中南米の歴史をヨーロッパ人中心に見るとコロンブスに始まるスペイン人のコンキスタドール(conquistador英語、スペイン語から。16世紀中南米を征服したスペイン人)、そしてその富をめぐりヨーロッパ諸国のバッカニア(buccaneer 英語、16~17世紀、スペイン船や植民地を荒らした海賊。語源については後記)の活躍ということになります。
そこで今回の旅行で出会ったパナマに関係深いコンキスタドールのバルボアとバッカニアのヘンリー・モーガンを紹介します。
バスコ・ヌーニエス・デ・バルボア(1475~1519)はスペイン貧乏貴族の生まれで1550年カリブ海のイスパニョーラ島に移住しリーダーになります。その後パナマのカリブ海側に植民しインディオから南に大きな海と黄金が算出するところがあると聞き1513年190人の部下とインディオの奴隷1000人を率いて探索を始めます。このときの部下に後にインカ帝国を滅ぼしたピサロがいます。そのときの探索の結果がヨーロッパ人として始めてパナマ地峡を通り太平洋に到達し歴史にその名を残すことになります。
このときの行程は地図を見れば分かるように北のカリブ海→南の太平洋なのでバルボアは太平洋を「南の海」と名づけてかなりの間この名前が使われていました。カリブ海を「北の海」としました。
なおガイドブック「地球の歩き方」ではバルボアが「太平洋」と名づけたと書かれていますがこれは間違いです。(訂正を申し込みしました)ちなみに「太平洋」と命名したのは南アメリカの最南端を通り世界一周したマゼランです。
その後上官との折り合いが悪くなりかつての部下ピサロに捕らえられ反逆罪に問われ斬首刑(絞首刑とも)に処せられました。彼の人間性についてはいろいろと毀誉褒貶がありますが以前紹介した「パナマ地峡秘史」ではインディオ酋長の娘と交情をめぐってかなり同情に書かれています。
写真はパナマ市にあるバルボア像です。
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