初笑い(のち、怒り爆発)
自民党憲法改正草案を読む/番外161(情報の読み方)
2018年01月03日読売新聞(西部版・14版)1面の見出し。
本文には、こう書いてある。
もっともらしく聞こえるが、「嘘だろう」と私は言ってしまう。「キラキラネーム」というらしいが、いまの若い人は、どう読んでいいのかわからないような漢字をこどもの名前につけている。私の感覚で言えば「なじみにくい漢字」だ。私のような老人には「なじみにくい漢字」が好まれている。
「元号」をつかうのはもっぱら「老人」だから、「老人」になじみやすい漢字をつかい、「老人」の元号離れを防ぐということかもしれない。あるいは「云々」を読めない安倍のために簡単な漢字の元号が必要ということなのか。
若者のことは知らないが(私以外の老人のことも知らないが)、若者が「元号離れ」をしているのなら、簡単な漢字をつかったからといって「元号」にもどってくるとは思えない。「平成」は2文字で「11画」。もし、「画数」が大事なら「1文字15画以内」は「平成」よりはるかに複雑。「2文字11画以内」にしないと。
若者はさておき、老人である私は「平成」になってから、「平成」を自分からつかったことがない。「昭和」と結びつけて「年数」の計算をするのがややこしいからである。私は50歳をすぎたころから自分の年齢を間違えるようになった。気にしなくなったからである。どうしても思い出さないといけないときは、「昭和」と「平成」をつかって考えるのではなく、西暦を利用している。簡単だからね。
国民の「簡便さ」を考えるなら、年号なんかやめてしまえばいい。年月の数え方に二種類あるのは面倒くさい。ひとつにすれば、とても簡単なのに。便利なのに。
そういうことと関係するのだが。
ここで、私は笑いが止まらなくなった。
「政府」というのは具体的にだれのことを指しているのか知らないが、頭文字(アルファベット)以外に年号の識別方法がないわけではないだろう。「官民でつかわれる書類の年号表記がアルファベットの頭文字となっている場合があり」ということは、アルファベットの頭文字を使用していない官民もあるということだろう。同じ頭文字で区別ができないと思うなら、それぞれが工夫するだろう。それくらいは面倒でもなんでもない。「書類」には最初から「M、T、S、H」が印刷されているのだろう。それを「明、大、昭、平」の一文字にすればいいだけである。「M、T、S、H」なら明治、大正、昭和、平成の略(頭文字)だとわかるが、「明、大、昭、平」の一文字だと「これはどういう意味ですか?」と国民の誰かが聞くとでも思っているのだろうか。
天皇が死んで、その結果、天皇が交代し、新しい「年号」になるというのなら、まだ、最初の内は「混乱する」ということがあるかもしれないが、前もって「年号」を発表するのだから、それがどんな「年号」になろうが、だれも混乱しないだろう。国民の混乱を避けるために、前もって「年号」を発表するのではなかったのか。
で、ここから私は妄想するだが。
なぜ、こんなにあたふたと「新元号」のことを重大事のように騒ぐのだろう。その口実に「国民」を引き合いに出すのだろう。
これは国民のためなんかではない。
「退位/即位」も、最初は「国民の混乱を防ぐ」という口実で「1月1日」が政府の方針だったはずだ。宮内庁から「1月1日は忙しいからむり」と難色を示されて、変更することになった。「4月1日」が「年度がわり」で国民には馴染みがあるが、政府は「5月1日」にした。統一地方選があるためだ。選挙に「退位/即位」が影響するのを恐れたのだ。「静かな環境で退位/即位」というのが政府の方便だが、民主主義というのは「うるさい」のが基本。選挙は「民主主義」の根幹。与野党のせめぎあいのさなかに天皇が交代するのは、私なんかは、わくわくするようなおもしろいことだと思う。
「天皇」は「象徴」だが、「象徴」は「自動的」に「象徴」になるのではない。国民が天皇を「象徴」にするのである。
憲法には、
と書いてある。「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とは、国民の総意がなければ、だれも「天皇=象徴」という「地位」にはつけないということである。
「天皇は」という書き出しのために、「主語」が天皇であると錯覚しがちだが、憲法の「主語(主役)」は常に「国民」である。
「国民の総意」が天皇を「象徴」にするのである。天皇は「国民の総意」をくみながら「象徴」になる。
「基く」という「動詞」を読み落としてはならない。
少し脱線したが。
なぜ、こんなにあたふたと「新元号」のことを重大事のように騒ぐのだろう。
安倍が、いまの天皇の存在をはやく消してしまいたいと思っているからだと、私は判断している。
憲法を改正するにあたって、「護憲派」の天皇の存在を国民が意識するようでは困るのだ。安倍は、護憲派天皇の姿を国民から消してしまいたいのだ。戦争の歴史を反省し、平和を祈るいまの天皇の姿が国民の意識に強くのこっていると、戦争へ向けての憲法改正ができない。だから、天皇の存在を消そうとしている。
「天皇の悲鳴」に書いたことだが、天皇が戦争の犠牲者に対して深く哀悼のことばを語るのに対して、安倍は「御霊」を追悼するだけである。「御霊」とは戦場で死んで言ったひとだ。安倍は国民を「御霊」にしたがっている。防衛大学での訓示が象徴的である。安倍は「自衛隊員」を「片腕」と呼んでいる。安倍の「片腕(肉体)」にしようとしている。安倍は戦場から離れた場所で指揮をとり、自衛隊員が安倍のかわりに戦場で死ぬ。「御霊」ということばと引き換えに。
いったい戦場で死んで「御霊」になりたいひとがいるのだろうか。
新聞を読んでいる内に、「初笑い」が「初怒り」になった。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
*
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自民党憲法改正草案を読む/番外161(情報の読み方)
2018年01月03日読売新聞(西部版・14版)1面の見出し。
新元号 少ない画数に/政府方針 1文字15画上限
本文には、こう書いてある。
政府は、皇太子さまの即位に伴う2019年5月1日の改元を巡り、新たな元号は画数ができるだけ少なく、なじみやすい漢字を用いる方針だ。国民の「元号離れ」を防ぐ狙いがある。
もっともらしく聞こえるが、「嘘だろう」と私は言ってしまう。「キラキラネーム」というらしいが、いまの若い人は、どう読んでいいのかわからないような漢字をこどもの名前につけている。私の感覚で言えば「なじみにくい漢字」だ。私のような老人には「なじみにくい漢字」が好まれている。
「元号」をつかうのはもっぱら「老人」だから、「老人」になじみやすい漢字をつかい、「老人」の元号離れを防ぐということかもしれない。あるいは「云々」を読めない安倍のために簡単な漢字の元号が必要ということなのか。
若者のことは知らないが(私以外の老人のことも知らないが)、若者が「元号離れ」をしているのなら、簡単な漢字をつかったからといって「元号」にもどってくるとは思えない。「平成」は2文字で「11画」。もし、「画数」が大事なら「1文字15画以内」は「平成」よりはるかに複雑。「2文字11画以内」にしないと。
若者はさておき、老人である私は「平成」になってから、「平成」を自分からつかったことがない。「昭和」と結びつけて「年数」の計算をするのがややこしいからである。私は50歳をすぎたころから自分の年齢を間違えるようになった。気にしなくなったからである。どうしても思い出さないといけないときは、「昭和」と「平成」をつかって考えるのではなく、西暦を利用している。簡単だからね。
国民の「簡便さ」を考えるなら、年号なんかやめてしまえばいい。年月の数え方に二種類あるのは面倒くさい。ひとつにすれば、とても簡単なのに。便利なのに。
そういうことと関係するのだが。
新元号のアルファベットの頭文字は、明治(M)、大正(T)、昭和(S)、平成(H)と重ならないようにする方針だ。官民でつかわれる書類の年号表記がアルファベットの頭文字となっている場合があり、混乱を避けるためだ。
ここで、私は笑いが止まらなくなった。
「政府」というのは具体的にだれのことを指しているのか知らないが、頭文字(アルファベット)以外に年号の識別方法がないわけではないだろう。「官民でつかわれる書類の年号表記がアルファベットの頭文字となっている場合があり」ということは、アルファベットの頭文字を使用していない官民もあるということだろう。同じ頭文字で区別ができないと思うなら、それぞれが工夫するだろう。それくらいは面倒でもなんでもない。「書類」には最初から「M、T、S、H」が印刷されているのだろう。それを「明、大、昭、平」の一文字にすればいいだけである。「M、T、S、H」なら明治、大正、昭和、平成の略(頭文字)だとわかるが、「明、大、昭、平」の一文字だと「これはどういう意味ですか?」と国民の誰かが聞くとでも思っているのだろうか。
天皇が死んで、その結果、天皇が交代し、新しい「年号」になるというのなら、まだ、最初の内は「混乱する」ということがあるかもしれないが、前もって「年号」を発表するのだから、それがどんな「年号」になろうが、だれも混乱しないだろう。国民の混乱を避けるために、前もって「年号」を発表するのではなかったのか。
で、ここから私は妄想するだが。
なぜ、こんなにあたふたと「新元号」のことを重大事のように騒ぐのだろう。その口実に「国民」を引き合いに出すのだろう。
これは国民のためなんかではない。
「退位/即位」も、最初は「国民の混乱を防ぐ」という口実で「1月1日」が政府の方針だったはずだ。宮内庁から「1月1日は忙しいからむり」と難色を示されて、変更することになった。「4月1日」が「年度がわり」で国民には馴染みがあるが、政府は「5月1日」にした。統一地方選があるためだ。選挙に「退位/即位」が影響するのを恐れたのだ。「静かな環境で退位/即位」というのが政府の方便だが、民主主義というのは「うるさい」のが基本。選挙は「民主主義」の根幹。与野党のせめぎあいのさなかに天皇が交代するのは、私なんかは、わくわくするようなおもしろいことだと思う。
「天皇」は「象徴」だが、「象徴」は「自動的」に「象徴」になるのではない。国民が天皇を「象徴」にするのである。
憲法には、
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
と書いてある。「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とは、国民の総意がなければ、だれも「天皇=象徴」という「地位」にはつけないということである。
「天皇は」という書き出しのために、「主語」が天皇であると錯覚しがちだが、憲法の「主語(主役)」は常に「国民」である。
「国民の総意」が天皇を「象徴」にするのである。天皇は「国民の総意」をくみながら「象徴」になる。
「基く」という「動詞」を読み落としてはならない。
少し脱線したが。
なぜ、こんなにあたふたと「新元号」のことを重大事のように騒ぐのだろう。
安倍が、いまの天皇の存在をはやく消してしまいたいと思っているからだと、私は判断している。
憲法を改正するにあたって、「護憲派」の天皇の存在を国民が意識するようでは困るのだ。安倍は、護憲派天皇の姿を国民から消してしまいたいのだ。戦争の歴史を反省し、平和を祈るいまの天皇の姿が国民の意識に強くのこっていると、戦争へ向けての憲法改正ができない。だから、天皇の存在を消そうとしている。
「天皇の悲鳴」に書いたことだが、天皇が戦争の犠牲者に対して深く哀悼のことばを語るのに対して、安倍は「御霊」を追悼するだけである。「御霊」とは戦場で死んで言ったひとだ。安倍は国民を「御霊」にしたがっている。防衛大学での訓示が象徴的である。安倍は「自衛隊員」を「片腕」と呼んでいる。安倍の「片腕(肉体)」にしようとしている。安倍は戦場から離れた場所で指揮をとり、自衛隊員が安倍のかわりに戦場で死ぬ。「御霊」ということばと引き換えに。
いったい戦場で死んで「御霊」になりたいひとがいるのだろうか。
新聞を読んでいる内に、「初笑い」が「初怒り」になった。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
*
「天皇の悲鳴」(1500円、送料込み)はオンデマンド出版です。
アマゾンや一般書店では購入できません。
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