いつの間にか、152話が出てた。
すっかり忘れていたのだが、
しかし、今回の話は、前回にも増して意味不明だった。
まぁ、夏凛の正体が、キリストを裏切ったユダってことはわかったけど。
てか、背中のXIIIからなんとなくそうかなくらいには思っていたのは確かだけど。
それにしても、夏凛という「現代」の呼称ですっかりごまかされていたけど、本名がイシュト・カリン・オーテなら、そりゃもう「イスカリオテ」のユダ、の一択だよねー。
ということで、このあと、神様=イエス・キリストとか関わってくるのかね?
となると、問題は、それって、この先、UQHの本題に関わるの?ってことだけど。。。
前回の感想にも書いたけど、150話で、この世界でのネギの顛末の話がひととおり終わったところで、正直、UQHってもう、読者の期待に全部、応えてしまったと思うんだよね。
なので、もう描くものないじゃん?と思っていたら、前回から、無理やりパクティオ展開に行き、今回もまた、パクティオで。
でもさー、すでにネギの域に能力的には刀太が達してしまっているところで、いまさらパクティオでパワーアップとか言われてもなー、と思うよね。
それに、一応、刀太の本命はキリヱってことになっていたんじゃなかったんだっけ?
それがあるから、この先、ネギま!みたいにいらぬラブコメ路線は回避して、ネギの救出作戦とか、ハードな方に突入して、そういう意味では、あと10話くらいで完結すると思っていたのだけど、なんか、いまさらながら、ラブコメを蒸し返しているみたいなんだけど。。。
それ、必要なのかなぁ? ものすごい疑問。
あのネギの顛末を見せられた後で、普通に気になるのは、
じゃあ、袂を分かったフェイトは、あの後、どういう人生(でいいのか?)を歩むようになったのか? とか、
「金星の黒」ってどういう経緯で「金星」なの? とか、
(いや、当然、金星が魔族の出生地ってことだよね、どう考えても)、
ダーナって、火星とか金星とか関係あるの? とか、
ヨルダの御手、って、実際、どういう魔法なの? とか、
こんなあたりのことじゃないのかな。
だってUQHって、ネギま!2っていうくらいだから、ネギま!で説明責任を放棄したことを、刀太の世界、という舞台を通じて解説するマンガなんだとばかり、思っていたのだけど。
少なくとも、連載が月刊誌に移ってからはそういうふうに方向転換したのだとばかり、思っていたのだけど。
それなのに、いまさらパクティオで、ラブコメを蒸し返す、ってどういうこと?
しかも、夏凛までまた持ち出してw
もっとも、夏凛=ユダ、から、キリストを持ち出してきて、それで、不死者の存在理由を、様々な神話や宗教ごとに説明する、という展開にするのかもしれないけれど。
でも、それ、あまり物語の本筋に絡んできそうには思えないんだけどなぁ。
それとも、造物主、とはなにか?という流れで、キリストを持ち出して、そこから、ヨルダの話とかにつなげるのかね?
そうなると、
キリストが祝福して不死になったユダ=夏凛と、
ヨルダがなんかしてとにかく不死になったエヴァ=吸血鬼、
が並行的な存在として捉えることができる、ということかもしれないけれど、それにしても、だからどうした?って展開にしかならないよな。
てか、そもそも、どうしてキリストがいるとパクティオが成立しないの?
パクティオって、キリストをはじめとする神様たちが共通して授ける、なんか魔法の力、ってことなの?
それとも、そもそもパクティオを授ける神様的なものとキリストって敵対しているの?
こう見てくると、一応、好意的に見れば、この夏凛のエピソードを通じて、ネギま!で積み残していた「パクティオ・システムとは何か?誰がパクティオ・カードを授けているのか?」という問いに答えることになるのかもしれないけれど。
うーん。
なんか、蛇足の話をだらだらとしているようにしか見えないんだけどなぁ。
正直、ラブコメはどうでもいいよ。
もう、ネギの救出作戦に、まっすぐ向かおうよ。
なんか、全体的に物語に緊張感がなくて、もうどうでもよくなっているところもあるから、あまり寄り道はしてほしくないんだけど。
その意味では、ホント、ラブコメはいらない。
てかさ、ラブコメは、やっぱり麻帆良学園みたいに学校でやろうよ。
ともあれ、こんな感じだから、全然次回がどうなるか、気にならないんだよなぁ。
すっかり忘れていたのだが、
しかし、今回の話は、前回にも増して意味不明だった。
まぁ、夏凛の正体が、キリストを裏切ったユダってことはわかったけど。
てか、背中のXIIIからなんとなくそうかなくらいには思っていたのは確かだけど。
それにしても、夏凛という「現代」の呼称ですっかりごまかされていたけど、本名がイシュト・カリン・オーテなら、そりゃもう「イスカリオテ」のユダ、の一択だよねー。
ということで、このあと、神様=イエス・キリストとか関わってくるのかね?
となると、問題は、それって、この先、UQHの本題に関わるの?ってことだけど。。。
前回の感想にも書いたけど、150話で、この世界でのネギの顛末の話がひととおり終わったところで、正直、UQHってもう、読者の期待に全部、応えてしまったと思うんだよね。
なので、もう描くものないじゃん?と思っていたら、前回から、無理やりパクティオ展開に行き、今回もまた、パクティオで。
でもさー、すでにネギの域に能力的には刀太が達してしまっているところで、いまさらパクティオでパワーアップとか言われてもなー、と思うよね。
それに、一応、刀太の本命はキリヱってことになっていたんじゃなかったんだっけ?
それがあるから、この先、ネギま!みたいにいらぬラブコメ路線は回避して、ネギの救出作戦とか、ハードな方に突入して、そういう意味では、あと10話くらいで完結すると思っていたのだけど、なんか、いまさらながら、ラブコメを蒸し返しているみたいなんだけど。。。
それ、必要なのかなぁ? ものすごい疑問。
あのネギの顛末を見せられた後で、普通に気になるのは、
じゃあ、袂を分かったフェイトは、あの後、どういう人生(でいいのか?)を歩むようになったのか? とか、
「金星の黒」ってどういう経緯で「金星」なの? とか、
(いや、当然、金星が魔族の出生地ってことだよね、どう考えても)、
ダーナって、火星とか金星とか関係あるの? とか、
ヨルダの御手、って、実際、どういう魔法なの? とか、
こんなあたりのことじゃないのかな。
だってUQHって、ネギま!2っていうくらいだから、ネギま!で説明責任を放棄したことを、刀太の世界、という舞台を通じて解説するマンガなんだとばかり、思っていたのだけど。
少なくとも、連載が月刊誌に移ってからはそういうふうに方向転換したのだとばかり、思っていたのだけど。
それなのに、いまさらパクティオで、ラブコメを蒸し返す、ってどういうこと?
しかも、夏凛までまた持ち出してw
もっとも、夏凛=ユダ、から、キリストを持ち出してきて、それで、不死者の存在理由を、様々な神話や宗教ごとに説明する、という展開にするのかもしれないけれど。
でも、それ、あまり物語の本筋に絡んできそうには思えないんだけどなぁ。
それとも、造物主、とはなにか?という流れで、キリストを持ち出して、そこから、ヨルダの話とかにつなげるのかね?
そうなると、
キリストが祝福して不死になったユダ=夏凛と、
ヨルダがなんかしてとにかく不死になったエヴァ=吸血鬼、
が並行的な存在として捉えることができる、ということかもしれないけれど、それにしても、だからどうした?って展開にしかならないよな。
てか、そもそも、どうしてキリストがいるとパクティオが成立しないの?
パクティオって、キリストをはじめとする神様たちが共通して授ける、なんか魔法の力、ってことなの?
それとも、そもそもパクティオを授ける神様的なものとキリストって敵対しているの?
こう見てくると、一応、好意的に見れば、この夏凛のエピソードを通じて、ネギま!で積み残していた「パクティオ・システムとは何か?誰がパクティオ・カードを授けているのか?」という問いに答えることになるのかもしれないけれど。
うーん。
なんか、蛇足の話をだらだらとしているようにしか見えないんだけどなぁ。
正直、ラブコメはどうでもいいよ。
もう、ネギの救出作戦に、まっすぐ向かおうよ。
なんか、全体的に物語に緊張感がなくて、もうどうでもよくなっているところもあるから、あまり寄り道はしてほしくないんだけど。
その意味では、ホント、ラブコメはいらない。
てかさ、ラブコメは、やっぱり麻帆良学園みたいに学校でやろうよ。
ともあれ、こんな感じだから、全然次回がどうなるか、気にならないんだよなぁ。