詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

トーマス・アルフレッドソン監督「裏切りのサーカス」(★★)

2012-05-22 10:14:20 | 映画
監督 トーマス・アルフレッドソン 出演 ゲイリー・オールドマン、コリン・ファース
 私は謎解き映画というものが嫌いである。推理小説も嫌いである。めんどうくさい。わざわざ他人の悩みにつきあう気持ちになれない。特に誰かが二重スパイである--なんて、あ、こんなこと私にはまったく関係がない。
 でも見てしまったのは、トーマス・アルフレッドソンが監督だったからだ。「ぼくのエリ」はおもしろかったからなあ。映像がはりつめていたからなあ。
 では、この映画は?
 ブタペスト(だったっけ?)で、二重スパイを知っている将軍を確保しようとするシーンはよかった。ウエーターが緊張してぽたっと汗をテーブルに落とすシーン。あ、こいつもスパイなんだ、でもこんなに緊張して、失敗するな、とわかるところがいい。
 映像がストーリーになっているからね。
 そのあと、救出役のエージェントを撃つべきか悩む一瞬の「空白」もいいなあ。
 赤ん坊をかかえていた女もスパイだったのだ、ということが射殺された映像でぱっと描かれる。そういう処理もいいなあ。
 楽しみだなあ。
 でも。
 あとはかなりめんどうくさい。時系列が交錯し(まあ、映画はこういうことが好きだから、それはそれでいいけれど……)、人間関係(愛のもつれ? というか寝取られ物語やゲイであること)がブタペストの救出失敗劇のように、さっと映像処理されてしまうので、そこに「感情」が入って来ない。あくまで「事件」、あるいは「事実」になってしまう。--そういうことを狙ってはいるのかもしれないけれど、「感情のもつれ」というか、なまな表情の変化を時間として描かないと、映画にならない。ストーリーの展開に終わってしまう。
 こんなことは描かずに、もっとしっかりゲイリー・オールドマンと他の役者を向き合わせればいいのだ。顔の表情で過去を暴いてゆけばいいのだ。思っていることを抉りだせばいいのだ。人間を動かすのは、感情の占める割合が大きいのだから。映画を見るのは役者の顔を見るのだから。(どんなふうにして感情を私たちは表現できるかを役者から知らず知らずに盗み取るのだから。)
 これを「ことば」で置き換えるとつまらない。最後の方のコリン・ファースの資本主義批判(?)など、あ、くだらないと思ってしまう。
 まあ、この映画は「謎解き」(犯人探し)なんか気にせずに(そんなものは配役を見た瞬間からわかる)、ゲイリー・オールドマンの紳士ぶり、役者の服装のスタイリッシュな感じ、細部の小物のていねいなつくり(たぶん時代をそっくりそのままていねいに再現しているのだと思う--昔のことなので、私はイギリスにあふれていた細部を情報として識別できないのだけれど、映像の落ち着いた表情が、ていねいさを語っている)を楽しめばいいのだと思う。
 スーツなんて私はすっかり着なくなってしまったが、登場人物の着ているスーツはどれもかっこいい。オールドファッションすぎていまの時代と違っているかもしれないけれど、そうか、スーツはこんなふうに着こなすのかと納得させられる。それぞれが実に似合った色のスーツ、コートを着ている。たとえば、ゲイリー・オールドマンとコリン・ファースのコートの色をかえて想像してみるといい。ひとにはそのひとに似合う固有の色があるということがわかる。
 映像全体の色調も非常にいい感じだ。騒がしくない。カリスマウキ監督のように、シンプルを装ったうるささとはまったく違って、どんなに情報が増えてきてもうるさくならない。「空気」そのものに、独特の色がある、とさえ感じる。



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