詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

憲法改正バトル(続)

2019-04-08 00:02:58 | 自民党憲法改正草案を読む
憲法改正バトル(続)
             自民党憲法改正草案を読む/番外256(情報の読み方)

 6日に書いた、市民とともに考える憲法講座 第四弾「憲法改正する? しない?」のつづき。

 憲法論議で私がいつも感じるのは、「議題」というか、テーマが大上段にかかげられること。9条をどうするかは、とても大事なことだけれど、9条について触れるにしても、もっと身近なところからアプローチする必要があると思う。
 せっかく福岡でやるのだから、福岡にある自衛隊基地ではどんなことが行われているのか。基地と住民の関係はどうなっているのか。その状況は、たとえば沖縄とどう違うのか。もし9条が改正され、安倍の案のように、自衛隊が9条に書き加えられた場合、自衛隊基地の状況はどうかわるか。つい最近、話題になった自治体が自衛隊募集に協力しないということは、福岡の自衛隊基地の周辺ではどうなのか。そういう話をしないことには、「国際戦略」の問題になってしまう。こういう「討論」では、市民はどうしても置いてきぼりになる。自分で考えるのではなく、講演者の話を聞いて、「うん、自分の考えは正しい」と納得するか、「あの人の話はおかしい」と自分の論理に返っていくか、どちらかで終わる。考えるということがない。
 これは講演者も同じ。どこの県、どこの市で話そうが、同じことを繰り返す。すでに講演者の頭のなかで「完結してしまっている」話をするだけである。たとえ、それが「討論バトル」という形になっても、同じだ。地元の市民を巻き込んで、地元の市民に考えさせるという工夫が必要だ。市民の方からも、地元に密着した質問をしないと、「私はこれだけ理念を知っている、海外の情勢を知っている」というだけの「知識披露」に終わってしまう。

 質疑応答の中で、質問できなかったこと、私が考えていることを書いておく。
 3月の下旬に、同じ福岡県弁護士会館で南野森・九大教授の講演と、映画「愛と法」の上映があった。
 私は、そこからこんなことを考えた。
 憲法は「国民(市民)」のためのもの。市民が「人権問題」として困っていることがあるなら、改憲はそこから進めるべきだと思う。
 「愛と法」の「主役」の弁護士が語っていたが、現行の憲法24条は「婚姻は、両性の合意にのみ基いて成立し」と書いている。つまり男性と女性でないと結婚できない。ところが、同性であっても結婚したいという人がいる。そして、「結婚」として認めることは憲法上できないが、「パートナー」として支援するという動きがいくつかの自治体ではじまっている。福岡市も、そういう取り組みをしている。
 なぜ、そういう部分を「改憲」しないのか。そういうところから「改憲」の動きをはじめないのか。それについて講演者はどう思っているのか聞きたい。
 これは9条とは無関係に思えるかもしれないが、私はそうは考えない。少しずつ、その理由を書いていく。
 同性の結婚を、憲法では認めない、認めるための「改憲」はしない、というのはなぜなのか。同性の結婚を認めても、日本の安全が危機に脅かされる、同性結婚を認めると中国や北朝鮮が攻撃してくるとは思えない。
 この問題を考えるとき、結婚にまつわるもう一つの問題を思い出したい。
 結婚をすると、男性の姓にするか、女性の姓にするかは自由だが、両性の内のひとりが自分の姓を変更し、連れ合いの姓になる。ところが、仕事の関係で「旧姓」のままでいたい人がいる。実際に「旧姓」で仕事をしている人もいれば、「旧姓」をつかうことを認めている企業もある。私のつとめていた会社でも、「旧姓」のまま仕事をしている人がいる。なぜ、認めないのか。なぜ、自民党は、そういう案が提出されたとき、反対したのか。夫婦が別姓だと、日本の安全が守れないのか。
 多くの人が求めているにもかかわらず、そして現実にそういう人の要望を受け入れる形で社会が変化しているにもかかわらず、憲法でそれを「追認」しないのはなぜなのか。なぜ、自民党は反対するのか。自民党は、夫婦の別姓を認めると、「父権」が弱まる、「父権」が弱まると社会の「統制」が乱れると考えているのではないか。社会を(国民を)統制する「手段」として、夫婦が同一の姓であることを利用しようとしているのではないか。女性は、男性に従え、という考えが根底にあるのではないか。それについて、講演者はどう考えるか。
 そういうところから憲法問題を考えると、憲法は身近になるはずだ。そこから九条もどうあるべきか、というところへ近づいて行けるはずだ。

 たとえば、こんなふうにである。

 同性結婚について自民党の議員が「生産性の低いひと(こどもを産まない人)を支援する必要はない」と言った。
 この論理は、9条が改正され、自衛隊が憲法に書き加えられ、戦争がはじまったとき、あるいは徴兵制がはじまったとき、どういう「現実」を引き起こすことになるか。戦場へ送り込む人間は、「生産性の低い人間」を先にすべきである。「生産性の高い人間(こどもを産む人)」は戦場に送り込むべきではない、という「選別」の指針とならないか。
 さらに、安倍の言った「自衛隊員募集に非協力的な自治体がある」という指摘は、こういう展開にならないか。戦場に送り込む人間は「生産性の低い人」が先である。同性のパートナーを認めている自治体に対しては、「だれが同性のパートナー」として自治体から支援を受けているか、その情報を提供せよ、という要求がされるのではないか。もし、そういう要求があったとき、自治体はどうするのか。「同性のパートナー」を「個人情報」は判断し、情報の提供を拒むのか。福岡市は、そういうとき、どういう態度をとるのか、指針を決定しているか。そういう差別的な要求に対しては応じないという覚悟ができているのか。
 夫婦の別姓でも同じことが言える。もし、別々の姓を認めるようなことになれば、軍事行動のときでも、指揮に従わず別の行動をしたいという人間が出てくるのではないか。個人の自由は認めるべきではない、自由は少なければ少ないほどいい。その方が軍隊をしてするのに都合がいいと考えているのではないか。

 同性のパートナー、夫婦の別姓問題は、自分の問題ではないという人もいると思う。しかし、それは福岡市に住んでいても「実感」できる問題だ。北朝鮮のミサイルや中国の海軍力の増強よりも現実問題として考えることができる。「個人」の問題として考えることができる。
 「個人」から出発して、憲法を考える工夫が必要だと思う。




#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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