先日米アカデミー賞の発表があった。主演男優賞は「リンカーン」のダニエル・デイ・ルイス、主演女優賞は「世界にひとつのプレイブック」はジェニファー・ローレンス。ジェニファー・ローレンスはほんとうにすばらしく、彼女が受賞してほんとうにうれしかった。ダニエル・デイ・ルイスについては「リンカーン」は予告編しか見ていないのだけれど、たぶん、そうだろうなあ、と思っていた。
というのも。
アカデミー賞は実在の人物を演じると受賞しやすいのである。最近だけでも「英国王のスピーチ」「サッチャー」「エリザベス女王」「カポーティ」。それから「アミン(大統領--タイトルは忘れた)」「レイ(レイ・チャールズ)」も実際にいた人物である。数え上げたらきりがない。あのロバート・デニーロも最初の賞は「レイジング・ブル」の実在のボクサーだった。「ゴッドファザー」さえも実在の人物。そして、その「演技」というのは、実は「そっくり賞」的な要素がある。
で、思うのだけれど。「そっくり賞」って、演技?
それに、その賞に対する評価は、演技そのものに対して?
どうも、そこに演じられている「人物」への評価(再評価)が含まれているような気がしてならない。「ガンジー」というような偉大な人物(今回のリンカーンも同じ)にかぎらず、たとえばシシー・スペイシクが主演女優賞を受賞したのは、「炭鉱夫の娘」。私は知らないけれど、実在のカントリーシンガー(?)だった。ロバート・デュバルも誰かよく知らないが実在のシンガーを演じて受賞している。(私は見ていない。)これなんかは、その人を「私たちは忘れません」という評価が半分くらい含まれているように思えてしようがない。
演技に感心すると同時に、その人が生きていたこと、そしてやりとげたことに対する評価が半分くらいまじっていない? まあ、それでもいいのだろうけれど。映画というのは、いろんな要素があって、その要素が絡み合って一つになっているものだから。
ダニエル・デイ・ルイスにケチをつけるつもりはないのだけれど。
私は主演男優賞・女優賞というような「人物(演技)」を対象とした賞の場合、やっぱり「役」じゃなく、「俳優」に賞をやる方がおもしろいと思う。私はミーハーなので、映画を見るときは、役--ストーリーのなかで動く役割ではなく、どうしても「個人」を見てしまう。
具体的に言うと。
「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーン。これは架空の王国の王女の物語だけれど、映画を見ているとき「王女」を忘れるでしょ? オードリー・ヘップバーンのきらきらした輝きに見とれてしまう。ストーリーは付録。こういう人こそ、賞にふさわしい。映画を活気づける大切な人だ。
自分ではそういう人にはなれない。でもスクリーンを見ている間は、その人になってしまう。それが男でも女でも、性差も年齢も越えて、その人になってしまう。いいなあ。魅力的だなあ。ミーハーになってしまう。観客をミーハーにしてしまう俳優こそ「主演男優・女優賞」にふさわしい。観客をミーハーにしないような俳優はスターではない。
だからね、ブラッド・ピットとか、キャーキャーさわがれる人が受賞すると、映画はもっとおもしろくなると思う。
(あ、私自身は、今回のジェニファー・ローレンスはそんなに美人とは思わないけれど、これはまた別のことで……。)
ちょっと話をもどすと。
実在の人物は受賞に有利、というのは「コメディ」の苦戦にも通じる。「ビッグ」のトム・ハンクス、「テッド」のマーク・ウォールバーグ(今回)のような、とんでもない「おもちゃ」映画では、どんなに「演技」が秀逸であっても、演じられた人物(役)に対する評価が追加点にならないので、賞レースでは苦戦してしまう。「チャンス」のように「おもちゃ」映画ではなくて、かなり厳しい諷刺を含んだ映画(作品そのものも評価が高い作品)でも、ピーター・セラーズと主演男優賞をとれなかったからねえ。
まあ、賞は映画を活気づけるためのお祭りだから、それはそれでいいのだろうけれど、なんだか「そっくり賞=アカデミー賞」という好きになれないなあ、というのが私の気持ち。アカデミー賞に比べると昔あった「スクリーン」「ロードショウ」の俳優人気投票の方がはるかにすばらしい名誉だと思う。
「うまい」よりも「好き(かっこいい)」の方が、映画を見にゆく要素なのだから。
というのも。
アカデミー賞は実在の人物を演じると受賞しやすいのである。最近だけでも「英国王のスピーチ」「サッチャー」「エリザベス女王」「カポーティ」。それから「アミン(大統領--タイトルは忘れた)」「レイ(レイ・チャールズ)」も実際にいた人物である。数え上げたらきりがない。あのロバート・デニーロも最初の賞は「レイジング・ブル」の実在のボクサーだった。「ゴッドファザー」さえも実在の人物。そして、その「演技」というのは、実は「そっくり賞」的な要素がある。
で、思うのだけれど。「そっくり賞」って、演技?
それに、その賞に対する評価は、演技そのものに対して?
どうも、そこに演じられている「人物」への評価(再評価)が含まれているような気がしてならない。「ガンジー」というような偉大な人物(今回のリンカーンも同じ)にかぎらず、たとえばシシー・スペイシクが主演女優賞を受賞したのは、「炭鉱夫の娘」。私は知らないけれど、実在のカントリーシンガー(?)だった。ロバート・デュバルも誰かよく知らないが実在のシンガーを演じて受賞している。(私は見ていない。)これなんかは、その人を「私たちは忘れません」という評価が半分くらい含まれているように思えてしようがない。
演技に感心すると同時に、その人が生きていたこと、そしてやりとげたことに対する評価が半分くらいまじっていない? まあ、それでもいいのだろうけれど。映画というのは、いろんな要素があって、その要素が絡み合って一つになっているものだから。
ダニエル・デイ・ルイスにケチをつけるつもりはないのだけれど。
私は主演男優賞・女優賞というような「人物(演技)」を対象とした賞の場合、やっぱり「役」じゃなく、「俳優」に賞をやる方がおもしろいと思う。私はミーハーなので、映画を見るときは、役--ストーリーのなかで動く役割ではなく、どうしても「個人」を見てしまう。
具体的に言うと。
「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーン。これは架空の王国の王女の物語だけれど、映画を見ているとき「王女」を忘れるでしょ? オードリー・ヘップバーンのきらきらした輝きに見とれてしまう。ストーリーは付録。こういう人こそ、賞にふさわしい。映画を活気づける大切な人だ。
自分ではそういう人にはなれない。でもスクリーンを見ている間は、その人になってしまう。それが男でも女でも、性差も年齢も越えて、その人になってしまう。いいなあ。魅力的だなあ。ミーハーになってしまう。観客をミーハーにしてしまう俳優こそ「主演男優・女優賞」にふさわしい。観客をミーハーにしないような俳優はスターではない。
だからね、ブラッド・ピットとか、キャーキャーさわがれる人が受賞すると、映画はもっとおもしろくなると思う。
(あ、私自身は、今回のジェニファー・ローレンスはそんなに美人とは思わないけれど、これはまた別のことで……。)
ちょっと話をもどすと。
実在の人物は受賞に有利、というのは「コメディ」の苦戦にも通じる。「ビッグ」のトム・ハンクス、「テッド」のマーク・ウォールバーグ(今回)のような、とんでもない「おもちゃ」映画では、どんなに「演技」が秀逸であっても、演じられた人物(役)に対する評価が追加点にならないので、賞レースでは苦戦してしまう。「チャンス」のように「おもちゃ」映画ではなくて、かなり厳しい諷刺を含んだ映画(作品そのものも評価が高い作品)でも、ピーター・セラーズと主演男優賞をとれなかったからねえ。
まあ、賞は映画を活気づけるためのお祭りだから、それはそれでいいのだろうけれど、なんだか「そっくり賞=アカデミー賞」という好きになれないなあ、というのが私の気持ち。アカデミー賞に比べると昔あった「スクリーン」「ロードショウ」の俳優人気投票の方がはるかにすばらしい名誉だと思う。
「うまい」よりも「好き(かっこいい)」の方が、映画を見にゆく要素なのだから。
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