詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(110)

2019-04-08 08:41:04 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
110 シドンの劇場(紀元四〇〇年)

評判のいい市民の子であり、何よりも顔が美しく、
さまざまな魅力を備ええて、劇場に出入りするわたしは
時折、大胆きわまる詩をギリシャ語で書いて、
回覧に供する--もちろん匿名で

 詩の書き出し。古代、あるいはギリシャ文化のなかで、「自分の顔が美しい」と自ら言う、自らではないにしてもそういう「評判」をそのまま肯定して伝えるということが一般的なのかどうか知らないが、この詩の主人公はそうしている。そのあとの「さまざまな魅力を備えて」も同じ。
 ここに「自信」のようなものがある。自己肯定の強さがある。それが次の「大胆」につながっていく。なるほど、大胆なことができるのは、自己肯定する力が強いからだと知らされる。
 この場合、「匿名で」というのは「自分を隠す」ということとは違うだろう。「隠す」ふりをして、むしろ見せびらかす。「匿名」がだれであるかを探らせるということだ。そこに最初から明らかにされているのではなく、「自分で見つけた」という喜びが、主人公と「発見者」を強く結びつける。言い換えると、「困難」を承知で自分を見つけてくれる人を誘いだすために「匿名」にしている。

あの灰色の連中の目にこの詩がとまりませぬように、
特別な種類の、断罪と不毛の愛にしか至らない
性の悦楽を謳ったこれらの詩が。

 「灰色の連中」に中澤は「キリスト教徒」という註釈をつけている。詩の主人公は、キリスト教徒に見つかってもいいとさえ思っている。同じように、そういう覚悟のある人間とでないと主人公の望む「性の悦楽」は手に入らないからだ。
 それはまたカヴァフィス自身の思いだ。
 批判される覚悟がある人間といっしょに姓の悦楽のなかに入っていきたい。そういう「誘い」をこめた詩だ。

 池澤は、こう書いている。

カヴァフィスも自分の作品を友人たちに回覧ないし配布していた。

 カヴァフィスにとって詩は「実用」でもあったのだ。





カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
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