日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

県外研修、私の収穫。その3

2017-06-21 09:18:49 | 旅行・休養
さて、二日目の午後、ようやく本命の『ねむの木学園』に向かう。
前記事の昼食でお腹がいっぱいになっているので、バスの中では睡魔が、、、状態。

学園は街から離れたところでした。

学園と美術館も1キロ離れています。
学園には先客の団体さんがあったので先に美術館へ向かいました。大型バスが周囲の雑木林の緑葉に腹をこすらんかのようにして進んでいきます。

宮城まり子さんの『ねむの木学園』は、ずいぶん以前から聞いていたのですが、ようやく訪れることができました。
昭和43年に浜岡町設立。その後移転して今の場所になったとのこと。

彼女は確か昭和2年生まれでしたから、40歳のころから活動していたのですね。
やさしく、やさしく、やさしく、がモットーだそうです。

誰からも守られることがないということはないよ、ここにおいで、というのが彼女のスタンスなのでしょう。
どんなマイナス条件でも引き受ける、に徹しているように思いました。
ご本人は不在で、直接の話は聞いていません。

学齢期の児童は11名、それ以上の年齢の人が38名。70歳を超える人も。
学園スタート時から現在までという人もいらっしゃるそうです。

学園には宿舎も付随していて、通学の人もいるし、寝泊りも「ねむの木」でという人もいる、という形。

施設開始当時は肢体不自由児には就学の機会を与えたいということでスタートしています。もう50年。ねむの木に触発されて、制度は整えられて来ているように思います。

いろんな授業が企画されているのですが、アートを学ぶより、技能をみにつけたい、という意見の方もおられる、ということも案内の方は伝えてくださいました。
そうなのです。女優でアートティストの宮城さんの感性が学園全体をリードしているので、独創性を大いに評価し、後ろ支えしているモードですが、芸術家として自立の道よりも(『ねむの木学園』というバックボーンが必ず必要な気がします)、技術を身に着けて、社会で間に合うひとになりたい、という人のほうが本音じゃないかと、こっそり思いました。世の中芸術家ばかりでは回っていきませんから。

きっと、これまで宮城さんの資産と女優としての収益の多くを注ぎ込んでこられたのでしょう。建物の普請は立派です。でも、宮城さんの尽力を失うとどうなるのかしら、と思わないでもありませんでした。
90歳でも官庁との交渉ごとは、宮城さんご本人がやっていらっしゃるようです。
宮城まり子ブランドがあるから成り立っている、きっと、無名の後続施設が受け皿になり、持続可能なシステムに持っていくべきなのでしょう。

宮城まり子さんと素敵な子供たち、のユートピアでした。

美術館に展示してある子供たちの作品、素敵でした。
イラスト画として充分ほしくなる作品です。
スカーフになっていたらほしいな、ネクタイがらにしたらいいのでは、そんなことも思いました。
子供たちの絵を企業がカレンダーとして使っているところもあるそうです。
トートバックを1つ買って帰りました。
そういえば、介助犬施設に行った時も、犬のデザイン画のトートバックを購入したことを思い出しながら。

■追加■

『ねむの木学園』のことを考えている。大きなお世話!!かもね。
以下、個人的感想です。
学齢期の子供たちが11名と聞いて、年齢が到達したからと言って退園する人がいないから新規受け入れが困難という状況になってしまうのだと思っていた。
運営責任者の宮城さんご本人の説明はまったく聞いていないし、なかなか直接聞きにくいことだから、外野から見せていただくよりほかないのだけれど、これが自然の流れなのだとおもった。
開設当時から福祉面の変化もあって、昨今は、各地に施設がつくられているのだろう。障害のレベルも多様だから対応も各様になるのだろうけれど。時に悲惨な事件があったのは残念。職員の労働環境、労働条件の問題でしょうか。
社会の中で生きていってほしい、と先日障碍者を持つ母親さんのことばが心に残っています。森の奥にある学園ではなく、当時よりも現在は街から離れていな学園ができているのじゃないか、よくなっているのでは、と思ったりする。
公共からのサポート+障碍者年金や生活保護費に併せて宮城さんのご尽力で運営されているのだとしたら期間有限がある施設になってしまう。施設運営の後継者は育っているのだろうか。

やっぱり、大きなお世話、でしたね。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

研修旅行、私の収穫。その2

2017-06-21 07:59:32 | 旅行・休養
海の向こうに富士が見えるホテルと書きましたが、ホテルに着いたときは小雨が降ってきて、眺望は残念。でも小雨降る中、露天風呂にはつかりました。

で翌朝。梅雨時なので期待していたのに、雲間から日が昇ってきました。海側全面ガラスの室内からは絶景を楽しめました。
で、向かったのは、久能山東照宮。

私など昭和30年代に小学生だったものだから、久能山≒石垣イチゴ、って頭に出てくるタイプなんです。
バスの窓から、斜面に何段もの石垣、時にはブロック土塁が見えて、ビニールハウスになっています。あ~、これが太陽で石垣が温められて、その熱でイチゴを育てるという、子供のころ教わった耕作方法なんだ、と感慨深かったです。
昨今のイチゴ栽培はビニールハウスもすっかり大型化して石油で温めていますけどね。

日本平ロープウエーから、久能山東照宮に向かいます。
ロープウェーって、行きは昇るものだとばかり思っていましたが、行きが「下り」でした。初体験!!

久能山東照宮って、耳にしたことはありますが出向くのは初めて。研修に付けてくださった「おまけ」みたいなものです。
家康がなくなって、秀忠によって1617年に作られたのが久能山の東照宮。その数年後には日光東照宮に分骨。日光東照宮は家光の代に現在のような大造替されたとのこと。参道の石段は一段毎の高さが相当であり登るのに難儀。神職の方々は今でも毎朝下からロープウエーを使わず登っておられるのだという。







家康のお墓です。4月末に増上寺で徳川将軍家の墓所を訪ずれたばかりなので、なんだか徳川づいているような思えたり、、、。わたしにとっては、楽しめるおまけでした。


2日目の昼食。かつての東海道沿いの明治初期からある老舗「椎の木茶屋」というところでした。
去年は、長距離(福島被災地)でムリムリの予算のため、お食事はイマイチでしたが、今年は満足至極。ありがたい。



家康の遺話「金の成る木」について

以下、説明の立札に書かれていた説明文の抜粋

家康公は自ら筆をとられて、三本の木を描き、
『よろず程のよ木』
『志ふかき』
『志やうじ木(正直)』
と書かれ、「これを常々信用すれば必ず富貴が得られよう』と仰せられました。

立札には細川忠興の追加文もあるのですが省略。

伝聞には脚色が入っているとしても、400年後の今もそう外れていないことが、見事ですね。


で、午後から、「ねむの木学園」へ向かいます。

続く。













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

研修旅行、私の収穫。

2017-06-21 06:46:34 | 旅行・休養
日、月の研修旅行。年に一度。いつも企画委員さんのおかげで中身ある企画です。
翌火曜は仕事で、今日は早朝から雨。庭にも出られず、ひといきつけます。
で、時系列に感想を綴ります。

最初は現在休止中の浜岡原発見学でした。
念のため、ガイガーカウンター持参しました。苦笑
うちのエリアでは、数値は0.05μシーベルト/時間でした。
時々、ガイガーカウンターでチェック。
浜岡原発付近で、数値が0.18を超えたりもしましたが、見学建屋の中でも、それ以上上がることもなく、0.05だったりもしました。
現状は大丈夫なんですね。

42階(?)の展望室から、1号機~5号機とそれぞれのタービン建屋が見渡せます。
1号機、2号機は廃炉になることが決定しています。稼働開始からちょうど40年超になるので、耐用年数が来たからという理由の判断ですか、と質問したら、耐用年数からの判断というより、メンテナンスして稼働させるためにかかるコストとの比較で決まった判断です、とのことでした。
3~5号機は、同様の判断基準では、稼働に向けての対応がとられているのです。
海際には22メートルの防護壁、西、東側には24メートルの土塁が完成していました。数年前に行ったときはこれから作る、というところでした。
何台もの赤い消防車やブルドーザーなどが非常時に備えて待機していました。

原子力発電建屋群の手前に、5階建ての本部棟が見えます。中部電力の浜岡原発チームとして800名が働き、ほかに関連の仕事をする他企業40社ほども同じビルに入っています。で、総勢4000人が毎日浜岡原子力発電所の仕事についているということです。
稼働しておらず、収益には貢献していないのに、こんな人件費が賄えるって、大きな組織ってすごい、物事の発想が違うのだろうな、と思うにとどまりました。・・・わからないから。

わたしは浜岡原発に3度行ったことになります。一度目は15年以上前のまだ福島原発事故が起こる前でした。その時の記憶では、建屋への入館にあたって、ものものしく金属探知機のゲートをくぐった記憶があります。テロも警戒しなくてはならないからね、と口々に話していたものです。そして、水溶液の中に浸っている核燃料棒を上からのぞいた記憶があるのです。見えたというのはガラス張りになっていた?
ガラス越しに制御室もみられる見学コースだったような?今の見学棟の1Fにある売店でお土産を買った記憶もあるから、見学等も当時からあったとは思います。
でも、最近の2回は、見学棟の見学だけ(1Fの売店は閉鎖)です。

福島の原発事故後に、いったん停止した後、早々に再稼働という話がありました。えっ!!それは困る、と息巻いた(わたし)ら、当時の菅首相が再稼働ストップを命じ、助かりました。

でも、電力会社としては、監督官庁の規制をクリアすれば再稼働できる方向に向かっているということです。
ふ~ん、また、再稼働ストップの声をあげなくっちゃ、とは思っています。

裁判所へ持ち込んでも、これは政治判断になるだろう。原発の専門家でもない、たまたま担当になった3名の裁判官に判断させるっていうのは、どうかな、という意見も聞こえる。佐賀県の場合、確か地元が稼働賛成らしい。生活が懸かっているからといっても、現段階で最終処理の方法がない放射能は忌避すべきだと思う。そんな意見を持っています。


この後、静岡県地震防災センターを見学して(御一行様で行動しているので、館内の案内やビデオ視聴、震度体験などがあります)宿に入りました。

宿は遠州灘の向こうに富士が見えるというベストロケーションの温泉ホテルでした。
お料理がお魚たっぷり。美味でした。
テーブルには一人分ずつの船盛りが並んでいたので、部屋にカメラを取りに帰って、お料理撮影。笑
この後、天ぷらとか茶碗蒸し、ごはん、デザートなどは適時出てきます。





写真がありませんが、昼食も「お魚自慢ですよ~」と聞こえてくるようなボリュームたっぷりでした。

翌朝は続きにします。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日はひとり映画観賞。2本立てやっちゃいました。

2017-06-17 09:09:49 | 映画・テレビドラマ・音楽
本当は一日1本にしようと思っているのに、意志薄弱。困ったものです。

日中に、ジェーン・オースチン原作の『エマ』

夕食後に、2003年製作のジュリア・ロバーツ主演の『モナリザ・スマイル』

先日見た、同じくジェーン・オースチンの『マンスフィールド・パーク』1999年製作 を見て、★★★★ だったから、再び、と期待したのだけれど、ちょっと、、、。ま、映画は丁寧に作ってあるから満足なのだけれど、ジェーン・オースチンの筋書きに、キラキラしたものを感じなかった。2時間余りの映画の最後4分の1ぐらいになって、そうよね、このセリフ、この展開がなくっちゃ、とは思いましたけれど。彼女は当時の有名作家だったのですね。この小説は王族(皇太子に献呈されているそうです)。よって、貴族ワールドオンリー。働いて食べている人などいない。誰と誰をめあわせるか、どの貴族さんがかっこよくて資産が潤沢か、家柄が上か下か、そんなワールドなのです。ま、1814年に書かれているので、そのころのイギリス貴族社会を虎の巻(古?)で勉強したと思えば、お得な映画鑑賞ではありました。

『マンスフィールド・パーク』と同じ作家?と思わなくもありませんが、きっとオースチンの原作をもとに脚本家のデフォルメがあったのかも。わたしは、こちらのほうがポイント上です。

ということで、時間は使ったけれど、肩すかし気分を持ちました。
で、夕食後の時間。もう一作見てしまいました。
『モナリザ・スマイル』主演ジュリア・ロバーツ。
サクサクと短文での紹介を読んでクリックし、鑑賞スタートするので、タイトルなんだった?ってことになることが多々あります。苦笑
このケースもそれ。で、ジュリア・ロバーツだったから、、、と検索すると、彼女の出演映画を調べることができる世の中です。
で、作品名は『モナリザ・スマイル』。
時代は1954年のアメリカ。ハイレベルの女子大に新任教師ジュリア・ロバーツが美術史の講師として赴任。いわゆる由緒正しい私立女子大なので、在学生の母、祖母たちも同じ出身。教鞭をとっている教師も同校の卒業生といった校風に、殿方のための女子教育だけじゃない、自分のために学ぶ、というスタンスを伝授し始める、というストーリー。
1954年というのは、私はまだ幼稚園にも入っていない4歳。きっと日本にもそのような女子教育をしていた大学はあったのだろうな、と思いながら見る(もちろん違いはあるだろうけれど)。
戦勝国アメリカが豊かさを謳歌している時代。小学校に入ったころに、豊かな家庭を描いたアメリカドラマをテレビで見ることがあったけれど、などと連想しながら見る。豊かさ≒リベラルではなく、女性が豊かに暮らすための策は男性によく見られる女性になること、それを有能な女性たちに教育している時代だったという近代史を語る歴史映画でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反省しないといけないことはいっぱいあります。

2017-06-17 06:40:08 | 私の雑感あれこれ
「なにもないのが一番美しい」
そういっていた友人がいます。
そのころ彼女は結婚15年ほどの専業主婦でした。
習い事をして部屋を飾りたてるものを作ったりもしたけれど、ゴチャゴチャするだけ。なんにもないのがきれい、と。

同感です。

少し前に、「アンという名の少女」(「赤毛のアンの物語です)の実写ドラマを見ていました。
マリラがキッチンでセリフを言う時に、テーブルを拭いているというシーンが何度も出てきます。
田舎の貧しい暮らしですから、家具も粗野でシンプルです。当然電気はありませんから、電化製品ゼロ。
その暮らしよりも、現在がいいに決まっています。

でも、羨ましかったのは、あのさっぱりとしたテーブル。

そこで、ちよっと真似てみました。



来客があるときでないとここまでしない。

いつもこうだったらいいのにね。→ → ワタシ

お母さん、棚やテーブルの上にちょっと置いておく、という癖はよくないよ、と耳に痛い忠告されるのですが、物が多すぎるのです。


まったく「なにもないのが一番美しい」です。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒ニンニク作りスタート。

2017-06-16 09:09:52 | 私の雑感あれこれ
去年はニンニンクが不作で作らなかった。
一昨年に続き2回目。
炊飯器を保温にして2週間で出来上がる。そのためにニンニク専用として炊飯器を購入までした。

豊作とはいかないので、できるだけ大きめのをチョイスして炊飯器1回分を選り分けてスタートです。

もちろん作り方はネット検索のレシピです。黒ニンニクは普通のニンニクの数十倍の効果発揮とあるから、やる気スイッチも点灯です。苦笑

黒ニンニクは道の駅やリゾートホテルの売店でもよく見かけます。
結構立派な値段がついています。1個700円とか!! 機会があったらご確認ください。

作るのがシンプルなのに、なんで商品になるとこんな高価格になるの?
と思わないでいられません。

黒ニンニクを作って売ったら儲かるね、と家人に話したら、

「売れればね」と。

そうでした。売れないと始まらないのでした。

いつか、玉村豊男さんの本で読んだことを思い出しました。

彼はエッセイストで、植物画の名手で、かつ信州でワイナリーを経営し、レストランはバスで観光客が押し寄せるお店もやっておられるほどとか。
彼の本で書かれていたのは、ニンニクが大いに収穫できたので(500個だったか、500キロだったか失念ですが、とにかく処理しきれないほど多く)、販売を考えた。でも、販売するとマイナスが出てしまうというのが現実だった、と。
まず、お客さんが買いやすいように袋詰めする必要がある。→ 袋と作業の人件費がいる
販売する場所に販売員を置く必要があり、その人の何日かの人件費がかかる。

そのコストを計算すると、商品化する 損失発生

となり捨てたほうが損をしないのです。皮肉!!

このストーリーが私の脳裏に時々浮かびます。

好意で、売れるわね~、と冗談交じりにことばを交わしても、お金をいただくというのは、そんなやすやすとかなうものじゃない。

玉村さんのことばを引っ張り出します。笑

横道にそれますが、こんな話(出会い)も私のポケットに入っていますよ。

ブログができて数年のころ、毎日のように訪問しているブログがありました(ホームページだったかもしれません)。
30代の男性で、わたしから見ると当時の若い人の部類ですからITにも強いのでしょう、シンプルで使い勝手も良い先陣を切ったようなブログでした。
文章も魅力的でした。当然ファンも日に日に増えて、人気ブログになっていたと思います。

で、読者から、本になさったらどうですか、というコメントがありました。

彼は、ほめていただいたことのお礼を言った後に、自分は、お金をもらえる文章とそうでないのとの差をよく分かっているので、自分程度ではそういうことはありません、と返答なさっていました。

やっぱり素敵な見識の持ち主でした。

黒ニンニクの話からずいぶんそれてしまいましたが、ま、こんなことを頭の中で転がしているワタシ、ということで、雑文です。













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんなおばあちゃんはほかにもいないかな? 笑

2017-06-16 06:58:44 | 家族
もしかして、こんなアホなおばあちゃんは、ワタシだけ?

実は今年1月に藤井聡太クンが14歳でプロ棋士になった、というニュースを見た。
その話題の中で、幼いころのエピソードとして、木のブロック「キュボロ」というので夢中になって遊びました、という映像が流れました。
うちの子供にもブロック大好き男の子がいたので(その時と同じブロックは去年購入済み。汗)、3歳の孫たちのためにおばあちゃん奮発!!とネット購入しました。価格も結構立派です。笑 
ひとつは2月に4歳になる孫宛に送ってもらい、もうひとつは7がつに4歳になる孫が来たときに、、、と。

ふた組も買う(25920×2)のだから、自分のアホさ加減に自分でも苦笑なのですが、今の私には、旅行よりも、洋服を購入するよりも楽しい!!
比較が陳腐でしょう。

今日のニュースでは、その14歳プロ棋士藤井聡太クンが26連勝を続けているという。なんという快挙!!!

こんなキュボロで能力アップ、、、なんてなるわけない、と辛坊さんが少し前の土曜日朝の番組で、キュボロを紹介していました。アッハハ

まだ1月の段階で、キュボロを2つも買ったおばあちゃん。バババカ新記録かもね。苦笑

■さて、あほなことを言っていないで、今朝のバラ写真も載せさせてください。

コンビ写真から。
スペクトラ。相変わらず明かりがともったように咲いています。


パレード。たくさん咲いた先陣が去った後の2輪。


ジュビリーセレブレーション。ちょっとこぶつきですが、、、。挿し木苗です。おやっと思わせてくれる美があります。


ディスタントドラムス。これもこぶつき、苦笑。5月よりずいぶん小ぶりです。


1輪で咲く、ブルーバユー。先日2つが虫食いで摘み取りました。お気に入りなのにトホホでした。


華やかなブーケ咲きのシェラザート。


レオドナルドダビンチ。5月が過ぎてもいくつも数輪ずつで咲く勤勉な花です。


昨日切り花にしたテラコッタ。一晩お外で過ごしたけれど、今も健在。


異品種ひとつ。キキョウです。数株が花を咲かせています。つぼみが吹くらむ姿がかわいいですね。












コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝起きると、とりあえず、窓の外を見る。

2017-06-15 04:57:17 | 庭 6月
窓は2階。

庭の全景が見える。

陽射しが当たっていないから、葉っぱは朝のひんやりとした空気の中でひっそりと濃い。

2番花を咲かせているバラがあっちとこっちと、という風に咲いていて、それなりにマイ・バラ園です。苦笑

葉数もまだふさふさとして(病気が蔓延すると葉っぱを失う)、小気味よく茂っているな、と自問自答する。

日が当たっていないながらも、白妙菊やラムズイヤーの肉厚の白い葉っぱがアクセントになっている。

斑入りのつる日日草の葉っぱも存在感大です。

ヒューケラも一年を通して葉をつけているけれど、この季節が晴れ舞台のようで、数色の葉っぱもふっくらとしてかつ色合いも素敵。

そう、ひとり葉っぱを愛でているのです。

アガパンサスもつぼみがスクッと伸びで開花に向けてスタンバイし始めました。葉っぱが剣のようで、これはこれでバラの葉っぱの中ではアクセントです。

文章描写ではうまく表現できませんが、窓からのぞく私は、視線をバラ園の北側から南へ、南から北へとやりながら、いろいろな庭模様を楽しむのです。

きっと、よそのバラ園に行ったとしたら、「アラッ、ばらの季節には遅すぎたわね」なんて思うかもしれないのに、製作者自分のバラ園なものだから、そのセリフはありません。うっふふ

あのスペースに何を移植しようかしら。なんていつも頭を悩ましています。

気がせいて早めの移植してしまうから、今年は失敗ばかり。

苗を買ってくればいいのに、と思う自分、

そうではなくて、、、と反論する自分、

そんな、声なき声で自分と自分が会議しいてるこの庭は、せわしないのです。

■今日のバラ
テラコッタを切り花としてガーデンテーブルに


レオドナルドダビンチ。一昨年新苗で購入。5月よりも今のほうが花数が多いです。


ブラックティー。すっかり夏色。名前と違って明るめになります。


フレグラントオールドパープル。挿し木苗です。これも5月には1輪しか咲かなかったのですが、今はたくさんのつぼみがついています。


濃い赤いバラ3種
パパメイアン。5時台の庭ではフラッシュが点灯。


イザベルルネッサンスも同じく。


イングリットバーグマンは黒バラ品種でないので、フラッシュ点灯はありませんでした。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「淳之介さんのこと」文春文庫 宮城まり子著 を読んでいる。

2017-06-14 10:01:02 | 
某委員の県外研修が次の日曜、月曜とあり、「ねむの木学園」に行く。

部長さんに、今年の候補地としてプッシュする際に、雑談として作家吉行淳之介のことも話題にした。
話題といっても、遠藤周作や安岡正太郎の作品は読んでも、吉行淳之介の作品は読んだこともなく、作家には女、病気、酒の3拍子が必要だと言う人だというイメージしかない、程度を話しただけなのだけれど。

月曜日の集まりの帰りに、ホイ、と文庫本1冊を手渡してくださった。

「淳之介さんのこと」文春文庫 宮城まり子著

短編エッセイなので、今度会う時までは読了しようと読み始める。


宮城まり子さんの亡き吉行淳之介へのラブレターです。
もし、不在でなく対面することがあるとしたら(今もお忙しくて、学園には不在のことが多いそうです)、こんなの読んだ人と顔を合わせるの嫌じゃないかな、とも思ったり。うっふふ
多分、どこかの週刊誌に連載されたのが文庫本に装丁されているのだと思うから、人様のラブレターを読む意義も感じないし、今、400ページほどの文庫本の4割ぐらい読み進めて、そういう気持ちにもなって1週間分おきに飛ばして読もうかな、という気分にもなっていたら、あっ、ここの章を飛ばしては、彼女をつかめない、という個所もあったりして、
結局、読ませていただきます。


宮城まり子さん、昭和2(1927)年生まれ。90歳です。
昭和30年に芸能界でヒットした歌手で女優さん。テレビが普及し始めることろはすでに人気者だったんですね。
昭和43年に私財を投じて「ねむの木学園」を設立なさっています。

文庫本は2003年が初版です。書き出しから6年の月日がかかっているとありました。

日曜日に返本できるように、読了予定です。







コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『マンスフィールド・パーク』をみる。

2017-06-13 15:32:21 | 映画・テレビドラマ・音楽
1999年製作のイギリス映画。
ジェーン・オースチンの長編小説を原作としている。
時代は1806年から始まっている。★★★★
ネット検索した情報では小説は1814年に刊行されたとある。
そのころの日本の女性作家は、、、俳句の加賀の千代女とか?…不勉強で知りません。

きっとイギリスのサッチャー元首相やメイ首相なども読んでいる小説なんでしょうね。

きらりと光る女性、まだ階級社会のルールではけむったい存在だったけれど、なぜか周りの男性たちも、彼女の聡明さ気づき、賢さを疎まない。
貴族の主バートラムはインドで事業をすることで長男と同行するが、繊細な長男は奴隷制の現実を受け入れられずに、スケッチにして持ち帰る。そのスケッチがさらりと画面にも写るけれど、性的虐待には耐えられない悲惨さ。オースチンも奴隷制度の告発という視点も書きたかったのでしょう。

それにしても主人公のファニーは聡明。翻訳したセリフを聞いているわけだけれど唸る。

そんな、理屈を通した生き方しかできない彼女が幸せをつかんでエンド、だからさわやかな映画だった。

宝石屋さんに行かなくても、自宅が宝石屋のようなものです。
60インチの大画面で連日チョイスできるのですから。
凄いご褒美をもらっているようです。

わたしとしては、いつものメンバーとの映画鑑賞会の候補作品です。

実は銀行の後に洋服屋さんに立ち寄ったのですが、手ぶらで帰りました。
なんだかほしいものがないのです。体形に合わないからでしょうけれど。トホホ






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする