クリミア汗国の主要な産業の一つが奴隷交易でした。オスマン帝国の従属国でもあったのでオスマン帝国のハーレムや軍への奴隷の供給がクリミア汗国の経済を支えました。中にはクリミア汗国にとらえられ奴隷としてオスマン帝国のハーレムに入り皇帝(スルタン)に見初められ皇后になりその子供が次の皇帝にのるということもありました。
ポーランド貴族の美人の姫がとらえられてクリミア汗国の最後の汗(王)のハーレムに入り汗(王)に見初められますが、姫はそれを拒否し次第に健康を害するようになります。汗(王)はそれを悲しんで「涙の泉」を作らせました。1823年ここを訪れたプーシキンが詩を読んだことで一躍有名になりました。添乗員の堤さんがこの詩の一節を読んでくれました。ご希望の方はプーシキンの詩集の邦訳もあるようなのでどうぞ。写真は「涙の泉」(今もほんの少しづつ涙が流れていました)とプーシキンの像です。