タイトル通り、【推しの子】の第116話まで読んだ。
これ、面白いよ、きちんとドラマがあって、キャラの駆け引きもあって。
プロットとしても、
アクア、そしてルビーの復讐譚のピカレスクロマンらしく、きちんとキャラが互いに激高しあうし。
アイを消した黒幕は誰か、というミステリーらしく、ミスリーディングの連続だし。
どんでん返しもいくつかあるけど、それがちゃんとハマっているし。
で、そうした復讐譚&殺人ミステリーという物語の背骨となる大きなプロットが進行する傍らで、個々のエピソードは、現代の芸能あるある!のウンチク・トリビアであふれているので、そこだけで十分楽しめる構成になっている。
しかも、基本は、旧来のテレビ中心のアイドル業界をベースにしながらも、現代らしく、ネット発のインフルエンサーや、マンガ発の2.5次元演劇のような、現実世界におけるジャンル横断的な新たな試みの紹介もされている。
そこでちゃんと適材適所なキャラが配置されているから、メディアの違いが、そこで頭を貼るキャラの特性で戯画化されて描かれるのでわかりやすい。
その上で、アクアを中心に、ルビーやかな、あかねやMEMちょ、が脇を固める形で物語に華を添える。
特に、かなとあかねによるアクア争奪戦は、復讐心に燃えるアクアが唐変木を装っている分、駆け引きだらけになってヤキモキさせられる。
これは、ピカレスクロマンの主人公にありがちだけど、自分をずっと偽って演じてきているため、本人自身、自分の本心がどこにあるのか、わからなくなってしまう。
しかも、この作品の場合は、アクアが転生者で、中の人が生前アイの主治医であったゴローという設定があるため、アクアという存在が何なのか、突き詰めるとわからなくなる、という部分がある。
この「転生」の部分は、実は最新話までにおいても十分、突き詰められているわけではないけれど、ルビーにアクア以上の復讐心を植え付けた「謎の少女」の存在とか、実はこの後、物語は「転生ホラー」とか、「転生神の意向?」とか、超常的な展開に転ぶ余地も残っているだよね。
転生「神」といったのは冗談ではなくて、どうもゴローが務めていた病院あたりの「土地神」のようなものの意志(気まぐれ?)が関わっているようにも思えるので。
アクアとルビーの父親と思しき「カミキヒカル」というから、なんらかの「神様」的存在が介入しないとこんな話にならないだろうし。
それに、なんといってもまだ、アクアとルビーが互いに転生前が誰であったか、明らかにしていないのがね。
どう考えてもアクアがゴロー、ルビーがさりな、だった事実のバレで、アクアとルビーの関係も大きく変わるだろうし。
神の意志が介在している、という「メタ読み」が成立するのは、そうでないと、ルビーの魂として、ルビーの誕生よりも数年前にすでに他界していたさりなの魂が呼び寄せられるはずはないから。
実際、ルビーが、アイの殺害者への復讐に燃えるようになったのは、その黒幕が、アイだけでなくゴローを殺したからでもあるわけで。
そこがアクアよりも復讐心が燃え上がる理由になっている。
それに、謎の少女は、明らかに「さりな」のゴローに対する想いを焚き付けていたし。
ということで、ピカレスクロマンと殺人ミステリーの他に、まだ「転生ホラー」のプロットが残っているんだよね。
それが多分、今連載中の「第九章 映画編」の中で明らかになっていくと思うのだよね。
で、多分、そのためにようやく不知火フリルが本編ドラマに関わり始めてきたのだろうし。
アクア編にとってのあかねに相当するのが、多分、ルビー編のフリルだよね。
探偵役というか、真相に気づいてしまう「勘のいい子」役。
と、こんな具合に、とにかく、物語がよく練れていて飽きさせないのが素晴らしい。
確実に『かぐや様は告らせたい』より面白い。
ていうか、【推しの子】で一番感心したのは、アイの殺害で終わるプロローグのところで、今やっている第九章の映画のことに触れられているんだよね。
つまり、多分、大きな物語の構造はきちんと組み立てられた上で連載が始まっている、ということで。
その分、プロローグにはあとで「なるほど」と思わせるネタがいくつも仕込まれている。
たとえば、生前、アイが、「ルビーはアイドル、アクアは役者」と言っていたのも、アイ自身、アクアの容姿に、父親?の役者カミキヒカルの姿を重ねていたからだったんだ!・・・とかね。
一つ一つのセリフにちゃんと意味がある。
まぁ、だから、「第九章 映画編」を終えると、一気に物語のフェーズが変わるんじゃないか、と感じている。
しかも、この「第九章 映画編」でつくる映画って、基本的にアイの殺害劇に基づくものみたいだから、作中で、プロローグに対する批評を行なうようなものだから。
めちゃくちゃメタな読解がなされるはず。
もちろん、どうやらその映画を通じて、アクアの狙いとしては、アイの殺害の黒幕だった実父?あるいはカミキヒカルを社会的に抹殺しようとしているようだから。
物語の構造が大きくひっくり返る可能性だってある。
場合によったら、カミキヒカルに接触することで転生の秘密まで明かされる展開もありえる。
なにしろ、神の木、なんだから!
ともあれ、116話まで読んだ印象は、『サマータイムレンダ』を読んだときに感じた「作り込み」の妙、だった。
なので、この先も楽しみ。
そういう意味では、アニメの方は、よく原作の特徴を捉えて作られていると思う。
作画や動きは当然として、キャスティングと音楽は相当考えられてるよね。
ズルいのは、芸能界やメディアビジネスが舞台の本作の場合、そうした「作り込みの凄さ」を、絡め手で自画絶賛wする回路も含んでいること。
そのあたりが「メタ読解」を呼び込むところなんだけどねw
マンガにしてもアニメにしても、どちらも続きが楽しみ。
マンガの方は、純粋にどういう展開で物語を終わらせるのか、で。
アニメの方は、そんな原作をどう料理してきたか、という点で。
ホント、面白い!
これ、面白いよ、きちんとドラマがあって、キャラの駆け引きもあって。
プロットとしても、
アクア、そしてルビーの復讐譚のピカレスクロマンらしく、きちんとキャラが互いに激高しあうし。
アイを消した黒幕は誰か、というミステリーらしく、ミスリーディングの連続だし。
どんでん返しもいくつかあるけど、それがちゃんとハマっているし。
で、そうした復讐譚&殺人ミステリーという物語の背骨となる大きなプロットが進行する傍らで、個々のエピソードは、現代の芸能あるある!のウンチク・トリビアであふれているので、そこだけで十分楽しめる構成になっている。
しかも、基本は、旧来のテレビ中心のアイドル業界をベースにしながらも、現代らしく、ネット発のインフルエンサーや、マンガ発の2.5次元演劇のような、現実世界におけるジャンル横断的な新たな試みの紹介もされている。
そこでちゃんと適材適所なキャラが配置されているから、メディアの違いが、そこで頭を貼るキャラの特性で戯画化されて描かれるのでわかりやすい。
その上で、アクアを中心に、ルビーやかな、あかねやMEMちょ、が脇を固める形で物語に華を添える。
特に、かなとあかねによるアクア争奪戦は、復讐心に燃えるアクアが唐変木を装っている分、駆け引きだらけになってヤキモキさせられる。
これは、ピカレスクロマンの主人公にありがちだけど、自分をずっと偽って演じてきているため、本人自身、自分の本心がどこにあるのか、わからなくなってしまう。
しかも、この作品の場合は、アクアが転生者で、中の人が生前アイの主治医であったゴローという設定があるため、アクアという存在が何なのか、突き詰めるとわからなくなる、という部分がある。
この「転生」の部分は、実は最新話までにおいても十分、突き詰められているわけではないけれど、ルビーにアクア以上の復讐心を植え付けた「謎の少女」の存在とか、実はこの後、物語は「転生ホラー」とか、「転生神の意向?」とか、超常的な展開に転ぶ余地も残っているだよね。
転生「神」といったのは冗談ではなくて、どうもゴローが務めていた病院あたりの「土地神」のようなものの意志(気まぐれ?)が関わっているようにも思えるので。
アクアとルビーの父親と思しき「カミキヒカル」というから、なんらかの「神様」的存在が介入しないとこんな話にならないだろうし。
それに、なんといってもまだ、アクアとルビーが互いに転生前が誰であったか、明らかにしていないのがね。
どう考えてもアクアがゴロー、ルビーがさりな、だった事実のバレで、アクアとルビーの関係も大きく変わるだろうし。
神の意志が介在している、という「メタ読み」が成立するのは、そうでないと、ルビーの魂として、ルビーの誕生よりも数年前にすでに他界していたさりなの魂が呼び寄せられるはずはないから。
実際、ルビーが、アイの殺害者への復讐に燃えるようになったのは、その黒幕が、アイだけでなくゴローを殺したからでもあるわけで。
そこがアクアよりも復讐心が燃え上がる理由になっている。
それに、謎の少女は、明らかに「さりな」のゴローに対する想いを焚き付けていたし。
ということで、ピカレスクロマンと殺人ミステリーの他に、まだ「転生ホラー」のプロットが残っているんだよね。
それが多分、今連載中の「第九章 映画編」の中で明らかになっていくと思うのだよね。
で、多分、そのためにようやく不知火フリルが本編ドラマに関わり始めてきたのだろうし。
アクア編にとってのあかねに相当するのが、多分、ルビー編のフリルだよね。
探偵役というか、真相に気づいてしまう「勘のいい子」役。
と、こんな具合に、とにかく、物語がよく練れていて飽きさせないのが素晴らしい。
確実に『かぐや様は告らせたい』より面白い。
ていうか、【推しの子】で一番感心したのは、アイの殺害で終わるプロローグのところで、今やっている第九章の映画のことに触れられているんだよね。
つまり、多分、大きな物語の構造はきちんと組み立てられた上で連載が始まっている、ということで。
その分、プロローグにはあとで「なるほど」と思わせるネタがいくつも仕込まれている。
たとえば、生前、アイが、「ルビーはアイドル、アクアは役者」と言っていたのも、アイ自身、アクアの容姿に、父親?の役者カミキヒカルの姿を重ねていたからだったんだ!・・・とかね。
一つ一つのセリフにちゃんと意味がある。
まぁ、だから、「第九章 映画編」を終えると、一気に物語のフェーズが変わるんじゃないか、と感じている。
しかも、この「第九章 映画編」でつくる映画って、基本的にアイの殺害劇に基づくものみたいだから、作中で、プロローグに対する批評を行なうようなものだから。
めちゃくちゃメタな読解がなされるはず。
もちろん、どうやらその映画を通じて、アクアの狙いとしては、アイの殺害の黒幕だった実父?あるいはカミキヒカルを社会的に抹殺しようとしているようだから。
物語の構造が大きくひっくり返る可能性だってある。
場合によったら、カミキヒカルに接触することで転生の秘密まで明かされる展開もありえる。
なにしろ、神の木、なんだから!
ともあれ、116話まで読んだ印象は、『サマータイムレンダ』を読んだときに感じた「作り込み」の妙、だった。
なので、この先も楽しみ。
そういう意味では、アニメの方は、よく原作の特徴を捉えて作られていると思う。
作画や動きは当然として、キャスティングと音楽は相当考えられてるよね。
ズルいのは、芸能界やメディアビジネスが舞台の本作の場合、そうした「作り込みの凄さ」を、絡め手で自画絶賛wする回路も含んでいること。
そのあたりが「メタ読解」を呼び込むところなんだけどねw
マンガにしてもアニメにしても、どちらも続きが楽しみ。
マンガの方は、純粋にどういう展開で物語を終わらせるのか、で。
アニメの方は、そんな原作をどう料理してきたか、という点で。
ホント、面白い!