母さんの声。

日曜の朝の会合、大会参加人数を増やしたいという係りの方々の声が、いい形にまとまって、さわやかでした。


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また思い出しました。若いお母さんだった頃

2006-04-11 08:06:06 | 子育ての周辺
音痴の母親だけれど、その後何度口ずさんだだろう。

♪ マリアさまーおめでとうー イエスさまがおうまれなさいます
  赤ちゃんイエスさまがー おうまれなさいますー ♪

歌詞は受胎告知そのもの。とするとあの時、うちの娘は聖天使ガブリエルだったのだ…
なんて、思ったりして。
勿論、マリア様や羊飼い役をやった子供達の親達も同じように、みんな回想はなさっているだろう。
写真はない。
牧師さんである園長先生は「聖劇です。催し物ではないので、カメラ撮影はご遠慮願います」の一言があったから。
そういえば、秋の運動会の開会式で、「小さな子供達にとっては、運動会は今日一日だけのことでなく、練習をやっていた期間も含めて、1か月間が運動会でした。そういう日々を通して今日を迎えているという目で子供らを見てやってください」と。

彼女の入園が私のPTAデビューです。はじめて「父母会」なんて文字を目にすると、「イヤダ―、なんか老けた感じする…」なんて、心中でそんな気持ちが湧いたりした、まだ若かりし頃です。
はじめて出会った我が子の先生がこの園長先生。素敵な園長先生でした。

さて入学式シーズンです。

〈カメラの放列。我が子の一挙一投足を撮ろうと、場所取りも怠れない。〉

今日の日経朝刊一面、『ネットと文明』の書き出しです。
そして、掲載写真はカメラを構えた父母の姿。
…だろうな、と思う。
振り返ってみると、カメラに撮っていなくても、結構思い出せるものです。というか、子育て中何度も思い出しているので、沁みこんでいるのでしょう。
「本当は子供達の姿を肉眼でしっかり見て欲しい」。と記事の中でも園長さんの弁が語られています。
ー自分の頭に頼らず、外付け脳を駆使する流儀ーという表現、脳の外注なのでしょうか。
回想すること、思考することは、手放したくないものです。
ああ、見出し文字に
 『ヒトの知、進化か退廃か』・『脳は借り物?』
と、警鐘に聞こえる言い回しが並んでいます。
ヒトとカタカナで書くときは、生物としての表現でしたよね。

「ちょっとしたことで何十年も前を回想できる素敵な脳をもっているのが、ヒトです」と言い張りたい(笑い)。




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映画「ウィズ・ユー」を見る。そして雑感。

2006-04-10 07:11:05 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
1997年製作のアメリカ映画。
場面は60年代後半のアメリカの片田舎。そこでモーテルを経営している母子の話。
母はアル中、姉は男性関係にご執心。そんな中で10歳の少女ハリエットは、、母とも姉とも共有しない沸々と育つ感性の持ち主。
移動中の親子がモーテルに泊まることになって、その子である知的障害のある青年リッキ―との交流がこの映画の中核。
その日暮らしの毎日を送っている母と姉からとは別の自分の世界をもっているハリエットの目の前に現れた、リッキ―は新鮮な友人だった。
ストイックな母親のもとに障害者であることを自覚しているリッキ―は自信なげで内向き。
今の暮らしが続いていると出会うことがないであろう広い世界、束縛のない世界へと、ハリエットはリッキ―を相手に夢を膨らます。

きっと、知的障害者の青年と10歳の少女だから、現代社会だったら「ブー」と警笛なるでしょうね。勿論この映画でも、ハリエットの姉もリッキ―の母親も、黄信号、いいえ赤信号を発しています。
それでも、ハリエットの心の風向きは変わりません。この映画制作者の体験なのでしょうか。かつては日本でも噂されながらも町に障害者の人が一緒に暮らしていて、いろんな人がいることを知って人は育ったのですが、「不審者扱い」の精度があがっているから、ごちゃ混ぜの中で育つ、という「場」が失われている気がします。

昨日の日経新聞では、1年生から塾は必要かとの記事がありました。4年生から通塾は一般的と。
学校教育、その後の通塾と、日本では子供も空き時間が極めて少ない。10歳ころの子供の感受性が育つ時期に、感受性君はどう芽をのばしたらいいか、困っていると思いませんか。
考えてみれば、学校教育も塾も教育の外注です。外注は専門家がやってくれるので、確かに効率はいいのでしょう。でも朝、昼、晩と外注弁当食べていたら、食べるということに興味を失ってしまうように、子供らも教育を受けることに興味を減じるのではないでしょうか。減じなくても本当の教育・育つということを勘違いして理解しそうな気がします。
ハリエットの体験は周囲がハラハラドキドキさせたでしょう。でこぼこ道を乗り越えた様々な体験を抱えて、人を理解する深さが育つ筈だと思いたい。
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1年前の事故の若者、新聞記事に

2006-04-08 21:50:04 | 私の雑感あれこれ
月に一度の読書会を長い間細々とやっています。
その月に一度が昨日の金曜日でした。
その集まりにメンバーの3人が新聞の切抜きを持ってきました。
4月3日の中日新聞の記事です。
メンバーのひとりが、ずっと里親を続けてきたその少年(今は19歳)の記事が載っているというのです。
里親である彼女も夫婦でベットの傍に。長い間一緒に暮らし、高校を卒業して間もないゴールデンウィークに起こした事故で、首から下の機能が麻痺してしまったのです。
新聞記事の写真では、スッキリと笑顔の青年として写っています。
病院から直行で遅れて読書会に顔を出した彼女は、「この写真を見て、母親も会う気になってくれるかもと、本人は期待する心もあるのかも…」と。―彼は生まれてすぐ乳児院で育てられたため、母親の顔を知らない―
一日たりとも、看護なしではいられないけれど、わずかな時間をやり繰りして読書会に顔を出せるようになって5度目。
彼女は毎晩病院に寝泊りし、名古屋市の南西にある病院と北東にある自宅を地下鉄を乗り継ぎながら行き来している日々です。
そういえば去年の5月に、あまりにも大変な状況でと、書いたことがあります。⇒ここクリック
映画「海を飛ぶ夢」の鑑賞記にも、身近な話があることを文末に添えました。⇒ここクリック
新聞記事で、名前もオープンになったこともあり、再度読み返してもらえればと思って。
記事に掲載されたスッキリと笑顔の青年の写真、何よりもよかったね。
本人にとっても、介護するあなたにとっても、記事ひとつで状況は変わらないかもしれないけれど、笑顔で新聞に載ったことがあるってことが支えになることもあるから。

仲間たちは彼女が里親をしていることをずっと知っていたから、新聞記事の切り抜きが3部も集まったのです。
そう、都合が悪くて欠席のメールを送ってきた人も、新聞記事のこと添え書きしていました。
私? 購読紙が違うため、お隣から拝借。今手元にあります。


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かつての反主流が率いる「自民党」と旧自民党幹事長の「民主党」

2006-04-08 09:07:21 | 社会問題
今朝の朝日新聞から引用します。
その1 天声人語から
小沢さんの投票前の演説の中で、彼がいつも口にしている次の言葉が用いられたと。
「変わらずに生き残るためには、変わらなければなりません」
   -ルキノ・ビスコンティ監督の映画「山猫」の中の台詞

その2 小沢一郎さんが代表に選出されたことを受けての、小泉首相のコメント
「私が初めて当選した30年前、小沢さんは主流派でしたよ。ずっーと、私は反主流派だったからね。自民党の手の内をよく知っているから、手ごわい相手ですね」と記者団に。
    また、小沢さんが変わったと思うかと問われ
「人間というのはなかなか変わらないものですよね。かつての自民党の幹事長が野党の党首になるとは想像してなかったでしょう。自民党時代は小沢さんは総裁候補で、私なんか相手にされていなかったからね」と。

「変わる」ことについて、双方の見解が出ていたので、並べてみました。
「山猫」で革新的活動家が、体制派に変わった時の台詞かと思いますが、そう「言う」ことは出来ても、だから、どの変化も評価されるというものではないとうけれど。
(余談ですが活動家に扮する若いアランドロンは本当に素敵でした)※

確かに、状況は変わったと思います。
アメリカや、イギリスのように政権交代が出来る力を持った2大政党を目指してというスローガンには賛成です。ずっと同じ政権であるがための、癒着やほこりが交代することによって、見直しが入ると思うから。
だけれど、共和党と民主党、保守党と労働党だと素人なりにその違いがわかるのだけれど、小泉さんの率いる自民党と、小沢さんの民主党では、いまいち分からない。
上記の「反主流の小泉さん」と「自民党幹事長経験者小沢さん」であれば、まだ、保守のその右側だろうかと思ったりも出来るけれど、「旧社会党議員の支持を受けた小沢さん」が、これまた分からない。
小泉さんが、「いやだったら自民党をぶっ壊す」と、改革を推し進めたのに、自分の選挙のことを慮って、主義主張が異なってもついてきた人たちがいることも妙なんだけれど。
「国会議員であることが第一」だから、こんなややこしいことになっているのだろう。
選挙民は混乱します。
2大政党への流れは支持します。だけれど、こんな基本的な考え方が、錯綜した人たちの集まりが二つあって、それでも、次の選挙で「2大政党時代を!政権交代を!」と、連呼されるのでしょうか。
一度、シャッフルして、右と左に分けてから、「2大政党時代を!政権交代を!」といってもらえると、スッキリ分かりやすいのだけれど。
ひとつ疑問。
民主党の若手議員さんたちも、このまま連なっていかれるのでしょうか。
論理的な清清しさが若手議員の気質だと思っていたのだけれど。
政治家を生活のための職業にはして欲しくありません。

※ 追記というか余談
昨日4月10日に「山猫」(イタリヤ完全版)もう一度見たけれど、字幕翻訳が違うのか、ピタッとそのままの台詞はありませんでした。
映画は1860年のシシリアに湧き上がった革命の時を描いています。
フランスでは「パリ燃ゆ」の時代。
アメリカでは南北戦争。
日本では開国問題。
今先進国といわれているどの国でも、ひとつの山場だったのですね。
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