日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

子供の日、小耳にはさんだニュースから

2006-05-05 10:43:26 | 社会問題
政治家の方々はこの連休、外遊で忙しいらしい。外遊先からのニュースが日本のお茶の間に。
先程、アメリカ外遊中の久間章生自民党総務会長のアメリカでの会見の模様が流れました。
「えっ!」です。
日本には武器輸出三原則があって、軍需産業に対して枷(かせ)を作ってきました。時々細かい部品が、このルールに引っかかったと話題になったりして、それなりに軍需への規制は徹底しているのだと、不戦を主張する国だからと、誇りに思ってきました。

久間氏の話の概略
「武器輸出三原則をある程度緩めてもいいのではないか。例えばアジア地域にいるアメリカの艦船の修理等は、アメリカまで修理に出すよりも、日本で出来るようにしたら経済的にも無駄が省ける…。

「なぜ今まで、禁じてきているのか」の意識はさっぱり抜け落ちています。
「経済的にお得だから…」と。
…そんな、なんで?

見えないけれど、業界の紐(ひも)でもついているのでしょうか。
アメリカの軍のコストの軽減。日本の軍需産業の得意先獲得。
お互いにいいじゃないかって言うのでしょうか。
なんのためらいもなく、会見で語っていらっしゃる口調をみて、目を疑いました。

原子力潜水艦の佐世保寄航反対で、世の中騒然となったのは1960年代後半。
平和国家を守り通そうとして、戦争につながるものを寄せ付けないようにやってきた戦後60年だったはずなのに、まったくビックリの記者会見でした。

平和国家維持のために堅持しなくてはならないルールに、ヒビが入りそうになっていることを伝えたくて、私のブログを見てくださる方は、少ないかもしれないけれど、ここに。
流れたばかりのニュースだから、明日の新聞紙面で取りざたされ、問題視されればいいのだけれど、なし崩し的に、知らないうちに…、というのは怖いのです。

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「名言」として自分へ

2006-05-02 23:05:58 | その他

ふと尋ねたブログで見つけました。

―― もし、自分が嫌っている人を、一人残らず、神も嫌っているなら、あなたは自分の姿に似せて、神を作ったのだ ――
                slashdot.org.でのコメントの署名から

               

何の解説もなく、枠に囲まれて、この言葉だけ。
うん?と、立ち止まって、読み返して、自分用に拝借してここに。

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伊坂幸太郎の小説「終末のフール」を読む

2006-05-01 08:09:16 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
私の3冊目の伊坂本です。
8つの短編からなるその第1番目が「終末のフール」
書名「上手いな」と、思うことが多い昨今、なんか意味不明な題名。媚びていないところが(私が勝手にそう思っている)いい。でも、そのために出会わない人がいるとしたら気の毒だけれど(アハハ、何を心配している⇒私)。
面白い。
暮らしの周辺で日々思っていることを、代弁、いや自分が気付くより先回りして(どちらかであるかはともかくとして)、書き留めてくれている気分になれる。
今度は小惑星(大きな隕石)がぶつかり、誰も助からないという場面設定。
その話が持ち上がったのは5年前で、残り時間が後3年になった仙台の街。
その話のひとつに「篭城のビール」
兄弟が銃を持って、元ニュースキャスター家族を襲う。残り3年を「のうのうと生かせて置くわけにはいかない」と。
兄弟の妹は事件の被害者になり、過剰な取材・報道に追い込まれ、自殺。母も後を追って自殺。家庭は崩壊したと。
そのことについて元キャスターは
「…能天気にあのテレビの仕事をしてきたのではない」
「罪の意識に苛まれている」と。
そんな言葉は弟には不快感でしかないのだけれど、元キャスターに畳み掛けるようにこういわせている。
「テレビは屑だ」「いや、私は屑のテレビ屋だった」
「行きすぎていた。天狗になっていたんだ。君たちの言う通り、地球が終わると分かったとたんに、逃げ出した。それで気付いたんだ。どんなに格好つけていたとしても、結局私の持っていた使命感なんて大したものではなかった」と。
そして、実は家族がいま行おうとしていたことが、兄弟の目的と違わないということが分かり、そのまま目的達成させてはならぬ、と話は予期せぬ展開へ。
書き手の言いたいことはしっかり言うのに、重くならず暖かい。
冷たくきっぱり死神(著書「死神の精度」)を書いても、暖かい伊坂さん。
「ウーン、不思議」と、一瞬思うけれど、分かるような気もします。
相手(登場人物)を理解しようと思う誠実さであふれているからかな?
人は、分からず納得いかないままに、ずかずか入り込まれることに不快感を持つのかもしれません。
装丁(カバー写真)が面白い。ダンボールで作ったこれはノアの箱舟かしら。

現実の話でも、偽装事件で話題の人の家族の自殺がありましたね。先日は保釈の本人取材で黒山の報道陣をテレビは映していました。
異常に追い掛け回して、次々と刺激的な映像を提供しようとするテレビと、受け手の視聴者。
ゴールデンウィークの最中の今朝。
テレビをつけたら、ホ○○氏の今後は…と、真剣に論議されていました。いや、「真剣な表情で」と言い直しますね。それは装いなのか、本当なのかは分かりません。画面に並んでいる人の口過ぎであることは確かな気がします。
現実がココロを疲弊させるから、この本にやさしさを感じるのでしょうか。
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