100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

特別編 ワンちゃん マッターホルン チェルマット3

2006年01月10日 10時29分08秒 | スイス

 少年時代確か中学生の時、ウィンパーの「アルプス登攀記」を読み感激しました。当時は病弱であったためマッターホルンに出会うことなどはまったく諦めていました。ところが今回の旅で展望台のゴルノグラードでこそ見ることができませんでしたが,麓のチェルマットからのその雄姿に出会い大感激でした。

 しかもチェルマットでの宿泊がウィンパーの定宿ホテル・モンテローザということでこれまた大感激でした。

 ここでご存じない方のため、簡単にウィンパーについて紹介しておきます。彼は1840年ロンドン生まれの英国人です。アルプス登山で最後の登攀不可能といわれたマッターホルンを1865年にこのウィンパーが征服したのです。 「苦闘6年、七たびにおよぶ敗退にもめげず、とうとう彼は目的を達してマッターホルンの頂上に立った。しかし下山にかかってまもなく悲劇は起こった」(岩波文庫「アルプス登攀記下」のカバーより) 

 その悲劇とは下山時にザイルが切れ7人の内4人が転落死したのです。

  写真はウィンパーの初登攀60年を記念するためイギリス山岳会から1925年送られたウィンパーの浮き彫りでホテルモンテローザの道路沿いの壁にはめ込まれているものです。


特別編 ワンちゃん マッターホルン チェルマット1

2006年01月08日 09時26分51秒 | スイス

 友人からの年賀状にマッターホルンを背景に子犬2匹の写真がありました。それで今年は戌年で我輩も戌年であることを思い出しました。そこで慌ててワンちゃんの写真を探しました。それを今回緊急の特別編として紹介します。 

 写真の場所はスイスのマッターホルンが見えるはずのゴルノグラードです。この日の早朝麓のチェルマットからマッターホルンは鮮やかに見えていました。ところが登山電車でゴルノグラードに近づくにつれ雲が増え頂上ではまったく見えなくなりました。

 したがってこの写真はマッターホルンが見えるはずの方向に向かってのワンちゃんとの写真です。私の顔の白いところは雪です。このワンちゃんは本来遭難救助犬です。しかしなんとなくショボクレテ見えませんか。現在は遭難救助としての役割はなくなりこのように観光客相手の仕事になったのがショボクレの理由のような気がするのですが。しかもこの日の天候では私のような人間しか一緒に写真を撮る者がいなかったからでしょう。


世界のコドモたち編 ドイツの巻6 バンベルク4

2006年01月06日 08時54分23秒 | ドイツ

 バンベルクの続き。大聖堂でリーメンシュナイダーの彫刻に出会いました。(写真)私には絵画、彫刻などは「猫に小判」、「豚に真珠」なのですがなぜかこの人の名前だけは記憶にありました。

 それは以下のドイツ人ノーベル文学賞作家トーマス・マンの言葉です。1945年ドイツナチス崩壊直後の講演です。

 「ドイツ革命(16世紀のドイツ農民戦争)のこの最初の試みの悲しむべき結末について****ドイツの国民的人物であるルターは大いに責任があります」と述べ、

 それに対比して「当時ドイツに、私が完全な共感を覚える一人の男がいました。その名はティルマン・リーメンシュナイダーといい、敬虔な工芸の親方、彫刻家で木彫家***高い名声を博していました。****人間として、市民として高い声望を勝ち得て、市参事会員でした。***貧しい人々や圧迫された人々のために脈打っていた彼の心は、彼が正義であり神意にかなっている認めた農民の立場に味方し、領主や司教や諸侯に反抗***対農民戦への従軍を拒否****。彼はそのために、恐ろしい償いをしなければなりませんでした。***農民一揆が鎮圧されたのち、彼が反抗した勝ち誇る歴史的勢力は残虐極まる復讐を彼に加えたからです」(岩波文庫「ドイツとドイツ人」p17~19)


世界のコドモたち編 ドイツの巻5 バンベルク3

2006年01月06日 08時42分50秒 | ドイツ

 もう少しバンベルクの紹介をしておきます。この街の真ん中をレグニッツ川が流れているのですが古くは左岸が司教区で右岸が商人漁民区でした。そこでその中間すなわちレグニッツ川の中洲に市庁舎ができました。写真はその中州にある旧市庁舎です。

 なお、前回紹介したレグニッツ川沿いの家並みは旧漁民の家です。この街は西ヨーロッパでは珍しく鯉料理が名物です。旅行社の案内では夕食に出る予定でしたが季節外れということでダメでした。


世界のコドモたち編 ドイツの巻2 ブレーメン

2006年01月02日 09時53分26秒 | ドイツ

 ついでにブレーメンの町を紹介しておきます。写真は市庁舎です。ハンザ同盟加盟の自由都市として古くから栄えていましたが、第二次世界大戦での空爆で街の69%が破壊されました。一般にヨーロッパの場合昔のままに復旧されています。勿論ブレーメンも例外ではありません。

 ドイツ人はデジタルですね。日本なら約7割というところを69%ですからね。そういえばビールのジョッキーにもちゃんとメモリがありました。


世界のコドモたち編 ドイツの巻1 ブレーメン

2006年01月02日 09時30分13秒 | ドイツ

 番外編お墓」はあと少し続くのですが正月早々お墓とは?という声も聞こえてきそうなので、本日は平和と希望のシンボル「世界のコドモたち編1」とします。 

 場所はドイツメルヘン街道にあるグリム童話「ブレーメンの音楽隊」で有名なブレーメンです。その市庁舎横の「ブレーメンの音楽隊」の像の前で撮った写真です。異国のヘンなジジイにも嫌がらず嬉々として一緒に写ってくれたこの少女に感謝です。今思い出しても涙が出るほど楽しい想い出の一枚です。(私はロリコンではありません。念のため)