日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

生まれた国を離れて・・・(国籍・帰化関連になるでしょうか)

2006-04-07 07:53:58 | 社会問題
昨日訪れてくださった方の再訪があるかもしれないので、その関連で書きます。

1989年の天安門事件の頃、私は短期間でしたが中国残留孤児に日本語を教えるボランティアをしていたことがあります。そのつながりで中国人の大学医学部を出て助手の職にあった人を日本の大学院に紹介したことがあります。彼の研究論文が審査されて、国立大学の修士・博士課程を4年で終え、日本の企業の研究部門へ就職できました。
科学技術庁から予算が出るような研究に携わっていると、明るい話も聞いたこともあります。
その彼がカナダに渡るというのです。30代の終わりに差し掛かり、今が最後のチャンス、もっと勉強がしたいからと。
博士号取得後も帰国しないのかと聞いたら、中国では実験の試薬が手に入りにくいから…と(もっと複雑な理由もあるのでしょうが、このおばさんには、彼はいつもそう答えます)、その彼が今度はカナダへと聞いたとき、日本での研究環境の将来性が今ひとつなんだなと、漠然とそう感じたものでした。
カナダに知己を得て、何とか生活の手段を確保できれば、そちらで研究の職を目指したいという彼の話に、真摯な意気込みを感じました。
先日の彼からのメールでは大学の生化学分野の職が書いてあったので、大きな成果が出たかどうかは知りませんが、そこへの道が開けたということでしょう。
生まれた国と異なる国に生活の場を求めるには様々な理由があります。
「日本から更に遠くカナダへと聞いてお母さん寂しいとおっしゃいませんか」と聞くと、「今までも年に1度は1週間帰国していましたから、それはこれからも変わりません」と。
自分の夢実現のために日本という土地を経由してカナダという地に飛び立った中国人研究者をひとり知っているという話です。
大学院時代に「教授とヨーロッパの学会に出かけても、日本人の教授は税関をスッと通れるのに、ボク時間がかかるんです。中国人だから」とその彼からも聞きました。

カナダは外国人の受け入れのハードルが低いのかもしれません。日本で働き始めたアジアの若者から、カナダなら今の自分の条件で永住権が取れるという話聞いたことがあります。
人口の多い国、少ない国、その国の歴史等で、ハードルの高さが違うこと、自分の国で暮らしにくいと考える人にとっては、関心事なのですね。

昨今は私たち日本人は海外へ出かけても、他のアジア人よりも厚遇を受けていることって多いのでしょうね。なぜそうなのかということにも、少し心したいものです。
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帰化の話、国籍の話

2006-04-06 13:28:23 | 社会問題
妻がフィリピン人である人の20年程前の話。
「夫婦で海外旅行に行くと、自分は日本人だから税関を難なく通れるのに、妻は一々時間がかかる。面倒でしょうがない」と。
そこで、妻が日本に帰化しようと考え、フィリピン大使館を通して、出生証明書等の申請書類を取寄せたことがあります(フィリッピンには戸籍謄本はありません)。
さて、申請をという段になって、実はその人は日本人の戸籍もあることがわかりました。
父親がフィリピン人で戦争中の沖縄生まれ、フィリピンで育った人でした。
ご存知のように当時の沖縄はアメリカ軍に焼き尽くされ、戸籍等も焼失していたのです。
戦後直ぐに、各人からの届出で戸籍は整えられたのですが、生れたばかりの赤ちゃんをお爺さんは家族の一員として届出たので、当然日本人として記載されました。
少し前までの日本の戸籍法では、父親が外国人の場合は当然には日本国籍の取得とはなりません。戦禍の中での受付のため、手違いで彼女はフィリピンと日本の二重国籍になっていたのです。
勿論本人はこの事務作業を始めるまでは知る由もなく、自分はフィリピン人だと認識していました。
二重国籍では帰化申請と矛盾することから、正しいものにするために、一旦間違って記載された日本国籍の抹消をしました(何故そうなったかを資料をつけて説明するのはそれなりに大変でした)。
そして、晴れて帰化申請です。
どうだったと思いますか。
彼女の帰化申請は不可でした。
彼女には日本で一緒に生活しているフィリピン人の先夫の間の子供がいました。自分が日本人になることはOKでも、娘までをと決心がつかず、そうすると未成年の子供をフィリピン国籍に残したままでは娘の生活が不安定になり、母親のみの帰化は認められないというのが法務省の結論でした。
彼女のした選択は、「それでは帰化申請を取りやめる」でした。


時々日本国籍の有無についての裁判が話題になります。
その後も一度帰化申請のお手伝いをしたことがありますが、帰化で日本人になるためのハードルは高いのだと、そう感じました。
所得証明書は勿論のこと、現在どんな環境で生活し、自宅の中での暮らしぶりまでを伝えなくてはなりません。
家の中の箪笥などの家具の前に家族揃って平穏に生活を送っている写真を証拠として添付したこともあります。

人の流れは豊かな国へと向います。社会保障に預ろうとの目論見で帰化されると、高負担で国が賄いきれないから、でしょうね。
今、移民の国アメリカ、カリフォルニアでも不法入国が問題視されていますね。
ルールと倫理、そして治安の問題もないわけではないから、どこまで認めるか、課題です。






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息子の遊び場の話

2006-04-06 07:44:42 | 子育ての周辺
かつての話。
「お宅の○ちゃん、やさしいのね。この間お宅を訪ねようとしたら、『ママは病気で寝ているから、ボクんち 行っちゃダメ!』だって」
集合住宅に住んでいた頃、別棟のご近所さんから、そういわれたことがあります。

その頃は、つわりがひどくて寝込むことが度々でした。
「あっ、洗面器!」の一言で、2歳の息子はお風呂場から洗面器とタオルを持ってきてくれるのです。
そんなことがしばしばだったので、前述の発言になったのでしょう。

2歳の子供の外遊びに付き合えなくて、絶対に敷地内から出てはダメよと、前置きして、外遊びに出していました。

やがて生まれた赤ん坊を抱いて外遊びに付き合っていた頃のこと。
おもちゃの何かが敷地の外に転がっていきました。
「ママ、出てしまった。取れない!」
敷地の先1メートルほどの道路に転がったそのおもちゃが、敷地内からでは届かないと困っているのです。
勿論、「ママが見ているから、とっていいよ」ということで、些事は解決なのですが、ひとりで外遊びを始めてから、息子の自由に活動できる範囲を彼は敷地内としっかり守っていたんだと、その時赤ん坊を抱っこしながら思った次第です。
彼と赤ん坊は同月生まれですから、そのときは3歳になっていました。

〈ルールを守る〉は親譲りなのでしょうか。
振り返ってみると、ルールを守っていると、次の一歩を自信を持って踏み出せる筈、という思考方法が我が家にあるような気がします。

今日の朝日新聞のひととき欄に、病気のお母さんに替わって、料理をしてくれた話が載っていたので、こういうこともあったと、思い出しました。
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小泉首相の在任期間が歴代3番目の長さになるとのこと。

2006-04-05 12:45:47 | 社会問題
朝のテレビニュースが伝えていました。
最長が佐藤栄作
70年安保時代の佐藤栄作のイメージだったのですが、実はノーベル平和賞の受賞者でもあります。
2番目が戦後の51年サンフランシスコ講和条約調印の吉田茂。
そして小泉さんが、今日、中曽根康弘氏の在任期間と並び、歴代3位で5年目だという。

あの人も、あの人もと指を折って数えれば、総理の椅子に座った人たちが、他にもたくさん国会議員として健在です。重鎮がいっぱいで、ワンマン小泉だから改革も出来たけれど、2世、3世の麻垣康三の四氏では、どういう展開になるのでしょうか。

9月までという有限の期間が日に日に迫るものだから、新聞も自民党の後任人事報道で賑やかなところに、民主党の代表選びまでが始まって、政権があわただしい。

三角大福とか、晴天の霹靂とか、密室決議とか、色々あったけれど、国の運営がギクシャクもしなかったのは、実は国を動かしているのは、内閣ではなく官僚だからと、天邪鬼はつい思ってしまいます。
そういえば長期政権の方々はどちらかと言えば、ワンマンといえる部類かもしれません。
現政府が進めてきた、小さな政府、支出の見直し、無駄の削減、誰もがうなずくことなのに、官僚が幅を利かせるとつい既得権益を守りたいという志向回路になりがちでワンマンの気質が伴わないと実行が困難なことでしょう。

麻垣康三の四氏が次期総裁候補者といわれています。重い負担(借財)を抱えているこの国、公正でで明朗な説明が可能な政治であれば、喝采したいのだけれど、さぁてどうなるのか。
国民受けを気になさるのか、喋り方が丁寧で、不人気にならないように気を使っていらっしゃるのはわかるけれど、明快ではないですよね。

天下りと談合を必要悪とするのではなく、若くして官僚の道を選択した人にも、見返りという後ろめたさを伴うものではなく、フェアな進路選択ができるような仕組みになって欲しいものです。
そして、いますぐではなくとも、これから採用する若き官僚については、アメリカの民主党と共和党の場合のように、政府の側近は前任者から引き継ぐのではなく就任したトップが採用するという形にしたらいいのに。
この案は、先の選挙のときに民主党が掲げていたように思うのですが、昨今の民主党は身から出た錆を拭うのに必死で、それどころではないように見受けられます。

外野席の私としては、内輪の事情ではなく、目指す目標と実現する方法を掲げて欲しいのに…。
「政界ってそんなにシンプルじゃあないんだよ」と声が聞こえてきそうです。

小泉さんはアメリカの大統領でいえば2期目にの序盤あたりですか。
当選すると4年間は継続するアメリカ。日本では4年を過ぎて5年目の総理が歴代何番目と言われるのだから、国のトップの舵取りに期待する度合いが違うということでしょうか。
ちなみにクリントンさんも、ブッシュさんも2期8年です。
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どうしたらいいのだろう。

2006-04-04 22:37:51 | 私の雑感あれこれ
ボランティアに参加しようと思ったのです。
自分が出来る範囲で役に立ちたいと、それだけなのですが、なかなかです。
少しの職員と多くのボランティアさんで成り立っている団体だからか、職員の方はやさしいのだけれど、なんのために時間を割いて今これをしているのかと、自分の心のうちに疑問がわいてきたりもします。
会員の減少が危惧されているのならば、団体の主目的をもっとわかり易く訴えないと、長年培ってきた仕事が実を結んでいるのなら、伝える方法があるはずだと、地元の桜祭りという行事で、沢山の出店者に混じって東南アジアの飲み物を売りながら、心の内にブツブツ思いが湧き上がったり…。
メンバーは良心的な人たちの集まりなのですが、会員や寄付者を増やすためには活動内容を知ってもらうこと大事だと思うのだけれど。
設立の精神に賛同して、毎年自分なりの寄付をしてきた私にだって、実は本当のところよくわからない。
もっと、接してわかるようになったら、また説明しますね。
http://www.jca.apc.org/ahi/アジア保健研修所です。
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また、ここに来てしまいました。

2006-04-04 22:04:08 | 私の雑感あれこれ
新入社員は昨日が初日なのでしょうか。新聞やテレビではひとときより多人数の新入社員だと報じています。
嬉しい入社、渋々入社、それぞれなのでしょうね。
どの会社の入社式の映像は、まるで新入社員の制服があるかのように、同じ服装の若者の群れです。
誰も号令をかけて決めているわけではないのに、大学を卒業した人たちが、自ら、「みんなと一緒」の服装を選択をしてしまうところに違和感を感じます。
その渦中にいる人たちは、そんなこと感じないのでしょうか。
きっと、デパートの販売員のお勧めなのでしょうね。
以前、仕事が出来るように見える鞄を進められたこともありますから(笑い)。
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私が22歳のその頃の偶然をひとつ書きます。
東京の区立中学の先生になることになり、校長に挨拶に行きました。
出身の北陸の田舎町の話に校長先生が興味深く相槌を打たれるので、お聞きすると、先生になりたての頃、学童疎開の児童を引率していったのが、なんと私の生まれ育ったその町だったとのこと。「長願寺というお寺」と聞いてびっくり。我が家がその寺の門徒だし、祖父のお墓もお寺の傍にあります。
北陸線の小さな駅で降りて、当然子供達を並ばせて寺まで歩かれたとすると、必ず街道筋にある我が家の前を通られたはず。
教師になろうと採用試験を受けて、赴任せよとの指示で出向いた中学校の校長室で、私の育った田舎町の話。四つ角を東に曲がってね踏切を越えてという話までが出るとは思いませんでした。
まだ私が生まれてもいない頃に、私の生まれた町に暮らされたとは、なんという巡り合わせ。
テレビに映る大勢の入社式とは縁遠い、区立中学校の校長室でのひよこ教師の校長先生との出会いのビックリ加減は、春の花々のようにほのぼのとしたものでした。
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