昨日訪れてくださった方の再訪があるかもしれないので、その関連で書きます。
1989年の天安門事件の頃、私は短期間でしたが中国残留孤児に日本語を教えるボランティアをしていたことがあります。そのつながりで中国人の大学医学部を出て助手の職にあった人を日本の大学院に紹介したことがあります。彼の研究論文が審査されて、国立大学の修士・博士課程を4年で終え、日本の企業の研究部門へ就職できました。
科学技術庁から予算が出るような研究に携わっていると、明るい話も聞いたこともあります。
その彼がカナダに渡るというのです。30代の終わりに差し掛かり、今が最後のチャンス、もっと勉強がしたいからと。
博士号取得後も帰国しないのかと聞いたら、中国では実験の試薬が手に入りにくいから…と(もっと複雑な理由もあるのでしょうが、このおばさんには、彼はいつもそう答えます)、その彼が今度はカナダへと聞いたとき、日本での研究環境の将来性が今ひとつなんだなと、漠然とそう感じたものでした。
カナダに知己を得て、何とか生活の手段を確保できれば、そちらで研究の職を目指したいという彼の話に、真摯な意気込みを感じました。
先日の彼からのメールでは大学の生化学分野の職が書いてあったので、大きな成果が出たかどうかは知りませんが、そこへの道が開けたということでしょう。
生まれた国と異なる国に生活の場を求めるには様々な理由があります。
「日本から更に遠くカナダへと聞いてお母さん寂しいとおっしゃいませんか」と聞くと、「今までも年に1度は1週間帰国していましたから、それはこれからも変わりません」と。
自分の夢実現のために日本という土地を経由してカナダという地に飛び立った中国人研究者をひとり知っているという話です。
大学院時代に「教授とヨーロッパの学会に出かけても、日本人の教授は税関をスッと通れるのに、ボク時間がかかるんです。中国人だから」とその彼からも聞きました。
カナダは外国人の受け入れのハードルが低いのかもしれません。日本で働き始めたアジアの若者から、カナダなら今の自分の条件で永住権が取れるという話聞いたことがあります。
人口の多い国、少ない国、その国の歴史等で、ハードルの高さが違うこと、自分の国で暮らしにくいと考える人にとっては、関心事なのですね。
昨今は私たち日本人は海外へ出かけても、他のアジア人よりも厚遇を受けていることって多いのでしょうね。なぜそうなのかということにも、少し心したいものです。
1989年の天安門事件の頃、私は短期間でしたが中国残留孤児に日本語を教えるボランティアをしていたことがあります。そのつながりで中国人の大学医学部を出て助手の職にあった人を日本の大学院に紹介したことがあります。彼の研究論文が審査されて、国立大学の修士・博士課程を4年で終え、日本の企業の研究部門へ就職できました。
科学技術庁から予算が出るような研究に携わっていると、明るい話も聞いたこともあります。
その彼がカナダに渡るというのです。30代の終わりに差し掛かり、今が最後のチャンス、もっと勉強がしたいからと。
博士号取得後も帰国しないのかと聞いたら、中国では実験の試薬が手に入りにくいから…と(もっと複雑な理由もあるのでしょうが、このおばさんには、彼はいつもそう答えます)、その彼が今度はカナダへと聞いたとき、日本での研究環境の将来性が今ひとつなんだなと、漠然とそう感じたものでした。
カナダに知己を得て、何とか生活の手段を確保できれば、そちらで研究の職を目指したいという彼の話に、真摯な意気込みを感じました。
先日の彼からのメールでは大学の生化学分野の職が書いてあったので、大きな成果が出たかどうかは知りませんが、そこへの道が開けたということでしょう。
生まれた国と異なる国に生活の場を求めるには様々な理由があります。
「日本から更に遠くカナダへと聞いてお母さん寂しいとおっしゃいませんか」と聞くと、「今までも年に1度は1週間帰国していましたから、それはこれからも変わりません」と。
自分の夢実現のために日本という土地を経由してカナダという地に飛び立った中国人研究者をひとり知っているという話です。
大学院時代に「教授とヨーロッパの学会に出かけても、日本人の教授は税関をスッと通れるのに、ボク時間がかかるんです。中国人だから」とその彼からも聞きました。
カナダは外国人の受け入れのハードルが低いのかもしれません。日本で働き始めたアジアの若者から、カナダなら今の自分の条件で永住権が取れるという話聞いたことがあります。
人口の多い国、少ない国、その国の歴史等で、ハードルの高さが違うこと、自分の国で暮らしにくいと考える人にとっては、関心事なのですね。
昨今は私たち日本人は海外へ出かけても、他のアジア人よりも厚遇を受けていることって多いのでしょうね。なぜそうなのかということにも、少し心したいものです。