この岩だらけの急な坂道(道とはいえません)を村人たちは写真のように荷物を運んでいました。なかにはたびたび立ち止まりながらゼイゼイと息を切らして荷物を運んでいる老婆?もいました。「生きる!」写真には撮れませんでしたが、その息遣いとその姿は私の脳裏に5年半経過した今でもつよく焼きついています。
ドゴン人が世に知られるようになったのは文化人類学者フランス人マルセル・グリオールの1930年~50年にかけての現地調査報告でした。一般に当時の文化人類学者や探検家は欧米列強の植民地政策の走狗としての役割を持っていました。彼も例外ではなくフランスの植民地政策にかかわりましたが、「彼は植民地同化政策に反対して、アフリカの諸民族が各々の文化と言語を保持しながら発展を遂げるべきだと主張」とは彼の著作「水の神」の日本語訳者の解説(p317)です。
写真は断崖の上の台地から下の断崖の村への道?です。多分今の私では降りていくことは不可能でしょう。