「***朝鮮語に対する新たな関心を呼び起こし、何年間も繰り返し伝えられる偏狭な民族観念を鼓舞激励し民族文化の向上と、民族意識の高揚をもくろみ朝鮮独立のために実力伸長の手段を講じ全力を***」
「偏狭な」という単語を除けばこの文章は表彰状のように読めます。しかし1945年1月16日裁判所の判決文です。このような理由で「治安維持法」の「内乱罪」が適用され「朝鮮語学会」の関係者8名に8年~2年の懲役刑の判決がありました。それまでに2名が獄中で死亡していました。日本政府の朝鮮語(韓国語)抹殺政策のシンボル的事件でした。
「朝鮮語学会」は1921年に結成され「朝鮮語辞典編集会」を組織して辞典編集に着手し、「ハングル正書法統一案」を制定しました。この事件で「朝鮮語大辞典」のために用意されていた三万二千枚の原稿と20万の語彙カードが押収されました。