100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「台湾」編 2・28事件5

2017年03月30日 08時22分02秒 | 台湾

 

 写真は二二八和平公園です。リスがたくさん遊んでいました。この公園内にこの日、休館であった「二二八記念館」があります。当時ラジオ放送局でした。休みでしたがこの記念館で日本語版の案内リーフレットを頂きました。

それに「台湾全島の民衆が直ちに呼応し、素早く動員できた背景には、抵抗運動の人々が台湾ラジオ局を利用して、情報を伝達したこともたいせつな要因です」と書かれていました。それを記念して戒厳令がとかれ民主化が進み2・28事件を語ることが許されるようになった1997年この放送局が記念館として設立されました。

この2・28事件が今も台湾の人にとって忘れることのできないことを象徴する事柄を紹介しておきます。それは現地ガイドの「馬」さんが2・28事件につて説明しかけたとき感情が高ぶって絶句してそれ以上話すことができなかったことです。ちなみに「馬」さんは台湾が日本から解放された後にやってきた「外省人」の孫に当たります。

ついでに、台湾の交通事情の紹介を。今回この二二八和平公園へは個人で出かけたのですが行き帰りはタクシーを利用しました。日本では少なくとも1000円以上の距離のような気がしましたが300円ぐらいですみました。「馬」さんの話でも台湾の交通機関で安くて信頼が置けるのがタクシーだそうです。お勧めです。

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「台湾」編 2・28事件4

2017年03月30日 08時17分45秒 | 台湾

 

 休館日ということで仕方なく「二二八和平公園」をぶらついていたときこのような掲示板に出会いました。以下冒頭の部分を転記します。

 

「一九四五年、日本が降伏し戦争に負けたことが伝わると、台湾の人々は、不平等で正義にもとる植民地支配が終わりを告げたことの歓びに湧き返った。しかし、台湾接収の重責を担った台湾行政長官の陳儀は、人々の期待に反して、民情に疎く、偏った施政を行い、台湾の人々を差別した。官紀の腐敗、産業生産の落ち込み、物価の高騰、深刻な失業なども加わり、人々の不満は爆発寸前となった。

 一九四七年二月二十七日、専売局の取締官が台北市延平北路で闇タバコの取り締まりを行った際、煙草売りの婦人を殴打し、近くにいた市民を誤って射殺したことが人々の憤懣に火をつけた。翌日、怒りを抑えきれない人々が取締官の処罰を求めて行政長官公署に向かいデモを行ったところ、発砲を受け幾人もの死者が出たことから怒りの炎は台湾全土に広がった」

 

 以下少し注を入れます。

①    「怒りの炎」の抗議の声に「シナチャンコロは帰れ」がありました。「シナチャンコロ」は日中戦争中の日本人の中国人への最大の侮蔑語でした。その言葉を台湾のひとが中国国民党政府に対して発したのです。また「島から逃げ出す一匹の犬(日本人)と入ってくる一匹の豚(外省人)」を描いたポスターが貼られその説明に「犬はうるさいが人を守ることはできる。豚は食って寝るだけだ」とありました。「外省人」とは日本統治が終わった後に中国本土から来た人たちを言います。200万~100万といわれています。彼らがその後政治的実権を持ちます。

②    二二八事件後国民党政権は戒厳令(1987年まで)を発し投獄者は15万人、犠牲者は2万8000人~1万8000人といわれています。

 

 この項の冒頭で228事件が台湾人の親日である最大の要因であると述べたことを以上の228事件の紹介でご理解いただけたと思います。誤解を恐れず単純化すれば国民党政権への怒りが日本植民地支配への怒りを帳消しにしたということですね。豚より犬(日本)の方がましということで日本が免罪されたわけですね。

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