写真にみられるように城壁に囲まれた要塞の街です。第2次世界大戦でアメリカの爆撃を受け、街の80%が壊滅。すべてを壊して新しく建て直すか、壊滅した状態を保存するか、元の街を再現するかの選択を迫られ、結局元の街を再現することを選びました。
歴史的にこの街が有名なのは英語でprivateer 私掠船と呼ばれフランス語でコルセールと呼ばれる国王公認の海賊の拠点でした。イギリスの私掠船は有名ですがフランスのコルセールにつてはここで初めて知りました。略奪したものの分け前は国王3分の1、船の提供者3分の1、海賊に3分の1でした。
この地の海賊で最も有名なのがRobert Surcouf(1773~1827)です。写真左下は1903年建造の彼の像です。フランス革命のただなかでの活動で舞台は一般によく知られているカリブ海ではなくインド洋でした。「10年間のうちに3650隻を襲った。400人の兵隊や水夫がいた船を、わずか120人で襲って略奪をしたこともある。多大な富を手にした彼は、ナポレオンよりも裕福で彼に金を貸していたともいわれている」(観光リーフレット) このリーフレットには記載がないのですが、ウイキペディア(英語版)によれば当時すでに禁止されていた非合法の奴隷交易にも携わっていました。また“Five ships of the French Navy have been named in honour of the 19th century privateer Robert Surcouf”と書かれていました。なぜhonourなんでしょうね。
船と海賊船の境界線は漠然としていた」(増田史郎「略奪の海カリブ海」p121」は常識のようです。
特別に自警団を許可していた。こういう国は北欧にもあると思います。
古くより海軍の任務の一つに、自国の通商路(シーレーン)の維持と、敵国の通商路の妨害・破壊がある。大航海時代以後、航路が世界規模になるにつれてカバーしなければならない海域が広大となり、海軍の能力が及ばない事態が生じてきた。各国は解決策として、民間船に私掠免許を発行した。