杉惠美子「漣」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2024年05月20日)
受講生の作品。
漣 杉惠美子
五月の光をうけて
炭酸水のような
撥ねる音を聴きながら
ふくふく膨らむ
あしたを願いながら
さざなみのひとりごとを
聴いてみたい
ありふれた幸せと
ありふれた不幸の中で
ゆらゆら揺れて
誰かとかくれんぼしながら
ずっと かくれていようか
それとも
波のまにまに 見え隠れしながら
ずっと 手を振っていようか
乱反射する月光の下で
「炭酸水の描写、ふくふく、ゆらゆら、の動きが柔らかくて静か」「浮遊感が自然。気持ちがよくなる詩。五月の光で始まり月光の下でと終わるのは、最初は少し違和感がある。しかし光で統一されていてよかった」「五月の光から月光への変化には、時間の流れがある」「ありふれた不幸からの二行にひかれる。平穏な日々、小さな幸せを感じて生きている」
杉は「日本画を見て、触発されて書いた。雰囲気を感じ取ってもらえてうれしい」と語った。
私は「聴いてみたい」という一行について、「聴いていようか」だったら、どうなるだろうか、と質問してみた。他の部分では「かくれていようか」「手を振っていようか」なのに、ここでは「聴いてみたい」と杉が書くのはなぜなのか。
「身を託していたいから」「独り言のなかに入っていきたい」「聴きながら、と呼応している」
統一されていたら、詩が落ち着きすぎるかもしれない。「みたい」が「いたい」にかわる微妙な揺らぎがある。書きながら、ことばが動いていく感じがしておもしろい、と私はと思った。
最後の一行は、私はいらないと思ったが、受講生はどう感じたか。
「最後の一行がないと動きだけで終わってしまう」「詩の語調が弱くなる」「最後の一行で引き締まる」
*
緑の中 池田清子
散歩中
遠くに山が見える
濃く深い緑 茶色い緑 山吹色の緑
薄い緑 光る緑
あの緑の中に
身体を横たえられたら
どんなに幸せで美しいだろう
低いけれど急な山
枯葉を踏みしめ
崖を気にしながら
つたいながら 登る
途中切り株に腰を掛けたとき
やっと 緑が見える
自由な樹木たち 空 鳥の声
緑とは
見るもの、撮るもの、感じるもの
緑の木々を背に
自撮りする
「二連目。さまざまな緑の表現に、緑の力、季節感、その美しさを感じる」「四連目の情景が目に浮かぶ。五連目への変化がとてもリアル。作者の緑に対する安らぎを感じる」「三連目がいいなあ。六、七連目は緑のなかにいる自分を映し込む。最終連の自撮りが池田さんらしい」
この詩でも、私は、最終連について質問してみた。私なら書かない。
「現代風、意外性があっておもしろい」「超現実的」「ナルシストかなあ」「緑のなかでの一体感が表現されてる」
私は、詩には「終わり」がない方がおもしろいと感じるのだが。
*
若木 青柳俊哉
春の水のうえで藁が焼かれる
空があり風が吹きつけて 炎が燃える
(藁の匂いが美しい)
藁のうえに蜜柑の若木がおかれる
それは燃えない それは美しくならない
(在ることより 言葉が先へ行く)
子たちが水をわたって遊ぶ
水のむこうに言葉の国がある
ひらかれた空の底から 名づけられた葉が
吹きつける すべてのもののうえで風が燃える
春の水のむこうへ 子たちとともに
若木が行く 言葉の意志として
「二連目の表現が新鮮。三連目の蜜柑が予想外だった。それ燃えない、から(在ることにより)のあいだに微妙な感覚がある。水のむこう、風が燃えるという表現も新鮮。最終連には、作者のいろいろな思いを感じる」「一連目、水のうえで、焼かれる、がおもしろい。水をわたって、水のむこう、というのもおもしろい」「括弧のなかの意味がわかりにくい。最後の言葉も括弧のなかに入れてもいいかなあ」「言葉が春のなかにはなたれている。括弧の意味は、段階を踏んで進んでいく感じ」「括弧でくくっているのは、潜在的な思い、メッセージを表現するためにつかっているかなあ」
こうした感想に対して、青柳は「結論をむりやり書いている感じがするので、括弧に入れる気持ちはなかった。括弧のなかに入れるのも選択肢としてはおもしろい」と語った。
三連目が非常に印象的、哲学的で、それを生かすには括弧に入れる、入れないは別にして、「言葉の意志として」は若木とは組み合わせず(一行にせず)、独立させた方が強くなると思う。
*
大いなる古の風よ 堤隆夫
からだの中に吹く
大いなる古の風よ
私たちのからだの中には 宇宙がある
私たちのからだは 星のかけらでできている
六〇兆もの私たちのからだの細胞は 星のかけら
私たちの遺伝子は 三十八億年前に生まれ
そこから進化を遂げてきた
一度だって途切れることなく 続いてきた原始からの力を
私たちは連綿と 受け継いできた
だからこそ 私もあなたも 今 ここにいる
白銀の大海原は はるかに
綿津見の神は 琥珀を織り
かつて聞こえしためしなき 機織りの歌
大いなる古の風よ
もっと吹け もっと荒れよ
とまれ 私たちの憂いを
白銀のあなたに 運び去るのだ
「ダイナミックな詩。古の風、宇宙そのものが体のなかにあるということが理論的に述べられている。白銀の大海原で詩が転換する。最後の運び去るのために必要だったことがわかる。大海原が私たちの大きな比喩」「スケールが大きい。五連目の、機織りの歌が印象的。太古から続く人間の憂いを放ちたいのかなあ」「三十八億年前ということば。生命の歴史の知識がないので、そうなんだ、と思いながら読んだ。知識があれば、もっと柔軟に読めるかもしれない」
この詩でも、わたしは終わり方について質問してみた。
「もっと荒れよ、で終わったら何かおさまらない。荒れて、おわってしまう」「力強い終わり方」「ないと、おかしい」「作者の訴え。なかったらイメージが広がるが、訴えがわからなくなる」
私は、荒れて終わった方が、どうなるかわからなくて、わくわくする感じがする。最終連は「とまれ」が象徴的だが、「まとめる」(まとめた)という印象が強い。つまり、「作為」が感じられる。
これはむずかしい問題で、ひとりひとりの好みも大きい。
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