安重根は1879年生まれ、1894年結婚、1897年カトリックに入信、1908年抗日義兵に参加、義兵戦争に敗れ1909年断指同盟を結成します。
抗日義兵とは、朴殷植はその著「韓国独立運動之血史」で以下のように定義しています。
「義兵は民軍である。国家有急のとき、ただちに義をもって起ち、朝令による徴発を待たずして従軍する適愾者である」
また、宮本正明氏は「1910年の『韓国併合』は、粘り強く継続された義兵闘争を徹底的な武力弾圧により圧殺するなかでなしとげられた」(東アジア近現代通史4 p317)と述べています。
断指同盟については写真の説明文をご覧ください。これは韓国の古い習慣で「弑逆の宣誓をあらわしています。(週刊金曜日825号鎌田慧「残夢」p53)
逮捕拘禁裁判をした日本の当局も安重根については一定の敬意をもって接していたようです。獄中では拷問もなかったようですし、死刑の判決後裁判官が上告を勧めてもいます。彼はそれを断ります。彼はまた獄中で自叙伝と東洋平和論を執筆していますが、裁判長はそれが完成するまで死刑執行を延期する処置を執っています。
彼の東洋平和論はヨーロッパの侵略に対して韓・日・中がお互い平等の立場で協力し共同で事にあたり東洋平和を守ろうと論じたものでした。
ちょっと余談噺になりますがでっち上げの大逆事件で幸徳秋水が逮捕された時(1910年5月)鞄の中に安重根の肖像写真がありそこに「安君一挙 天地皆振」と快哉の一句が書きつけられていました。(週刊金曜日852号鎌田慧「残夢」p52~53)
年本雅樹さんいつもコメント有難うございます。