詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

徳永孝「狩る人漁る人」、青柳俊哉「三日月の形になって」、池田清子「配列」

2020-12-29 21:44:36 | 現代詩講座
徳永孝「狩る人漁る人」、青柳俊哉「三日月の形になって」、池田清子「配列」(朝日カルチャーセンター福岡、2020年12月22日)

狩る人漁(すなど)る人   徳永孝

東の海では
漁師の女がつかまえられ逃げるタコに話しかける
老いた漁師は魚は天のくれらすもんでござすと語る

北の大地では
キツネがチャランゲでアイヌの若者の不当な仕打ちを訴える
アイヌの長老はそれを聞き
キツネの神様(カムイ)に許しを請い祈る

南のカリブ海では
老人がこれから釣り上げようとするカジキマグロを
人に対するようにhim と呼ぶ

狩る人漁る人と獲物との対話
自然のもたらすものを人々が要ると思うだけ受け取る
これ以上の栄華のどこにゆけばあろうか?

農耕が始まり
作物は人が育てるものとなった
工業化社会となり
食品は商人から買うものとなった

ヒトの呼吸する酸素を
生きる糧を生み出す自然は
ヒトの意識から薄れてゆくき
気づかぬうちに その力は失われていく

はるか遠く
暗い海の上に
影がはい上る

 「かつては自然と人間が対等の関係だったが、それがくずれていく。いまの世界から欠けていくもの描いている」「壮大な感じがする。自然と動物の営みが、東、北、南と展開する」という感想が聞かれた。
 「どこに、対等というものを感じたか」と私は問いかけてみる。
 「四連目、特に自然の自然のもたらすものを人々が要ると思うだけ受け取る、という行。必要なものだけを受け取る。そこに対等、調和がある。いまは、それがくずれている」 たしかにそうなのだと思うが、私はもう少し「意味」をではなく、「ことば」にこだわって読みたい。
 たとえば一連目の「タコに話しかける」、二連目の「キツネが訴える」には、人間とタコ、キツネがことばをかわしている様子が書かれている。ことばをかわすことができるのは、タコ、キツネ、人間が対等だからではないだろうか。三連目ではそれが魚に「人に対するようにhim と呼ぶ」という形で書かれている。「人に対するように」ということばには「同じように」が省略されている、と読むことができる。

人に対する(のと同じように)ようにhim と呼ぶ

 この「人間に対するのと同じように」は、一連目では「人間に対するのと同じように、タコに話しかける」という形で補うことができ、二連目では逆にキツネが「キツネに対するのと同じように、アイヌの長老に、アイヌの若者の不当な仕打ちを訴える」という形で書かれている。
 「話しかける」「訴える」「呼ぶ」に共通するのは、「ことば」である。
 「ことば」をつかって人間と自然が対等に会話する。四連目に「対話」ということばで、それは要約されている。
 そう読むと、この詩は「起承転結」をふまえて構成されていることがわかる。
 一、二、三連は「起」である。具体的に三つの「ことばのあり方」が語られる。それを四連目で「対話」という形に整えて、言い直す。「承」である。
 五、六連目は「承」で要約したことを、さらに別の角度から言い直す。「転」である。一、二、三連目で書かれていたことが、その瞬間のことだったのを、「歴史」という長い時間の中で見つめなおす。
 歴史の中で人間と自然の関係は、どう変わってきたか。人間自身はどう変わったか。それが自然に対してどういう変化を与えたか。
 「壮大な感じ」がするのは、この「転」が一瞬ではなく、歴史的視点をもって書かれているからだろう。
 最終連の三行(結)は、短くて、象徴的である。この短くて、象徴的であることも、この詩を強くしている。「意味」をはっきりとは特定しない。読者に考えさせる。詩は、読者に何かを教えるためにあるのではなく、何かを考えさせる、何かを感じさせるためにある。読者が考え、感じれば、それで詩の仕事(あるいは、ことばの仕事)は成功したのである。「答え」を教えるのではなく、何かを考え、何かを感じる、という「動詞(生き方)」という方向へ読者を誘えば、それでいいのだ。
 最後の行の「影」は特に象徴的である。「自然の逆襲」と読んだ受講生がいる。私は、この「影」を四連目に出てくる「栄華」と関係づけて読みたい。「栄華」は「光」であり、その対極にあるものが「影」だろう。だから「自然のもたらすものを人々が要ると思うだけ受け取る」という関係が崩壊したあとの「できごと(事件)」が「影」。それはたしかに「自然から逆襲」しもしれないが、私は「答え」は保留して、この「影」は詩のなかでは、どのことばと向き合っているのだろうか、と考えるのである。また、この「影」は六連目の「薄れてゆき」という動詞とも関連づけて読むことだできる。ただし、その「薄れる」は「影」が薄れるのではなく、「栄華(光)」が薄れ(弱くなり、失われ)、その結果として「影(闇)」が大きくなるという形で動いているといえる。そう考えると、「暗い海」の「暗い」ということばも納得できる。「意識から薄れていく(意識されない)」は「はるか遠く」とも重なる。
 この詩には、また、多くのことばの呼応があり、それが詩を引き締めている。たとえば五連目の「農耕/作物/人/育てる」と「工業/食品/商人/買う」の簡潔な対比なのである。



三日月の形になって  青柳俊哉

三日月の形になって 
空にくつろいでいる少女 
ホワイトワイン・フランスティーに
ストロベリー・トーストを浸して

トランペットが晴れやかに吹かれて
地上の朝から 一斉にハトが飛び立つ
百合や水仙を手にして
神さまたちの風雅な合戦がはじまる

真っ白い紙に
なつかしい未来をうつす少女
この夢が
地上におりてきますように

 「ことばひとつひとつが美しく、全体のイメージも美しい」「絵にしたら、好きな絵になる」という受講生の感想。
 「ホワイトワイン・フランスティー」「ストロベリー・トースト」は音そのものとしても美しいと思う。美しすぎるかもしれない。それが「イメージ」という印象を与える。現実ではなく、イメージ。
 それは、しかし、青柳の狙いであり、思想(肉体)だろう。「現実」そのものを描くのではなく、「精神的内面」を描く。
 それはことばでしか成り立たない世界を「ある」ものとして「いま/ここ」に出現させることでもある。
 三連目の「なつかしい未来」。ふつうは「過去」がなつかしい。未来には記憶がないから「なつかしい」と呼ぶことはできないのだが、それでも「なつかしい未来」と聞いた瞬間に何事かを思い起こす。夢見続けてきた未来、自分にとってはとてもよく知っている未来。「未来」を「夢」と言い直しているが、長い間夢見続けていた夢が実現したときは、うれしいと同時に「なつかしい」と感じるかもしれない。
 この「地上」と、一連目の「空」が呼応して、ひとつの世界を作っている。
 ことば独自の世界、という点では「地上の朝から 一斉にハトが飛び立つ」も、そういう世界だということができる。「朝、地上から」ではなく「地上の朝から」と「朝」という時間を「場所」のように書いている。「時間」と「場所」が一体になった「時空間」をさっと思い起こさせることばである。スピード感のあることばだ。私は、こういうスピード感のあることばが好きである。
 感想を語り合うなかで話題になったのは、二連目の「風雅な合戦」である。武器ではなく、百合や水仙の花を手にしている戦いだから「風雅」になる。青柳は、平安時代だったか、カエルの合戦の絵がある。それがヒントになった、と「種明かし」をしてくれた。 



配列       池田清子

10100101
01011001
10101010
00010101

0はあなた わたしは1
0はわたし あなたが1

どこか一か所でも
配列が違っていたら

わたしたち
どう出会い
どう歩き
どんな暮らしをしていたかしらね

また別の行き違いがあったかな
案外 すさまじい戦いをしていたりして
もっとずっと長く一緒にいられたのかなあ

いやいや
3とか5とか入ってきて
もうぐちゃぐちゃだったりして

 「書き出しにびっくり」「意味はわからないが0と1の並べ方にドラマがあるのかも」「二進法なのでコンピューターのことを思い出した」
 私も二進法を考えた。一行ずつがある瞬間(時期)の「わたし」か「あなた」かをあらわしていると思った。二連目には0、1のいずれかがあなた、わたしと書いているけれど。
 あなたとわたしの出会いを思い、過去を振り返る。四連目の「どう歩き」がなんでもないような表現だけれど、過ぎ去った時間の長さを信じさせる。歩いてきた人生、ということばをふと思い出させる。
 五連目は、ちょっとおもしろい「読み違い」があった。受講生は、「また別の行き違いがあったかな/案外 すさまじい戦いをしていたりして」「もっとずっと長く一緒にいられたのかなあ」という具合に、「すさまじい戦い」と「長く一緒に」を切り離して読んだのに対して、わたしは「すさまじい戦い」をした方が「長く一緒に」いられたかも、と読んだのである。私の読み方は、いわば「雨降って地固まる」のたぐい。
 そのあとの最終連。これがとてもおもしろい。
 亡くなった夫のことを思い出しているのだが、「悲しみが、ふわっとしている」という受講生の感想がすばらしかったが、まさに「ふわっとしている」。3とか5とかが入ってきたら、もう二進法の世界ではなく、別世界なのだが、そういうことは想像されていない「安心感」がある。安心した上で、よかったなあという感じをかかえたままで、ことばが動いている。
 それを象徴している(?)のが「ぐちゃぐちゃ」である。
 これを自分のことばで言うと何になる? 私は、いつもこういう「答えられない質問」をして受講生を困らせる。「答え」がほしいのではなく、考えたいから。「ぐちゃぐちゃ」ということばは誰もがつかうが、その意味は? 言い換えることができるか。
 「混乱」「支離滅裂」というような「言い換え」があったが、それはこの最終行には似合わないね。「ふわっとした感じ」とは少し違ってくる。そうしてみると、この「ごちゃごちゃ」はとてもいい表現なんだ。
 似たことばに「めちゃくちゃ」がある。同じことばの繰り返しでは、意味は違うが「ねばねば」とか「ねちゃねちゃ」というのもある。「ぐちゃぐちゃ」よりも何か粘着力があって悲惨だ。
 「ぐちゃぐちゃ」もネガティブなことばなのだけれど、悲惨や後悔とは少し距離がある。そういうことを私たちは無意識に、肉体で判断し、この「ふわっとした感じ」を納得するのだと思う。








**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」11月号を発売中です。
142ページ、1750円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=1680710854

(バックナンバーは、谷内までお問い合わせください。yachisyuso@gmail.com)



オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« セルゲイ・ロズニツァ監督「... | トップ | 高橋睦郎『深きより』(25) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

現代詩講座」カテゴリの最新記事