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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

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「西アフリカ」編 トンブクトゥとトゥアレグ人2

2007年06月24日 09時09分10秒 | マリ共和国

 トンブクトゥと聞いて何かわかる日本人は数少ないでしょう。

 しかし、ヨーロッパではすこし意味合いが違うようです。「ウイキペディア英語版」に「この町は神秘的、神話的なイメージを今日まで残している。イギリスの若者に尋ねた2006年のBBCの調査によれば34%がその存在を信じていないが、残りの66%が神話的場所(mythical place)との回答があった」と書かれています。 

 また同じウイキペディアは遠い場所を「ここからトンボクトゥまで(from here to Timbuktu)と表現すると書いています。というわけで、この町はヨーロッパ人にはかなり以前から神秘的、神話的な存在として知られていたようです。 

 このトンブクトゥ(Tombouctouは旧宗主国のフランス語で現在のマリ共和国の公用語でもあります。Timbuktuは英語)はトゥアレグ人の季節的なキャンプ地として10世紀ごろ始まります。その後地中海⇔サハラ砂漠⇔トンブクトゥ⇔ギニア湾沿岸の交易中継地点として栄えます。(交易内容については次回に紹介予定)そしてイスラーム文化、教育の中心地となり、最盛期にはコーラン学校180、人口100万人といわれました。この地を中心にいくつかの国家の興亡がありますが、対外的にこの地を有名にしたのはマリ王国(マンデ人の国家 現在のマリ共和国名はこの国名に由来します)のマンサ・ムーサ王(在位1312~37)でした。彼はメッカ巡礼に1万人(うち奴隷500人)の隊列を率い40頭のロバに大量の金を運びました。道中のカイロで気前良く金を喜捨しカイロの金相場が下落したという有名なエピソードがあります。

 これがヨーロッパの人々にこの地を神秘的なものにしました。 しかし、その後、対外戦争や、ポルトガルが直接にギニア湾沿岸に到達するなどでサハラ越えの交易が廃れ衰亡の一途をたどります。その上に最近では乾燥化が進みこの町全体がサハラ砂漠の砂に埋もれる危機に瀕しています。現在人口は2万人と推定されています。この地は世界文化遺産に1988年に指定されましたが、1990年~2005年には危機状態にあるとされました。

 写真は町のメインストリートです。