100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

89
歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」編 ナショナリズム・言語  バフチサライ3

2012年07月04日 08時28分38秒 | ベラルーシ・ウクライナ・マルドヴァ

ここでのガイドさんです。もちろんイスラーム教徒のタタール人です。でもスカーフはかぶっていませんね。

蛇足をひとつ。ここはイスラーム圏ですからアラビア語「アッサラームアレイクム」のあいさつ言葉が通用しました。

 


「ベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ」編 ナショナリズム・言語  バフチサライ1

2012年07月04日 08時22分45秒 | ベラルーシ・ウクライナ・マルドヴァ

 5月14日の地図にクリミア半島がありますが、この地域を中心に15世紀~19世紀後半にかけてクリミア汗国(1441~1783)が繁栄を誇っていました。ジンギスカンの血筋を自称するイスラーム教スンニ派タタール人の国家です。1783年にロシアに併合され1944年には対独協力という濡れ衣でスターリンによって一人残らずウズベキスタンなどへ強制移住させられました。ソ連邦崩壊後世界各地から帰還が始まり現在ではこの地に約25万人のクリミア・タタール人が住んでいます。

 このクリミア汗国の首都があったバフチサライ(庭園宮殿と言う意味)を観光しました。この宮殿は16世紀にオスマントルコ、ペルシア、イタリアの建築家によって建てられその後数回建て替えられましたが基本構造は原型のままです。写真は宮殿の入り口です。ご覧の通り沢山の観光客で賑わっていました。

黒川祐次氏は「物語 ウクライナの歴史」で次のように述べられています。「私も同地を訪れたが、現在ヨーロッパ化しているクリミアの山峡に純イスラム風の木造の宮殿が忽然と現れるのを見て何か魔法にかかったような不思議な感覚にとらわれたものである」(p80)

 追記 2020年10月13日

クリミア・タタール人については「講座 世界の先住民族06 ヨーロッパ」p385~399に詳しく紹介されています。