100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「中国シルクロード」多民族国家中国8 ウイグル1

2006年11月15日 08時41分29秒 | 中国シルクロード

  今回の旅行はシルクロードの主な幹線が走る新疆ウイグル自治区でした。(9月4日と9月30日の地図をご覧ください)面積は中国領土の6分の1で日本の4.3倍にもなります。そのうち砂漠が4分の1を占めます。人口は1900万です。一番西にあるカシュガルから区都のウルムチまで飛行機で5時間、ウルムチから北京まで4時間、北京から成田まで3時間といえばその広さを実感できると思います。 

 ウイグル自治区という名前の通り中国全体では少数民族であるウイグル族がここでは多数で47%を占めます。漢民族が38%、その他の少数民族となります。 というわけでこの地域での文字表記は写真のように漢字と、アラビア文字を改良したウイグル文字との併記になっています。「便利商店」という字の上にある文字がウイグル文字でアラビア語と同じく右から左に書きます。「便利商店」とは日本で言えばコンビニに当たるようです。ちなみにスーパーは「超市」です。

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「中国シルクロード」多民族国家中国7 麦積山

2006年11月13日 08時52分37秒 | 中国シルクロード

 ついでに8年前に撮影した麦積山石窟の写真を紹介しておきます。中国ではたくさん石窟を見ましたがこの麦積山石窟が一番好きです。今回の旅行でその話をしたところ同行の一人から同感との声があがりました。

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『中国シルクロード」多民族国家中国6求人3

2006年11月13日 08時45分29秒 | 中国シルクロード

  これは8年前に天水(西安の西方328kmにあり麦積山石窟で有名)で見かけた求人広告です。賃金だけが書いてあります。300元ぐらいが主で例外的に1000元もあります。今回のカシュガルでは4000元から5000元です。地域差や物価の上昇があるので安易な比較は出来ませんが、少なくとも名目賃金は8年間で約10倍ということになります。「元」は当時も現在も1元=15円のレートです。

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「中国シルクロード」多民族国家中国5 求人2

2006年11月11日 08時15分05秒 | 中国シルクロード

  これも同じところにあった求人広告です。こちらは漢民族(11月9日に説明したようにサンズイにヌは「漢」です)と普通語が条件でこちらも簡単英語というわけです。

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「中国シルクロード」多民族国家中国4 求人1

2006年11月11日 08時10分40秒 | 中国シルクロード

  写真はカシュガル(9月4日と9月30日の地図をご覧ください)の職安と思われる前にあった掲示板に張られていた求人広告です。中国語は全然分かりませんが漢字を頼りに見ていきますとすこしは求人条件が分かります。まず少数民族で普通語が出来る人というのが目に付きます。普通語というのは昔北京官話といわれていた公式共通語です。この地方特にカシュガルはウイグル語(後記の予定)が母語の人が多いのです。少数民族が条件でも普通語という共通語が出来なければいけないということのようです。英語がすこし出来ることも気になりますね。その他はよく分かりません。中国語の分かる人いれば教えてください

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「中国シルクロード」多民族国家中国3満州族3

2006年11月09日 08時56分11秒 | 中国シルクロード

 私と段さんです

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「中国シルクロード」多民族国家中国2満州族2

2006年11月09日 08時52分45秒 | 中国シルクロード

 段さんの身分証明書の表です。

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「中国シルクロード」多民族国家中国1満州族1

2006年11月09日 08時48分17秒 | 中国シルクロード

  前回、オロス族、シボ族、9月28日にはモンゴル族、10月20日と22日にはカザフ族について触れましたが、そこで今回「風景、景観」編を一時中断して多民族国家中国を数回にわたって紹介します。

 写真をご覧ください。北京での現地ガイド段さんの身分証明書(中国国民は所持が義務付けられています)です。下が古いもので上が日本の写真印刷技術による新しいものです。民族欄がありますが、新しいほうには民族が「満」とあり満州族を意味しています。ところが古い方はサンズイにヌという字が書いてあります。これは「漢」という字の簡体文字です。すなわち多数民族の漢民族を意味しています。ちょっとおかしいですね。この疑問を残して民族についての一般的なことを紹介しておきます。 

 民族の学問的定義は確定されていないようで本人の帰属意識が一番大切のようです。(以下「多民族国家 中国」(岩波新書)による) 

 中国では人民共和国建国以来3次にわたって「民族識別」が行はれ第1期には38の民族が認定され1978年から1986年にかけて第3期の識別が行はれ現在の漢民族と55の少数民族が確定し政府は「民族識別」が終了したと宣言しました。 その間1982年から個人単位で「少数民族出身者の身分の回復」が認められ数百万人がその民族出身を漢民族から少数民族に変更しました。出身民族を少数民族に変更した人のなかには、就職、高校と中学の入学試験、計画出産(後記の予定)などに優遇されます。というわけで「少数民族と漢族の両親の間に生まれた子供が少数民族の籍を選ぶのは現在の中国では半ば常識のようなものである」(前記の本p)

 実は北京の現地ガイド段さんは漢民族と満州民族(満州八旗の末裔)との間に生まれたダブル(ハーフ)だったのです。これで疑問氷解ですね

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「中国シルクロード」景観風景編 国境の町伊寧6 イリ大橋2

2006年11月07日 08時56分26秒 | 中国シルクロード

  というわけで、イリ大橋を渡りシボ族の人たちを探して歩きました。出会えませんでした。ところが色々聞いているうちにロシア人と自称する人(オロスと発音したのを直感的ロシアと理解しました)に出会いました。写真の人です。どう見ても、スラブ系には見えませんよね。東洋系ですよね。本人が私をからかったのかどうかは、よく分かりませんが、民族というのは主観的なもので本人の帰属意識が優先されるので、この場合も彼を信用しようと思います。

 彼らはオロス族と呼ばれ18世紀にロシアからこの地に移住してきて現在もロシアの習俗を強く遺しており少数民族と認定されています。人口は1万5千人です。

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「中国シルクロード」景観風景編 国境の町伊寧5 イリ大橋1

2006年11月07日 08時48分42秒 | 中国シルクロード

 このイリ大橋について前回も紹介した25年前のNHKの旧シルクロード取材班の本「シルクロード第6巻」(p177~180)にちょっと興味深い話が書かれています。  

  私たち取材班は、イリ河をはさんで伊寧市の対岸に住むシボ族  (注)を取材しようとした。ところがイリ河に架かるイリ大橋(350m)のところでとめられてしまった。ここから国境(80km、当時中・ソ)までは、いわゆる国境緩衝地帯として、一触即発の危機を和らげているのである。今、ここを越えて先に進めるのは、中・ソ対立以前からそこに住んでいるわずかな人々だけである。というわけで残念そうに対岸を眺める司馬遼太郎さんの写真が載せられています。

 しかし現在はこの橋を渡ることが出来ます。この橋を渡り司馬さんが眺めた位置に向けたのがこの写真です。

 (注)満州族の一支族で中国全体では約18万人、そのうちこの地  域に住む人たちは3万6千人。前回紹介した清朝乾隆帝の新疆地域征服にかりだされ、そのままこの地に屯田兵として居ついた人々の子孫。現在満州語は話す人が殆どいなくなり、かろうじてこの辺境に住むシボ族がそれを残しているのみ。

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「中国シルクロード」景観風景編 国境の町伊寧4恵遠古城

2006年11月05日 08時17分16秒 | 中国シルクロード

 伊寧の街から西40kmのところに恵遠古城があります。(写真)ここは清朝時代のこの地方の政治的中心地であると同時に国境の軍事拠点でもありました。1763年清朝乾隆帝がモンゴル族ジュンガルを滅ぼし恵遠城を作り、その後ロシアとの国境争いで破壊されイリ条約(1881年)の後再建されました。25年前のNHKのシルクロード取材班はここまでは来ていないようで「シルクロード第6巻」には他の人の撮影した写真が載せられています。(p174)

 蛇足ですが恵遠城とは遠くの地に恵を与えるという意味からきています。

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「中国シルクロード」景観風景 国境の町 伊寧3 コルガス3

2006年11月03日 08時51分48秒 | 中国シルクロード

 コルガス国境は観光もそうですが、一義的にはカザフスタンとの交易場所です。近年立派な交易市場が出来ました。(写真)現地ガイドも添乗員も初めての出会いだったようです。文字が漢字と並んでキリル文字(ロシア文字)であることに注目してください。

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「中国シルクロード」景観風景編 国境の町伊寧2コルガス2

2006年11月01日 09時37分44秒 | 中国シルクロード

 この地方がいかに辺境の地でロシアに近いか、という話がNHKの旧「シルクロード第6巻」(p72)にあったので紹介しておきます。 今から80年ほど前の話です。北京から1人の役人がこの地方に出かけたルートです。北京→上海→神戸→敦賀→ナホトカ→シベリア鉄道→西方→イリ

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「中国シルクロード」景観風景編 国境の町伊寧1コルガス1

2006年11月01日 09時30分27秒 | 中国シルクロード

 シルクロードは大別して、北から天山北路、天山南路(西域北道)、西域南道に分かれます。今まで紹介していた地域は天山北路にあたります。伊寧(イーニン)はその中国側の天山北路の最西端にあるイリカザフ州の州都です。(9月4日と9月30日の地図をご覧ください)イーニンから西に90kmにある カザフスタンとの国境ゲートがコルガス国境です。(写真)

 一般に何処の国でも国境は写真撮影は禁止されますが(EU間は例外)ここはOKで観光化され観光客も多く入場料も取られたようです。

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