詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「この世界の片隅で」(追加)

2016-12-12 08:33:19 | 映画
「この世界の片隅で」(追加)

 私がいまいちばん気になっているのは「静か」ということば。
 日露首脳会談は、どうみても「北方四島」の問題はたなあげ。歯舞、択捉の二島先行返還などありえない。先の外相会談で明確になった。日本が金を投資させられるだけ。
 その「予測」が広がると、読売新聞は「プーチン氏の来日は、静かな環境で迎えたい」と社説に書き(12月05日朝刊)、安倍は「静かな雰囲気の中で胸襟を開いて率直に議論する」(12月05日読売新聞夕刊)で語っている。
 「静かな雰囲気」とは「安倍批判が聞こえない環境で」ということであり、ことばを変えると「安倍批判をするな」ということである。
 たとえば首脳会談がおこなわれる山口県に右翼の街頭宣伝車があつまり「ロシアは北方領土から出て行け」と騒いだとしよう。国民の目は安倍が「前宣伝」していた歯舞、択捉の返還はどうなるだろうと注目してみつめることになる。何の成果もないと、きっと失望する。安倍批判が広がる。
 そういうことがあっては安倍が困る(支持率が低下する)から、何もなかったかのように「静かに」していろ、というのである。
 北方領土返還問題には触れず、「経済協力」と、「経済協力」に必要な「ビザなし上陸」だけを安倍はアピールするだろう。首脳会談は成功した、と宣伝するだろう。
 北方問題についてだれかが騒がないと、つまり「静か」にしていると、その問題は存在しなかったことになる。

 「静か」作戦は、夏の参院選で絶大な効果を上げた。大成功だった。
 私は7月3日(いわゆる選挙サンデー、投票日の一週間前の日曜日)に「異変」に気づいた。籾井NHKが参院選報道を抑えた。だれも「参院選」といわなくなった。
 その結果「参院選」は存在しなくなった。(週間予定でもNHKは予告しなかったし、投票日の前日のニュースでも「七月十日」は、「なな」と「とう」で「納豆の日」とういくらい、参院選隠しに終始した。)わずかに伝えるニュースは「民進党にはもれなく共産党がついてくる」という安倍の「言い回し」だけである。この報道によって参院選は自民党か共産党かの二者択一の選挙になり、他の政党は存在しないことになってしまった。

 「静か」であることは、「政権」にとってつねに「有利」に働く。
 問題がどこにあるか、それを指摘する「少数意見」は抹殺される。
 あらゆる声を聞く、多様な声によって「騒がしい」というのが「民主主義」。「静か」は「多様性」を否定する。

 「反戦」を語らない。「イデオロギー」がない。だから「すばらしい」という「この世界の片隅で」への評価は、安倍の好む「静か」につながっている。
 この映画を「反戦」語る出発点にすると、映画の感動が薄れる。「反戦」ということばをつかわずに、そこに描かれている「暮らし/生き方」に感動しろ、というのは、次に戦争が起きたときは、国民は映画の登場人物のように「反戦」を語らず、「日々の暮らしを工夫して生きろ」という「押しつけ」になって働きかけてくる。
 「野にある食べられる草花をつかえば食卓は豊かになる。おいしく健康な生活ができる。ほしがりません、勝つまでは」を実行しろ。「政府批判はしません、勝つまでは」。「静かな雰囲気」のなかで安倍のいう通りにします。そういうことが強制される。

 「静か」を主張するあらゆるものに、私は反対したい。
 
 天皇の「生前退位」問題も、「静かな雰囲気」のなかで検討されている。「生前退位」というの表現は天皇が「生きている」という生々しさ、一種の「うるささ」が伴うので、いまは報道機関は「退位」としか言わない。誰の指示かわからないが、朝日、毎日、読売新聞は足並みをそろえている。(テレビは見ないので、NHKがどうなのかは知らない。)
 「静かな」というのは、安倍の思うがままということである。
 安倍の考えに反対のことを言えば、どうしたって「うるさくなる」。意見が対立するというのは議論がはじまるということであり、議論とはうるさいものだからである。
 「有識者会議」などというものは、議論をするための組織ではなく、議論を抑圧するためのものである。「論点の整理」とは反対意見を封じるためにどういう考えを前面に出すかというだけのことである。

 最近話題になった「流行語大賞」の「日本死ね」騒動も同じ問題として考えてみることができる。
 「死ね」というのは物騒な表現である。怒りがこめられた「うるさい」ことばである。「うるさいことば(乱暴なことば)」を排除し、「静かな雰囲気」で語り合わなければならない、というのが「日本死ね」を批判している人たちの考えの奥にある。
 安倍の好んでつかう「しっかり説明する」は、国民が説明を要求することをあきらめるまで「しっかり口を閉ざす」、余分なことを言わない、「静か」を守り続けるということである。

 「静か」とか「静かな雰囲気」ということばは目立たない。目を引かない。だから、おそろしい。どなことばにも「思想」はある。それを見落としてはならない。



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