地中海⇔サハラ砂漠⇔トンブクトゥ⇔ギニア湾沿岸という交易中継地としてトンブクトゥは栄えたと前述しました。ところでその交易品はギニア湾沿岸からは「象牙」(ご存知の通り今でも象牙海岸という名前が残っています)、「金」(同じく黄金海岸)、「奴隷」(同じく奴隷海岸)がもたらされます。トンブクトゥを中継してそれをトゥアレグ人などの交易遊牧民がラクダ(注1)でサハラ砂漠を越え地中海交易に載せます。アラブとヨーロッパからの「ぜいたく品(luxury goods )」と途中のサハラ砂漠の岩塩を持ち帰ります。その塩はギニア湾沿岸地域へもたらされます。
(注1)ラクダは1500年または2000年以前(2説)にこの地にもらされ、サハラ交易が可能になりました。
この「金交易」について意外に知られていないことを紹介しておきます。エジプト、ギリシア、ローマなどでは昔から金は珍重されましたが、アフリカではそれほどのことはなく外部からの刺激により金採掘が行われるようになりました。そしてサハラ砂漠を中継してのこの西アフリカは11世紀~16世紀の国際経済で最も主要な金供給地(注2)になりました。中世後期ボヘミアで金鉱山が発見されるまで世界の生産量の3分の2を占めていました。
(注2) 黄金国ジャパンを目指したコロンブスに対してポルトガルはこの金を目指してアフリカ西部海岸を南下したのです。しかしこの地に到達した頃はすでに枯渇寸前だったようです。
「塩交易」は今に至るまで細々とトゥアレグ人によってサハラ砂漠からラクダに乗せられ運ばれています。その模様の同行取材がNHK?で最近放映されました。(今ではトゥアレグ人の大部分は定住生活をしています)
写真はトンブクトゥの市場での塩です。厚さ5センチ、30センチ角の岩塩は日本円に換算して20円くらいでした。買って帰り食べて?見ましたが美味でした。しかし怠け者の私はそのたびにハンマーで粉砕することが面倒で5年たった今でも半分残っています。そこでグルメ嗜好の皆さんに無料で提供することにしました。先着一名様ということでお譲りします。コメントなどで最初に連絡いただいた方にお譲りします。トゥアレグ人によって運ばれてきたサハラ砂漠の塩、大変貴重ですよ。
次回は伊藤さんの「中東のコーヒーと結婚」の予定です。乞う、ご期待。