監督 アン・リー 出演 ベンガル虎、スラージ・シャルマ、イルファン・カーン、ジェラール・ドパルデュー
こんなに退屈した映画は珍しい。なぜ退屈かといえば、ことばだらけだからである。それも作家が虎と漂流した男をインタビューするのをそのまま映画にしているからである。だれも体験をしたことがない虎との漂流--それだけが見たいのに、その貴重な体験をことばの枠のなかに入れてしまっては何もおもしろくない。自分が体験したことを映像にするのではなく、聞いたことを映像にする(映画化する)と「断り書き」がついているようなものである。
で、それがとても長い。実際の漂流がはじまるまでが信じられないくらい長い。
さらに体験を聞き終わった後、それはほんとうだろうかと吟味する。だれも体験談を信じなかったと体験者に語らせる。そして少年はだれにも信じてもらえないので(日本の保険会社に信じてもらえないので)、実は虎と漂流したのではなく、母親とコックともうひとりの船員と4人で漂流した。ひとの肉を食べて生き延びたという話をでっちあげたと語る。
これをさらに作家が謎解きをする。少年が最初に語った足をけがしたシマウマは船員、チンパンジーは母親、虎(とジャッカル)はコックであり、途中で虎は少年にかわる。そして生き延びる……。ひとはだれでもまったくの嘘をつけない。どんな虚構にもそれに対応する現実がある--という「哲学」がそこで披露される。
なんだ、これは。
虎と漂流した少年の体験ではなくて、作家の「哲学」の押し売りである。そして監督の「哲学」の押し売りである。「哲学」なんて、個人個人が自分の肉体にあわせて「覚える」ものであって、ひとから「ことば」で教えられるものではない。
で、せっかくの少年の「肉体」をかけてつかみとった「哲学」がどこかへ消し去られてしまう。
「金を返せ」としか言いようがない。絶対に見ると損をする。「本」を読めばそれで十分である。
*
私は虎が大好きである。しなやかな動きと獰猛さがたまらない。死ぬときは虎に食べられて虎の一部になりたいとさえ思う。
で、この映画は実は虎を見るために行ったのだが。
虎もぜんぜん美しくない。
虎が船酔いをするかどうか私は知らないが、この映画では船酔いをする。そして、その船酔いを利用して虎を調教しようとするシーンが出てくるのだけれど、えっ、船酔いって舟に乗っている間中つづくもの? 虎の肉体だって船酔いに対応するんじゃないのかな。私の想像だから間違っているかもしれないが。なんだか、うそくさいのである。虎が海に飛び込んで魚をとろうとするシーンも。
唯一納得できる美しいシーンは、ボートがメキシコに漂着したあと、虎がジャングルに去っていくシーン。海辺でよろめき、のびをして、それからジャングルの手前でいっしゅん立ち止まるが、少年を振り返ることなくジャングルのなかに消えていく。その瞬間だけ虎がとても自然で美しい。自分のいのちだけを見つめている輝かしさがある。
海--漂流も、なぜわざわざ3Dで撮ったのかわからない。効果的なシーンなどどこにもない。
パイの物語(上) (竹書房文庫) | |
クリエーター情報なし | |
竹書房 |