セリーヌ・シアマ監督「燃ゆる女の肖像」(★★-★)(2020年12月05日、キノシネマ天神1)
監督 セリーヌ・シアマ 出演 ノエミ・メルラン、アデル・エネル
予告編、ポスターでは気がつかなかったのだが、たぶん、真剣に見ていないからだ。実際に映画が始まると、私はかなり真剣に映像を見るのだろう。「タイトル」がスクリーンにあらわれた瞬間、映画を見終わった気分になった。フランス人はそういうことを感じないだろう。日本人だけが(あるいは中国人も)感じる「いやあな・もの」が突然映し出される。「燃ゆる女の肖像」というタイトル。「燃ゆる」の古くさい響きはまだ「気取っている」というだけで許せるが、「肖像」の「肖」に私はげんなりした。ワープロなので表記できないが「肖」の漢字が「鏡文字」になっている。「肖」は左右対称の漢字に見えるが、よく見ると左右対称ではない。第一画と第三画は「筆運び」が違うし、最後の「月」も「はね方」が違う。大きなスクリーンだと、目の悪い私にもくっきり見えてしまう。この「鏡文字」のどこに問題があるか。ストーリーを先取りしてしまっている。「文字」が演技してしまっているのだ。
「肖像」は描かれるひとの肖像である。画家はモデルを見て、その肖像を描く。これは一方通行の視点。しかし、この映画は、そういう一方通行の視点で描かれるわけではなく、モデルがモデルでありながら画家を見つめることを暗示している。見つめ、見つめ合い、たがいに相手の中に自分を見つける。つまり「鏡」を見るようにして自分を発見していく。そういうストーリーになることが暗示されるのである。というか、暗示を通り越して、あからさまに語られてしまう。
実際、ストーリーが予想していた通りに展開してしまうと、もう映画を見ている感じにはぜんぜんなれないのだ。なんというか……。さっさと終われよ。くどくどくどしい、と思ってしまう。タイトル文字を考えたひとは「気が利いている」と思ったのだろうが、観客をばかにしすぎている。
せっかく二人以外の女、家事手伝いの女を登場させ、堕胎までさせる。そのときの情景を画家に描かせるというような、「描くとは何か」(見るとは何か)という問題を提起しているに、「肖」の「鏡文字」のせいで、台だしになっている。堕胎する少女の手を、まだ歩くこともできない赤ちゃんが無邪気につかむところなど、「鏡文字」がなかったら生と死の非対称の対称が浮かびあがって感動してしまうのだが、「すべては鏡文字ですよ」と最初に説明されてしまっているので、なんともつまらない。
途中で何回が出てくる「本物の鏡」さえも「鏡文字」を明確にするためのものにしか見えない。映画がタイトル文字のために奉仕させられている。
ラストシーンの、画家がモデルを遠くから見つめるシーンも、「鏡文字」がなければ感動的なのだが、「鏡文字」があるばっかりに感動しない。つまり、ラストシーンでアップでスクリーンに映し出されるモデルのこころのふるえ、音楽に共鳴しながす涙は、同時にそれを見つめる画家の顔なのである。同時に、それは観客の顔でもある、と最初から説明してしまっているからである。
もう一度タイトルを映し出せ、ものを投げつけてやる、といいたい気分になる。
途中の女たちだけの祭りで歌われる歌がとても印象的だった。映画が終わったあとのクレジットの部分でも少し流れる。フランス語なのでよくわからないが「なんとかかんとか、ジレ」と聞こえる。「わたしは行こう」なのか「わたしは行ってしまう」なのかわからないが、「別れ」のようなものが歌われていると聞いた。これに途中に出てくる「後悔するのではなく、思い出すのだ」というセリフが重なる。そういう意味ではここも「鏡文字」なのだが、フランス語の歌の文句がよくわからないだけに(字幕もないので)、勝手に想像することができて楽しい。
なんでもそうだけれど、最初から「答え」を見せられるのは楽しくない。わからないなりに、これはなんだろう、と自分自身の「肉体」の奥にあるものをひっぱりだしてきて、いま、そこで展開されている「こと」のなかに参加していくというのが楽しいのだ。このよろこびを奪ってはいけない。
タイトルの「肖像」がふつうの文字で書かれていたら、私はきっと★を4個つけたと思う。でもタイトルにがっかりしてしまったし、そのがっかりを促すように映画が進んでいくので、ほんとうに頭に来てしまった。「字」がかってに演技するな。
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「肖像」は描かれるひとの肖像である。画家はモデルを見て、その肖像を描く。これは一方通行の視点。しかし、この映画は、そういう一方通行の視点で描かれるわけではなく、モデルがモデルでありながら画家を見つめることを暗示している。見つめ、見つめ合い、たがいに相手の中に自分を見つける。つまり「鏡」を見るようにして自分を発見していく。そういうストーリーになることが暗示されるのである。というか、暗示を通り越して、あからさまに語られてしまう。
実際、ストーリーが予想していた通りに展開してしまうと、もう映画を見ている感じにはぜんぜんなれないのだ。なんというか……。さっさと終われよ。くどくどくどしい、と思ってしまう。タイトル文字を考えたひとは「気が利いている」と思ったのだろうが、観客をばかにしすぎている。
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