いや、まぁ、そりゃ、そうだよね。
それ、一度はデモンストレートしておかなくちゃだめだよねw
頭を潰された九郎くんが、ヴァンパイアよろしく、頭を再生するところw
いや、わかってはいるのだけど、確かに、紗季さんじゃないけど、グロい。
このどうしようもないくらいの本質的なグロさがあるから、全体のトーンを、のんきな妖怪ものの雰囲気にしたのかもしれない、・・・、とちょっと思った。
とはいえ、件(くだん)の未来予知、というか、未来の決定能力は、やっぱりすごいし、面白いな。
桜川家の当主が、この件の力を取り込むために必要と考えて、あわせて不死の力を人魚の肉から得ることにした、という設定は、原作を読んだときには読み流していたので、今回の説明を聞いて、いまさらながら納得。
となると、問うべきは、桜川家の当主は、この「未来の確定能力」でなにをしたかったのだろう?と気になってくる。
いや、もちろん、当面の敵は「鋼人七瀬」なわけだけど、この物語は、もっと大きな物語、というか、桜川家の陰謀の序章にすぎないだろうから。
そのことを思い出させてくれたのはよかった。
あくまでも、人魚の不死性は、件の未来確定能力の行使のための必要条件でしかないこと。
この順番を取り違えてはいけないということだよね。
未来のなにを確定させたかったのか?
それは、今代になって、九郎の祖母が、九郎ら孫たちに、件の肉と人魚の肉を食らわせた目的だったのだから。
桜川家の悲願は何だったのか?
これは、頭の片隅においておいていいのだろうな。
ていうか、こういう本家の意向による呪縛、という点では、確かに物語も城平京の作品なんだな、と思った。
だって、『絶園のテンペスト』でも、葉風の実家である鎖部家の目的が、物語の柱になっていたから。
とまれ、当面の標的は「鋼人七瀬」。
にしても、みんなの願望やイメージが「鋼人七瀬」を生み出した、というのは、原作が書かれた2010年代初頭なら、ちょっとは目新しいところはあったかもしれないけれど。
でも、いまやバズは当たり前の時代で、そこら中にYouTuberもいるわけだから、この物語の根幹をなす「想像力の怪物」という設定自体が、すでに陳腐なものになっているのは否めない。
さすがに、今更そんなこと、得意げに解説する?琴子さん?、って感じだな。
映像にするには、さすがに遅かったかも、と思った。
むしろ、やっぱり、原作を文字で追いかけながら、まさに「想像力」でイメージを補っていると実感しながら、物語を楽しむほうがあっている。
その意味では、やっぱりこの作品は、映像よりも原作のほうが楽しめるな。
だって、自分が今、目の前の文字を読みながら「想像している怪物」が、他の読者の間でも似たような形で想像されているのだろうな、とまさに「想像」できるからこそ、この「鋼人七瀬」の話は信憑性が増すわけだから。
それをすでにアニメの形でお仕着せの形で映像イメージを与えた上で、それを琴子に解説させてしまって、元も子もない。
鋼人七瀬、確かにあり得るかも?と思えるようなリアリティのための手順、つまり、自分で読んで想像する機会が、予め奪われてしまっているのだから。
ということで、なんかやっぱり、中途半端な作品になってしまったなぁ。
この物語の醍醐味、面白さの源泉が、アニメにした時点で全部奪われてしまうのだから。
今回、それを痛感させられたね。
それ、一度はデモンストレートしておかなくちゃだめだよねw
頭を潰された九郎くんが、ヴァンパイアよろしく、頭を再生するところw
いや、わかってはいるのだけど、確かに、紗季さんじゃないけど、グロい。
このどうしようもないくらいの本質的なグロさがあるから、全体のトーンを、のんきな妖怪ものの雰囲気にしたのかもしれない、・・・、とちょっと思った。
とはいえ、件(くだん)の未来予知、というか、未来の決定能力は、やっぱりすごいし、面白いな。
桜川家の当主が、この件の力を取り込むために必要と考えて、あわせて不死の力を人魚の肉から得ることにした、という設定は、原作を読んだときには読み流していたので、今回の説明を聞いて、いまさらながら納得。
となると、問うべきは、桜川家の当主は、この「未来の確定能力」でなにをしたかったのだろう?と気になってくる。
いや、もちろん、当面の敵は「鋼人七瀬」なわけだけど、この物語は、もっと大きな物語、というか、桜川家の陰謀の序章にすぎないだろうから。
そのことを思い出させてくれたのはよかった。
あくまでも、人魚の不死性は、件の未来確定能力の行使のための必要条件でしかないこと。
この順番を取り違えてはいけないということだよね。
未来のなにを確定させたかったのか?
それは、今代になって、九郎の祖母が、九郎ら孫たちに、件の肉と人魚の肉を食らわせた目的だったのだから。
桜川家の悲願は何だったのか?
これは、頭の片隅においておいていいのだろうな。
ていうか、こういう本家の意向による呪縛、という点では、確かに物語も城平京の作品なんだな、と思った。
だって、『絶園のテンペスト』でも、葉風の実家である鎖部家の目的が、物語の柱になっていたから。
とまれ、当面の標的は「鋼人七瀬」。
にしても、みんなの願望やイメージが「鋼人七瀬」を生み出した、というのは、原作が書かれた2010年代初頭なら、ちょっとは目新しいところはあったかもしれないけれど。
でも、いまやバズは当たり前の時代で、そこら中にYouTuberもいるわけだから、この物語の根幹をなす「想像力の怪物」という設定自体が、すでに陳腐なものになっているのは否めない。
さすがに、今更そんなこと、得意げに解説する?琴子さん?、って感じだな。
映像にするには、さすがに遅かったかも、と思った。
むしろ、やっぱり、原作を文字で追いかけながら、まさに「想像力」でイメージを補っていると実感しながら、物語を楽しむほうがあっている。
その意味では、やっぱりこの作品は、映像よりも原作のほうが楽しめるな。
だって、自分が今、目の前の文字を読みながら「想像している怪物」が、他の読者の間でも似たような形で想像されているのだろうな、とまさに「想像」できるからこそ、この「鋼人七瀬」の話は信憑性が増すわけだから。
それをすでにアニメの形でお仕着せの形で映像イメージを与えた上で、それを琴子に解説させてしまって、元も子もない。
鋼人七瀬、確かにあり得るかも?と思えるようなリアリティのための手順、つまり、自分で読んで想像する機会が、予め奪われてしまっているのだから。
ということで、なんかやっぱり、中途半端な作品になってしまったなぁ。
この物語の醍醐味、面白さの源泉が、アニメにした時点で全部奪われてしまうのだから。
今回、それを痛感させられたね。