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自民党憲法改正草案を読む/番外404(情報の読み方)
「日本学術会議」の問題の続報。2020年10月10日の読売新聞(西部版・14版)は1面の見出しと前文。
「論点」とはよく言ったものである。いま問題(論争の焦点/論点)になっているのは、6人任命拒否の問題である。その問題から目をそらさせるために「学術会議見直し」を前面に出している。見直しは見直しで、予算提出権をもっている与党がやればいいことだが、それは6人任命拒否問題が解決したあとでやればいいことだろう。
やる順序が逆だから問題なのだ。
その問題の「6人任命拒否」について、読売新聞は「見出し」にとってはいない。1面の記事の最後には、こう書いてある。
インタビュー要旨(4面)には、こう書いてある。
読売新聞の、この書き方を読むと、菅が自分から「99人の会員候補リストを見たのはその直前だ。任命拒否した6人を含む105人のリストは見ていない」と言ったのではなく、記者から質問を受けて「推薦段階でのリストは見ていない」と言ったのだと推測できるが、正確なやりとりがわからないのが、何とももどかしい。
そのもどかしさを脇においておいて、非常に疑問に思うことがある。
これまで、菅は(加藤も)、99人の任命(6人の拒否)について、「法に基づいて適切に処理している」と答えていたはずである。
その「法」というのは「日本学術会議法」であるはずだ。その「法」のどの部分を適用したのか知らないが、「定員」について、こう書いてある。
「定員は210人」「三年ごとに、その半数を任命する」。この条文を読むかぎり、105人を任命しなければならない。候補者リストが「99人」だったなら、その段階で、このリストはおかしいと気づかないといけない。
「知らなかった」ですませられる問題ではない。
それは「候補者リスト」が「110人」であった場合を考えればわかる。リストに110人あったので110人推薦したというときは、絶対に批判されるだろう。「知らない」ではすまない。
だから、これは「その場しのぎの嘘」ということになる。
「法律」も読まずに「法に従って適切に処理した」と言っているだけなのである。
「99人」だったから「99人」を任命したというのであれば、「適切な判断」ではなく、単に「追認」しただけだろう。
ここから問題になるのは、次のことだ。(すでに、きのう書いたがもう一度書いておく。)
では、だれが105人のリストから6人を削除したのか。
安倍は問題が起きるたびに「ぼくちゃん、何も知らない。ぼくちゃんが関与した証拠を出せ」と言い続けたが、菅もその「答弁」を「継承」するつもりなのか。
学術会議から菅のところにリストが届くまで、どの部署が関与しているのか。文科省か、菅の秘書か。だれかが改竄したことになる。その改竄の経緯を、政府は「証拠」として提出する必要がある。その「証拠」がないかぎり、菅が、推薦リストどおりに任命したということは証明されない。
しかし、不思議でしようがないのだが、もし菅に「99人のリスト」しか届いていないのなら、菅は最初から「私は6人の任命を拒否していない。リストは99人だった」と言えばいいのである。(このときは、最初に引用した「学術会議法」の「定員」についてなにも知らなかった、という問題が起きるが……。)加藤も、そういうべきだったのだ。それを「後出しじゃんけん」のように、「リストには99人しか載っていなかった」というのは、あまりにもむごたらしい言い逃れである。
この「後出しじゃんけん式言い逃れ」を見出しにとらないのは、どうしたって読売新聞が「論点隠し」に加担していることになるだろう。
ちょっと追加で。
「学術会議」の見直しについては、菅が言う「見直し」は読売新聞が見出しにとっているように「予算・定員」の見直しであり、それは「削減」という意味だろう。もともと「210人」の定員は多い。今回はその削減の先取りである、という印象を与えるための見出しだろう。
しかし。
現代のように、いろいろな分野のことが「専門化」しているとき、ほんとうに「学術会議(専門家)」の意見を求めようとするならば、逆に210人では足りないのではないか。
4面には、こういう記事がある。
これは、学術会議が予算にあった仕事をしていないという「証拠」として書かれた部分だが、「新型コロナで同委員会は設置されなかった」のは、感染症の専門家が「会員」のなかには少なかった(いなかった)からかもしれない。委員会を設置するには専門家が必要である。そういう状況のなかでも「7月と9月、政府や地方自治体の体制や医療のデジタル化などに関する提言を出した」。それ以上のことを求めるのならば、やはり定員を増やす必要があるだろう。予算も増やす必要があるだろう。「予算・定員」を減らして、「仕事だけしろ」というのでは「ブラック企業」ではないか。
人脈(?)を生かして、政府関係者の声を集めるのはいいが、それをそのまま垂れ流しているようではジャーナリズムではない。言論機関なのだから、そのことばが「論理」として成立するものなのかどうか、きちんと点検した上で報道しないといけない。
(どうでもいいが、ハッシュタグというものがある。そのハッシュタグで「読売新聞批判」というものをつくってnoteに投稿すると、必ず「読売新聞批判」が削除される。ハッシュタグを追加する、という機能がついているにもかかわらずである。)
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#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞
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自民党憲法改正草案を読む/番外404(情報の読み方)
「日本学術会議」の問題の続報。2020年10月10日の読売新聞(西部版・14版)は1面の見出しと前文。
首相 学術会議見直し意欲/予算・定員論点か
菅首相は9日、日本学術会議を行政改革対象とし、組織の見直しを検討すると明らかにした。政府・自民党で連携して進める構えで、予算や定員などが論点になるとみられる。首相官邸での内閣記者会のインタビューで語った。
「論点」とはよく言ったものである。いま問題(論争の焦点/論点)になっているのは、6人任命拒否の問題である。その問題から目をそらさせるために「学術会議見直し」を前面に出している。見直しは見直しで、予算提出権をもっている与党がやればいいことだが、それは6人任命拒否問題が解決したあとでやればいいことだろう。
やる順序が逆だから問題なのだ。
その問題の「6人任命拒否」について、読売新聞は「見出し」にとってはいない。1面の記事の最後には、こう書いてある。
首相は「(学術会議の)推薦段階でのリストは見ていない」とも語り、決裁した9月28日の直前に事務方から説明を受けた段階で、すでに6人は除外されていたと話した。
インタビュー要旨(4面)には、こう書いてある。
【日本学術会議会員の任命拒否】任命手続きは終了した。任命を変更することは考えていない。最終的に決裁を行ったのは9月28日で、(99人の)会員候補リストを見たのはその直前だ。(任命拒否した6人を含む105人のリストは)見ていない。(6人の任命拒否を安倍晋三前首相から引き継いだことは)ない。一連の流れの中で判断した。(候補者の思想信条が影響したことも)ない。学術会議の梶田隆章会長が会いたいということであれば、会う用意はある。
読売新聞の、この書き方を読むと、菅が自分から「99人の会員候補リストを見たのはその直前だ。任命拒否した6人を含む105人のリストは見ていない」と言ったのではなく、記者から質問を受けて「推薦段階でのリストは見ていない」と言ったのだと推測できるが、正確なやりとりがわからないのが、何とももどかしい。
そのもどかしさを脇においておいて、非常に疑問に思うことがある。
これまで、菅は(加藤も)、99人の任命(6人の拒否)について、「法に基づいて適切に処理している」と答えていたはずである。
その「法」というのは「日本学術会議法」であるはずだ。その「法」のどの部分を適用したのか知らないが、「定員」について、こう書いてある。
第七条 日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、これを組織する。
2会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
3会員の任期は、六年とし、三年ごとに、その半数を任命する。
「定員は210人」「三年ごとに、その半数を任命する」。この条文を読むかぎり、105人を任命しなければならない。候補者リストが「99人」だったなら、その段階で、このリストはおかしいと気づかないといけない。
「知らなかった」ですませられる問題ではない。
それは「候補者リスト」が「110人」であった場合を考えればわかる。リストに110人あったので110人推薦したというときは、絶対に批判されるだろう。「知らない」ではすまない。
だから、これは「その場しのぎの嘘」ということになる。
「法律」も読まずに「法に従って適切に処理した」と言っているだけなのである。
「99人」だったから「99人」を任命したというのであれば、「適切な判断」ではなく、単に「追認」しただけだろう。
ここから問題になるのは、次のことだ。(すでに、きのう書いたがもう一度書いておく。)
では、だれが105人のリストから6人を削除したのか。
安倍は問題が起きるたびに「ぼくちゃん、何も知らない。ぼくちゃんが関与した証拠を出せ」と言い続けたが、菅もその「答弁」を「継承」するつもりなのか。
学術会議から菅のところにリストが届くまで、どの部署が関与しているのか。文科省か、菅の秘書か。だれかが改竄したことになる。その改竄の経緯を、政府は「証拠」として提出する必要がある。その「証拠」がないかぎり、菅が、推薦リストどおりに任命したということは証明されない。
しかし、不思議でしようがないのだが、もし菅に「99人のリスト」しか届いていないのなら、菅は最初から「私は6人の任命を拒否していない。リストは99人だった」と言えばいいのである。(このときは、最初に引用した「学術会議法」の「定員」についてなにも知らなかった、という問題が起きるが……。)加藤も、そういうべきだったのだ。それを「後出しじゃんけん」のように、「リストには99人しか載っていなかった」というのは、あまりにもむごたらしい言い逃れである。
この「後出しじゃんけん式言い逃れ」を見出しにとらないのは、どうしたって読売新聞が「論点隠し」に加担していることになるだろう。
ちょっと追加で。
「学術会議」の見直しについては、菅が言う「見直し」は読売新聞が見出しにとっているように「予算・定員」の見直しであり、それは「削減」という意味だろう。もともと「210人」の定員は多い。今回はその削減の先取りである、という印象を与えるための見出しだろう。
しかし。
現代のように、いろいろな分野のことが「専門化」しているとき、ほんとうに「学術会議(専門家)」の意見を求めようとするならば、逆に210人では足りないのではないか。
4面には、こういう記事がある。
新型コロナウイルスの感染拡大では、専門の分科会を新設して今年7月と9月、政府や地方自治体の体制や医療のデジタル化などに関する提言を出した。ただ、コロナそのものの分析と感染防止策ではなく、政府・自民党内では「税金に見合った働きとは言えない」との批判がある。
学術会議は14年、東日本大震災の際に的確な見解の表明が十分できなかったとの反省から、緊急事態時には会長をトップとする「緊急事態対策委員会」を設け、政府機関への見解の伝達、助言などを行うとする指針を定めた。しかし、新型コロナで同委員会は設置されなかった。
これは、学術会議が予算にあった仕事をしていないという「証拠」として書かれた部分だが、「新型コロナで同委員会は設置されなかった」のは、感染症の専門家が「会員」のなかには少なかった(いなかった)からかもしれない。委員会を設置するには専門家が必要である。そういう状況のなかでも「7月と9月、政府や地方自治体の体制や医療のデジタル化などに関する提言を出した」。それ以上のことを求めるのならば、やはり定員を増やす必要があるだろう。予算も増やす必要があるだろう。「予算・定員」を減らして、「仕事だけしろ」というのでは「ブラック企業」ではないか。
人脈(?)を生かして、政府関係者の声を集めるのはいいが、それをそのまま垂れ流しているようではジャーナリズムではない。言論機関なのだから、そのことばが「論理」として成立するものなのかどうか、きちんと点検した上で報道しないといけない。
(どうでもいいが、ハッシュタグというものがある。そのハッシュタグで「読売新聞批判」というものをつくってnoteに投稿すると、必ず「読売新聞批判」が削除される。ハッシュタグを追加する、という機能がついているにもかかわらずである。)
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「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞
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