前巻の17巻の最後で、次は「VSフレイヤ・ファミリアのウォーゲームだー!」と告知されてから、早くも1年半。
いくらなんでも待たせすぎでしょ!とちょっと悪態はつきながらも、読み始めたら、手に汗握る展開で、あっという間に読み終わってしまった!
620頁もあったのに!
ということで、とりあえずスペース空けときます。
(追記:遅ればせながら『アストレア・レコード』の感想も上げました。)
ほんと620頁もあったのにあっという間だったよw
さすがの「ダンまちクオリティ」w
そして、今回のヒーローは、どう見てもリュー。
ベルくんたち派閥連合の絶体絶命のピンチに、さっそうと大空から降下し、戦場のど真ん中で強敵ヘグニを退けるのだから。
それにしても、リューの2段階ランクアップしてのレベル6って、マジ反則w
いや、事前に『アストレア・レコード』が3巻も出てたから、これ絶対18巻でリュー絡みの超展開のための仕込みなんでしょ?とは思っていたけれど。
それにしても、あれはズルいw
だっていつかはリューが駆けつけるとは思っていたけど、そのタイミングがねw
もっと終盤ギリギリかと思っていたけど、それよりも早かった。
しかもヘグニと完全に伍して戦っているから、何?って思ったら、レベル6でした!
って種明かしがされるのだからw
何がズルいって、その前にベルくんもようやくレベル5になりました!って書かれていた後のことだから。
これでリューもベルくんに対して、先輩冒険者としてカッコつけることもできるしね。
そうして、どうだ、ベル、私のほうがやっぱり強い!って見せつけたところからの、「ベル、あなたが好きです!」の告白だからなぁw
リューはリューで、ベルくんの横に立てる自分でなければ、という焦りもあったのだろうな。
で、神アストレアと離れて単身で正義をなしてきた5年間分の蓄積を反映しての2段階ランクアップ!なのだから。
決して無茶な設定ではないところがズルいw
そもそもアストレアとの再会=「禊ぎ」に向かおうと決断できたところがリューの成長を意味しているわけで。
アストレア・ファミリアの全滅でいろいろとこじらせてしまったけど、なんとかそれを克服できたのはよかった。
で、その伝説の冒険者〈疾風〉=リューの復活の最初のきっかけを与えたのがそもそもシル=フレイヤだった、というのが、今回、リューがヒーローであるもう一つの理由。
つまり、リューは是が非でもシル=フレイヤに、彼女のこれまでの行動を質さない訳にはいかない。
もちろん、シル=フレイヤを責めるためではない。
そうではなく、シル=フレイヤの本質が、実は慈愛に満ちた存在である、ということを、リューは経験しているから。
実は、フレイヤ自身が、自分の本質がどこにあるのか、わからなくなってしまって、深い深い迷路に囚われてしまって、自分からは抜け出せなくなっているから。
そういう意味では、「シル=フレイヤ」の本質に、リューは、フレイヤ・ファミリアのエルフの同胞ヘディンと同じように、気付いていたってことなんだよね。
さすがは清廉潔白のエルフの2人!って思ったもの。
むしろ、この点では、リューとヘディンの2人のほうが、ベルよりも、シル=フレイヤの本質を理解していた。
つまり、フレイヤ自身は街娘シルを「演じて」いたと思いこんでいたけれど、実際には、シルという「別の姿の私」を得たことで、そこでちゃんと「気立ての良い街娘」としての自分の本質を表すことができていた、ということ。
その意味では、ベルは、ただ、そのフレイヤの本質が見初めた「恋」の対象でしかなくて、だから、彼は、ちゃんとフレイヤを失恋させることでしか、今回の物語には関わることができなかった。
リューもヘディンも、自分はその役割を果たすことができないからベルにすべてを委ねたわけで。
このあたり、本巻だと中盤がずっと戦闘シーンばっかりだったから、ちょっとわかりにくくなってしまうけど、16巻と17巻の流れを思い返せば、そういうことだよね。
もっと物語全体の構成という俯瞰的視点に立てば、一見気まぐれかもしれないけれど、本質が慈愛の神であるフレイヤがいなければ、リューが人生を諦めずに復活することも、ベルがファイアボルトを身につけてミノタウルスに辛勝したことで冒険者としての歩みを自信をもって始めることもなかったんだよね。
いや、これ、ものすごく大事なことで。
で、同じように人生のデッドロック状態からフレイヤに救ってもらったのがヘディンとヘグニだったわけで。
だから、本来なら、リューもベルも、フレイヤ・ファミリアのひとりになっていてもおかしくはなかった。
だって、フレイヤ・ファミリアの上級冒険者たちが感じる恩寵を、シルの姿のフレイヤから受け取っていたから。
しかも、そうしたフレイヤの本質をシルの形で、物語の初期のうちに表現していたのだから、ちょっと作者、マジ神!とか思っちゃったよ。
正直、ベルくんにとっての意味という点では、ヘスティアと肩を並べてもいいくらいの重要度だよね、フレイヤはw
ということで、とにかくすごかったw
あー、そういう意味では、シルとフレイヤの関係を物語の当初からミアもロキも知っていた、という今回のバレは、結構効いたなw
だって、最初の頃の、ミアやロキの発言が全然違うものに聞こえるんじゃないかな、って思うから。
今度、読み返してみようかなw
それにしても、今回の一件で、フレイヤ・ファミリアが解体されるとは思っていなかったな。
結局、シルの姿でフレイヤは「豊穣の女主人」には残ることになったし、ヘディンたち眷属も残ってはいるから、これ、次の「学区編」のあとに来るであろう「黒龍編」のときには、ギルドの特例で、フレイヤ・ファミリアの復活もあるのだろうなw
そのときまでにベルがレベル6にはなっていてほしいけどねw
ということで、本巻はどう考えても
フレイヤ・ファミリアと
その傍流としての「豊穣の女主人」ファミリー
の話だった。
リリ以下ヘスティア・ファミリアのがんばりが霞んでしまうくらいw
そういう意味では気になったのは、最近、ベルくんの存在感がどんどん薄れてきていること。
最後にとどめを刺す役を務めるくらいの活躍しか、していない。
特に今回はw
もちろん、いわゆる主人公補正として、ステイタスもちゃんとあがってレベル5になってはいるけれど、そのレコードホルダー的急成長がいきすぎて、ただのデウス・エクス・マキナに成り下がってきている気がする。
マスター・ヘディンの偏愛とかね。
みんなが、ベルならばやってくれる、と信じるのはわかるけど、その信頼を全部背負うと、悟空の元気玉みたいになって具体的にパワーアップに繋がってしまうのが、さすがにご都合主義にみえて、鼻につくようになってきた。
まぁ、今回の場合、オッタルがバカ強いラスボスだったから仕方がないのだけど。
最後が同じパタンで雑に見えてきた。
その意味では、もはやベルの存在が、この物語の最大のネックになってきている気がする。
結局、物語の展開に必要な設定の説明に、『ソード・オラトリア』や『アストレア・レコード』を使わないと、ベルくんの「無垢さ」ともバランスが取れなくなっていて。
ちょっとそのあたり、どうなのかな、とは思う。
そういう意味では、今回、ロキ・ファミリアやアイズの参加が見送られたのもね。
黒龍編を前にして、このあたりの物語の大きな謎とか流れに、ベル自身が自覚的かつ自発的に関わっていくようにならないと、ベルがただの「仕置人」に成り下がってしまうようで怖いw
まぁそのための「学区編」だと信じているけれどw
で、いろいろ書きなぐったけど、18巻、面白かったのは間違いないので。
頭がまだ整理できていないので、フレイヤやフレイヤ・ファミリアのこととか、16巻からの18巻までの大きな展開を踏まえて感じたことや思いついたことがあったら、また書くかも。
ちなみに『アストレア・レコード』は積読状態だったので、これから読むつもりw
積読だったのは、アストレア・ファミリアの結末がすでにわかっているので、1巻を手にとって冒頭のあたりでアリーゼがイタイ言動とか、アストレア・ファミリアのやり取りに乗れなかったから。
本編14巻でのリューの回想を含めて、もうこの人たちはいない、というのがわかっていると、結局のところ、この3冊は、『ソード・オラトリア』と同じように、今後の本編に必要な設定を小説化したのものでしかないと思えてしまうから。
もともと前日譚というのがあまり好きではないのもあるのだけれど。
でも、18巻を読んでやっぱり『アストレア・レコード』も読まなきゃ、とは思ったので、これから手を出すつもりw
まぁ、何ごとも動機が必要だからね、義務で読むようになったら終わりなのでw
しかし、2月と3月には、今度は『ソード・オラトリア』が連続刊行かぁ。
何が書かれるのだろう?
とまれ、本巻の19巻に期待。
今度はせいぜい8ヶ月後くらいには出てほしいなぁw
いくらなんでも待たせすぎでしょ!とちょっと悪態はつきながらも、読み始めたら、手に汗握る展開で、あっという間に読み終わってしまった!
620頁もあったのに!
ということで、とりあえずスペース空けときます。
(追記:遅ればせながら『アストレア・レコード』の感想も上げました。)
ほんと620頁もあったのにあっという間だったよw
さすがの「ダンまちクオリティ」w
そして、今回のヒーローは、どう見てもリュー。
ベルくんたち派閥連合の絶体絶命のピンチに、さっそうと大空から降下し、戦場のど真ん中で強敵ヘグニを退けるのだから。
それにしても、リューの2段階ランクアップしてのレベル6って、マジ反則w
いや、事前に『アストレア・レコード』が3巻も出てたから、これ絶対18巻でリュー絡みの超展開のための仕込みなんでしょ?とは思っていたけれど。
それにしても、あれはズルいw
だっていつかはリューが駆けつけるとは思っていたけど、そのタイミングがねw
もっと終盤ギリギリかと思っていたけど、それよりも早かった。
しかもヘグニと完全に伍して戦っているから、何?って思ったら、レベル6でした!
って種明かしがされるのだからw
何がズルいって、その前にベルくんもようやくレベル5になりました!って書かれていた後のことだから。
これでリューもベルくんに対して、先輩冒険者としてカッコつけることもできるしね。
そうして、どうだ、ベル、私のほうがやっぱり強い!って見せつけたところからの、「ベル、あなたが好きです!」の告白だからなぁw
リューはリューで、ベルくんの横に立てる自分でなければ、という焦りもあったのだろうな。
で、神アストレアと離れて単身で正義をなしてきた5年間分の蓄積を反映しての2段階ランクアップ!なのだから。
決して無茶な設定ではないところがズルいw
そもそもアストレアとの再会=「禊ぎ」に向かおうと決断できたところがリューの成長を意味しているわけで。
アストレア・ファミリアの全滅でいろいろとこじらせてしまったけど、なんとかそれを克服できたのはよかった。
で、その伝説の冒険者〈疾風〉=リューの復活の最初のきっかけを与えたのがそもそもシル=フレイヤだった、というのが、今回、リューがヒーローであるもう一つの理由。
つまり、リューは是が非でもシル=フレイヤに、彼女のこれまでの行動を質さない訳にはいかない。
もちろん、シル=フレイヤを責めるためではない。
そうではなく、シル=フレイヤの本質が、実は慈愛に満ちた存在である、ということを、リューは経験しているから。
実は、フレイヤ自身が、自分の本質がどこにあるのか、わからなくなってしまって、深い深い迷路に囚われてしまって、自分からは抜け出せなくなっているから。
そういう意味では、「シル=フレイヤ」の本質に、リューは、フレイヤ・ファミリアのエルフの同胞ヘディンと同じように、気付いていたってことなんだよね。
さすがは清廉潔白のエルフの2人!って思ったもの。
むしろ、この点では、リューとヘディンの2人のほうが、ベルよりも、シル=フレイヤの本質を理解していた。
つまり、フレイヤ自身は街娘シルを「演じて」いたと思いこんでいたけれど、実際には、シルという「別の姿の私」を得たことで、そこでちゃんと「気立ての良い街娘」としての自分の本質を表すことができていた、ということ。
その意味では、ベルは、ただ、そのフレイヤの本質が見初めた「恋」の対象でしかなくて、だから、彼は、ちゃんとフレイヤを失恋させることでしか、今回の物語には関わることができなかった。
リューもヘディンも、自分はその役割を果たすことができないからベルにすべてを委ねたわけで。
このあたり、本巻だと中盤がずっと戦闘シーンばっかりだったから、ちょっとわかりにくくなってしまうけど、16巻と17巻の流れを思い返せば、そういうことだよね。
もっと物語全体の構成という俯瞰的視点に立てば、一見気まぐれかもしれないけれど、本質が慈愛の神であるフレイヤがいなければ、リューが人生を諦めずに復活することも、ベルがファイアボルトを身につけてミノタウルスに辛勝したことで冒険者としての歩みを自信をもって始めることもなかったんだよね。
いや、これ、ものすごく大事なことで。
で、同じように人生のデッドロック状態からフレイヤに救ってもらったのがヘディンとヘグニだったわけで。
だから、本来なら、リューもベルも、フレイヤ・ファミリアのひとりになっていてもおかしくはなかった。
だって、フレイヤ・ファミリアの上級冒険者たちが感じる恩寵を、シルの姿のフレイヤから受け取っていたから。
しかも、そうしたフレイヤの本質をシルの形で、物語の初期のうちに表現していたのだから、ちょっと作者、マジ神!とか思っちゃったよ。
正直、ベルくんにとっての意味という点では、ヘスティアと肩を並べてもいいくらいの重要度だよね、フレイヤはw
ということで、とにかくすごかったw
あー、そういう意味では、シルとフレイヤの関係を物語の当初からミアもロキも知っていた、という今回のバレは、結構効いたなw
だって、最初の頃の、ミアやロキの発言が全然違うものに聞こえるんじゃないかな、って思うから。
今度、読み返してみようかなw
それにしても、今回の一件で、フレイヤ・ファミリアが解体されるとは思っていなかったな。
結局、シルの姿でフレイヤは「豊穣の女主人」には残ることになったし、ヘディンたち眷属も残ってはいるから、これ、次の「学区編」のあとに来るであろう「黒龍編」のときには、ギルドの特例で、フレイヤ・ファミリアの復活もあるのだろうなw
そのときまでにベルがレベル6にはなっていてほしいけどねw
ということで、本巻はどう考えても
フレイヤ・ファミリアと
その傍流としての「豊穣の女主人」ファミリー
の話だった。
リリ以下ヘスティア・ファミリアのがんばりが霞んでしまうくらいw
そういう意味では気になったのは、最近、ベルくんの存在感がどんどん薄れてきていること。
最後にとどめを刺す役を務めるくらいの活躍しか、していない。
特に今回はw
もちろん、いわゆる主人公補正として、ステイタスもちゃんとあがってレベル5になってはいるけれど、そのレコードホルダー的急成長がいきすぎて、ただのデウス・エクス・マキナに成り下がってきている気がする。
マスター・ヘディンの偏愛とかね。
みんなが、ベルならばやってくれる、と信じるのはわかるけど、その信頼を全部背負うと、悟空の元気玉みたいになって具体的にパワーアップに繋がってしまうのが、さすがにご都合主義にみえて、鼻につくようになってきた。
まぁ、今回の場合、オッタルがバカ強いラスボスだったから仕方がないのだけど。
最後が同じパタンで雑に見えてきた。
その意味では、もはやベルの存在が、この物語の最大のネックになってきている気がする。
結局、物語の展開に必要な設定の説明に、『ソード・オラトリア』や『アストレア・レコード』を使わないと、ベルくんの「無垢さ」ともバランスが取れなくなっていて。
ちょっとそのあたり、どうなのかな、とは思う。
そういう意味では、今回、ロキ・ファミリアやアイズの参加が見送られたのもね。
黒龍編を前にして、このあたりの物語の大きな謎とか流れに、ベル自身が自覚的かつ自発的に関わっていくようにならないと、ベルがただの「仕置人」に成り下がってしまうようで怖いw
まぁそのための「学区編」だと信じているけれどw
で、いろいろ書きなぐったけど、18巻、面白かったのは間違いないので。
頭がまだ整理できていないので、フレイヤやフレイヤ・ファミリアのこととか、16巻からの18巻までの大きな展開を踏まえて感じたことや思いついたことがあったら、また書くかも。
ちなみに『アストレア・レコード』は積読状態だったので、これから読むつもりw
積読だったのは、アストレア・ファミリアの結末がすでにわかっているので、1巻を手にとって冒頭のあたりでアリーゼがイタイ言動とか、アストレア・ファミリアのやり取りに乗れなかったから。
本編14巻でのリューの回想を含めて、もうこの人たちはいない、というのがわかっていると、結局のところ、この3冊は、『ソード・オラトリア』と同じように、今後の本編に必要な設定を小説化したのものでしかないと思えてしまうから。
もともと前日譚というのがあまり好きではないのもあるのだけれど。
でも、18巻を読んでやっぱり『アストレア・レコード』も読まなきゃ、とは思ったので、これから手を出すつもりw
まぁ、何ごとも動機が必要だからね、義務で読むようになったら終わりなのでw
しかし、2月と3月には、今度は『ソード・オラトリア』が連続刊行かぁ。
何が書かれるのだろう?
とまれ、本巻の19巻に期待。
今度はせいぜい8ヶ月後くらいには出てほしいなぁw