以前紹介したチェコ、プラハのユダヤ人居住地の近く旧市街のフスの像がある広場でビーラー・ホラ(白山)の戦い(1620年11月)で破れ処刑された27人のチェコプロテスタント貴族の碑銘を探しました。
1人の自由時間での行動で現地ガイドも、添乗員もいなく(あとで聞くと添乗員も知りませんでした)よくわかりません。近くの高校生らしき集団に尋ねました。知りませんでした。あきらめて引き返そうとした時、引率の先生らしき人が慌てたようにやってきて、「ここです」と教えてくれたのが、この写真です。27個の十字架の石碑が写真のように埋められていました。
ビーラー・ホラの戦いは1618年に勃発した30年戦争(1618~1648)の初期に起きチェコ(当時ボヘミアと呼ばれた)が完全にオーストリアハプスブルグ家の直轄支配に組み込まれることになる事件です。チェコ人はスラブ系の民族で、オーストリア人はドイツ人です。
ヨーロッパ全体を巻き込みドイツでは人口が30%減少したといわれる30年戦争はこのチェコのプラハから始まりました。1618年プラハの王城でチェコ人のプロテスタント貴族がカトリックの信仰を押し付ける皇帝の代官を窓から突き落とすことから始まりました。(この部屋を見たかったのですが私たちの観光コースに入っていないということで見学できませんでした)
前述のようにプロテスタント貴族は敗北しこの十字架石板のあるところで処刑されました。 集合場所がこの近くだったのでこの場に添乗員、同行の人たちを案内して私がコウシャクをタレルということになりました。こういうことをするから私は添乗員から嫌われます。
このときの旅行ではチェコとハンガリーを訪ねたのですが、チェコではかつてのお城の領主がすべてドイツ人で、同じオーストリア支配下にあったハンガリーではハンガリー人でした。この1620年のビーラー・ホラの敗北でチェコ人貴族は一掃されたことをこのことで実感させられました。
カトリック教会での観光の時「イエスはこんなに派手に飾られるとは思っていなかっただろうね」と私がつぶやくと、日本人男性と結婚しているというチェコ人現地ガイドは「でしょう!」と同意をしてくれ自分はカルバン派の新教徒でチェコでは20%くらいがそうであると教えてくれました。