詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(73)

2020-01-17 09:28:10 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (とどまりたい 心の上に)

 この詩も、ことばが次々にかわっていく。「とどまりたい」という思いを裏切るように動いていく。そして、その最後。

しかし雨のなかを長い橋を渡つていくとき
そのためにはわたしはすつかり別人にならねばならぬように思う

 「別人になる」とは「心」が「別の心になる」ことである。長い橋を「渡る」のは「別人」ではなく同じ「肉体」。「渡る」という動詞の前に、「心(感情、あるいは認識かもしれない)」は変わってしまっていなければならない。そう思っている。
 このとき「心」には「上」も「下」もない。 
 「心」のあり方そのものが、一行目とは「別」のものになってしまっている。
 ことばを動かし、書くということは、こころを変えてしまうものなのだ。







*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)


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