2003年、クロアチアで台湾の人から流暢な日本語で声をかけられました。私は「日本は皆さんにあまり良いことをしなかったにもかかわらず、親切に声を掛けていただいてうれしいです」と言いました。すると一人は「台湾の現代化は日本のおかげです」、もう一人は「50年前は同胞でした」という答えが返ってきました。私は名状しがたい感情の高ぶりで涙を抑えることが出来ませんでした。私は今鹿児島に住んでいると話すと私の小学校の恩師は鹿児島の人でしたという話までされました。
なぜこのような発言がなされたのか、そのことについて少し考えてみました。
最初に考えられるのは台湾と朝鮮半島に対する日本の植民地政策の違いに起因するということです。しかしこれは私の乏しい知識に照らし合わせても間違いだと思いました。そこで気がついたのは台湾での本省人と外省人の感情的対立問題です。
1945年の日本の敗戦日を台湾、中国では光復日と言います。台湾の人たちは希望に満ちていました。しかし国府軍を中心とする本土からの移住者(外省人)の横暴に対して本省人(元から台湾にいた人たち)の反感はつのります。「島から逃げ出す一匹に犬(日本人)と入ってくる一匹の豚(本省人)」を描いたポスターが当時貼られていました。それが爆発したのが1947年の2・28事件です。当時本省人から外省人へ「シナチャンコロ」(戦時中日本人が中国人をののしる言葉)という罵声が浴びせられました。すなわち 日本植民支配への怒りが外省人への怒りで隠され、日本時代へのノスタルジーに変わったのではないかというのが私の解釈です。