そう、物語を一気に動かす大技として、「四葉がすでに風太郎を振った説」を考えてみる。
といっても、117話の風太郎と四葉って、どう見ても告白しあった男女の雰囲気ではなく、異様によそよそしかったから、確かに「すでに振られていた」というのはありかも。
たとえば、117話のメインの日の朝?とかに、風太郎は四葉から正式にお付き合いはできません、という回答を受け取ってしまって、さてどうしたものかぁ、と思っていたところで、五月と出くわしたので、そのまま相談に昼食の声をかけた、というのが、実情かな。
そう考えれば、今回の最後で風太郎がとぼけていたのも、彼自身、ここで、四葉が二乃に、風太郎を振ったことを改めて聞かされる、という、針のむしろになることが、この先予想されるからなのだろうけど。
あるいは、まだ正式には振られていないけれど、一向に色良い返事を四葉からもらえないものだから、さすがに不安に感じていたのかもしれない。
だとすれば、今回の最後は、期せずして、覗き見しているような、出歯亀しているよう感じで、四葉が自分に対して思っている本音を耳にしてしまうことになってしまって、もうマジで心中穏やかではない、ということなのかもね。
でもまぁ、生真面目な四葉からしてみたら、前回のような三玖の決意まで聞かされてしまったら、四葉が、姉妹大事の態度をとっておかしくはないよね。
なにしろ、四葉は、自分の気持ちとは別に、ずっと三玖を応援してきていたわけで。
四葉的には、あの三玖を応援していた気持ちも嘘ではなかったと思うのだよね。
で、姉妹をとるか、風太郎をとるか、という選択を迫られた結果、姉妹をとる、という決断を最終的に下しても、おかしくはない。
ただ、四葉エンドが消える、というのもそれほどむちゃくちゃな話ではなくて、それは何度も書いてきてたように、物語的には、京都の子バレだけで花嫁要件を満たさなくなるし、さらにもっとメタなレベルで考えると、やっぱり、幼馴染エンドはなかったね、ということ。
正直言えば、これは、114話で四葉が選ばれた時に、率直に覚えた違和感でもあったし。
114話って、四葉の側も、ついでにいえば風太郎の側も、京都の子問題を不問にしておうじていたわけで。
でも、それはさすがに、今までもメタ語りのストーリー要件からすると、無理やりだったわけで。
だから、114話以降の、四葉が選ばれた問題は、いわゆる「幼馴染=滑り台」ルートの、今までになかったパタンを示したってことになるよね、四葉が振った、ということになったら。
ただ、この物語の裏テーマは「愛」でもあるから、ここで、家族愛、姉妹愛が説明変数として浮上してもそれほどおかしくはないと思う。
四葉にとって、風太郎も大事だけど、それ以上に、姉妹の絆が重要だ、ということ。
読者の不満の理由の多くは、こういうことになるならもっとはやくやれよ!、ということなのだろうけど、でも、今、起こっていることは多分、ドラマが起きるときは、それは立て続けに、連鎖反応として一気に起こるものだ、ということで、それを地道にやってみせているだけのこと。
むしろ、最終巻となる14巻が全部敗戦処理になることに比べたら、はるかに面白い。
要するに、最終コーナーでの畳み掛けを素直に楽しめるかどうかだけのことだと思う。
それにさ、告白が一回だけで成就することを前提にすること自体、おいおい、恋愛、舐めんな!って言われそうなことではある。
だいたい日の出祭のところまでって、風太郎が一方的に五つ子に好意を寄せられるだけの話だったので、それって、さすがに、風太郎にとって美味しすぎる話だろ、と。
だとすれば、日の出祭でひとり選ぶ、という枠組みを五つ子たちに示されたあたりから、風太郎も少しは、男子らしく、苦労しろよ!ということなんじゃないないかな?ねぎ先生的には。
そうして、マニュアルではなく、実地に恋愛を学べよ、ということなのかもね。
もっとも、五つ子が相手では、「失恋」といっても、それだけですまないのだけど。
だって、風太郎がフリーになったから、といって、じゃあ、また以前のように風太郎争奪戦に精を出せるかといったら、さすがにそれは厳しいだろうから。
そうなると、ずっと相談役を務めてきた五月が浮上するのもわかるかも。
彼女だけが、今まではいわば非武装中立地帯だったわけで。
問題は、五月がもはやそうは思っていないこと。
そのニュアンスを風太郎が察することができるかどうか。
風太郎の男子力wが改めて試される。
しかし、そう思うと、この作品、やっぱり登場人物たちの心の中だけにしまわれているものが多すぎだよねw
いい加減、全てさらけ出してほしいけど。
その時は、本当に物語の幕を閉じるときなんだろうな。
といっても、117話の風太郎と四葉って、どう見ても告白しあった男女の雰囲気ではなく、異様によそよそしかったから、確かに「すでに振られていた」というのはありかも。
たとえば、117話のメインの日の朝?とかに、風太郎は四葉から正式にお付き合いはできません、という回答を受け取ってしまって、さてどうしたものかぁ、と思っていたところで、五月と出くわしたので、そのまま相談に昼食の声をかけた、というのが、実情かな。
そう考えれば、今回の最後で風太郎がとぼけていたのも、彼自身、ここで、四葉が二乃に、風太郎を振ったことを改めて聞かされる、という、針のむしろになることが、この先予想されるからなのだろうけど。
あるいは、まだ正式には振られていないけれど、一向に色良い返事を四葉からもらえないものだから、さすがに不安に感じていたのかもしれない。
だとすれば、今回の最後は、期せずして、覗き見しているような、出歯亀しているよう感じで、四葉が自分に対して思っている本音を耳にしてしまうことになってしまって、もうマジで心中穏やかではない、ということなのかもね。
でもまぁ、生真面目な四葉からしてみたら、前回のような三玖の決意まで聞かされてしまったら、四葉が、姉妹大事の態度をとっておかしくはないよね。
なにしろ、四葉は、自分の気持ちとは別に、ずっと三玖を応援してきていたわけで。
四葉的には、あの三玖を応援していた気持ちも嘘ではなかったと思うのだよね。
で、姉妹をとるか、風太郎をとるか、という選択を迫られた結果、姉妹をとる、という決断を最終的に下しても、おかしくはない。
ただ、四葉エンドが消える、というのもそれほどむちゃくちゃな話ではなくて、それは何度も書いてきてたように、物語的には、京都の子バレだけで花嫁要件を満たさなくなるし、さらにもっとメタなレベルで考えると、やっぱり、幼馴染エンドはなかったね、ということ。
正直言えば、これは、114話で四葉が選ばれた時に、率直に覚えた違和感でもあったし。
114話って、四葉の側も、ついでにいえば風太郎の側も、京都の子問題を不問にしておうじていたわけで。
でも、それはさすがに、今までもメタ語りのストーリー要件からすると、無理やりだったわけで。
だから、114話以降の、四葉が選ばれた問題は、いわゆる「幼馴染=滑り台」ルートの、今までになかったパタンを示したってことになるよね、四葉が振った、ということになったら。
ただ、この物語の裏テーマは「愛」でもあるから、ここで、家族愛、姉妹愛が説明変数として浮上してもそれほどおかしくはないと思う。
四葉にとって、風太郎も大事だけど、それ以上に、姉妹の絆が重要だ、ということ。
読者の不満の理由の多くは、こういうことになるならもっとはやくやれよ!、ということなのだろうけど、でも、今、起こっていることは多分、ドラマが起きるときは、それは立て続けに、連鎖反応として一気に起こるものだ、ということで、それを地道にやってみせているだけのこと。
むしろ、最終巻となる14巻が全部敗戦処理になることに比べたら、はるかに面白い。
要するに、最終コーナーでの畳み掛けを素直に楽しめるかどうかだけのことだと思う。
それにさ、告白が一回だけで成就することを前提にすること自体、おいおい、恋愛、舐めんな!って言われそうなことではある。
だいたい日の出祭のところまでって、風太郎が一方的に五つ子に好意を寄せられるだけの話だったので、それって、さすがに、風太郎にとって美味しすぎる話だろ、と。
だとすれば、日の出祭でひとり選ぶ、という枠組みを五つ子たちに示されたあたりから、風太郎も少しは、男子らしく、苦労しろよ!ということなんじゃないないかな?ねぎ先生的には。
そうして、マニュアルではなく、実地に恋愛を学べよ、ということなのかもね。
もっとも、五つ子が相手では、「失恋」といっても、それだけですまないのだけど。
だって、風太郎がフリーになったから、といって、じゃあ、また以前のように風太郎争奪戦に精を出せるかといったら、さすがにそれは厳しいだろうから。
そうなると、ずっと相談役を務めてきた五月が浮上するのもわかるかも。
彼女だけが、今まではいわば非武装中立地帯だったわけで。
問題は、五月がもはやそうは思っていないこと。
そのニュアンスを風太郎が察することができるかどうか。
風太郎の男子力wが改めて試される。
しかし、そう思うと、この作品、やっぱり登場人物たちの心の中だけにしまわれているものが多すぎだよねw
いい加減、全てさらけ出してほしいけど。
その時は、本当に物語の幕を閉じるときなんだろうな。