広田修「神話」(「現代詩手帖」2007年07月号)。
これも蜂飼耳が選んでいる「新人作品」の入選作。「2」の部分。
ことばへの愛着が感じられて、うれしくなる。詩とはことばなのだ。ことばが好きなひとが詩を書くのである。
ことばへの愛着と同時に、広田には「発想」への愛着というものがあるのかもしれない。アイデアで読者を驚かせて楽しむ。話のなかに読者を引き込んで楽しむ。--発想の楽しいストーリーの、たとえば小説が好きなのかもしれない。
ちょっと残念なのは、その発想に嘘がないことである。
たとえば賢者と本をつなぐ機械。ここに嘘が紛れ込むととてもおもしろくなると思う。そんな機械などどこにもないのだから、どんな嘘を書いてもいいはずである。大きさとか、パイプの特徴とか、色とか、その瞬間に発する巨大な熱とか光とか……。
そういう嘘があると、その嘘の機械がそのまま「辞書」の構造のようになり、楽しいのではないだろうか。
今のままでは、ちょっとした「メモ」という感じがしてしまう。
もっとも、この「神話」が 200くらい集まれば、それはまた印象が違ってくる。7月号に書かれているのは「時計」「辞書」「綱渡り」「椅子」の4つなので、これがこれから先、どこまで増えるのか楽しみに待ちたい。書いているうちに文体も変化してくるだろう。それもたのしみである。
これも蜂飼耳が選んでいる「新人作品」の入選作。「2」の部分。
昔、その国の言葉を全て知っている賢者がい
た。だがあるとき賢者は、言葉を忘れていく
という重い病気にかかった。国の言葉のう
ち、あまり頻繁には使われない多くの言葉が
失われてしまうことを恐れた賢者は、ある機
械を発明した。その機械は、賢者の脳と何も
書かれていない本をつなぐもので、賢者の脳
から抜け落ちた言葉を、その意味とともに文
字として本に書き込むものだった。病気の進
行に伴って賢者が言葉を忘れていくにつれ、
本には少しずつ言葉が書き込まれていった。
賢者が全ての言葉を忘れたとき、本は完成し
た。この本を後世の人々は辞書と呼んだ。
ことばへの愛着が感じられて、うれしくなる。詩とはことばなのだ。ことばが好きなひとが詩を書くのである。
ことばへの愛着と同時に、広田には「発想」への愛着というものがあるのかもしれない。アイデアで読者を驚かせて楽しむ。話のなかに読者を引き込んで楽しむ。--発想の楽しいストーリーの、たとえば小説が好きなのかもしれない。
ちょっと残念なのは、その発想に嘘がないことである。
たとえば賢者と本をつなぐ機械。ここに嘘が紛れ込むととてもおもしろくなると思う。そんな機械などどこにもないのだから、どんな嘘を書いてもいいはずである。大きさとか、パイプの特徴とか、色とか、その瞬間に発する巨大な熱とか光とか……。
そういう嘘があると、その嘘の機械がそのまま「辞書」の構造のようになり、楽しいのではないだろうか。
今のままでは、ちょっとした「メモ」という感じがしてしまう。
もっとも、この「神話」が 200くらい集まれば、それはまた印象が違ってくる。7月号に書かれているのは「時計」「辞書」「綱渡り」「椅子」の4つなので、これがこれから先、どこまで増えるのか楽しみに待ちたい。書いているうちに文体も変化してくるだろう。それもたのしみである。