旅の前半は日本と同じで無味乾燥?な表示ばかりで少し諦めていたのですが全州で自由時間があったので喫茶店に入り用を足そうとして出会ったのがこの一品?でした。このポーズは初めて見ました。
「くろいぬ」さんコメント有難うございました。今度ソウルに出かけられた際はぜひパゴダ公園にお立ち寄りください。
“fengdan”さんコメント有難うございました。Fengdanさんは大連生まれの在日中国人ですが彼女の話によれば安重根は旅順の刑務所に拘留されました。その刑務所は現在博物館になっていてそこに安重根についての説明、展示物があるそうです。
「日本と韓国」の最初(4月21日)に日本人が韓国旅行をする場合は特別の意味が有るべきだと述べました。そしてドイツの元大統領ヴァイツゼッカーの言葉も紹介しました。しかし、日本と韓国の関係するところは意図的に削除されていました。私はその意図とは韓国人が日本人に「おもねる」、いや日本人のお金に「おもねて」いると思いました。すなわち日本人の感情を害する所と思われるところは削除して気持よくお金を使わす狙いがその意図であると思いました。
買物通りに隣接するパゴダ広場の案内をしないこと、李舜臣のドラマはNHKでは放映されないという現地ガイドの話、「3・1運動を日本人は知らない」、「安重根記念館はツアーコースには今後とも入らないだろう」という現地手配会社の高さんの話などがありました。しかしこれらは一般の日本人の知識、感情をかなり誤解しているようにも思いました。
しかし、同時に韓国人の感情に「日帝時代の嫌な思い出」を消したいという思いもかなり強くあるように思いました。これは野沢秀雄さんがコメントで指摘されていました。鎮海チネの帝皇山公園、明成皇后追悼碑の削除、パゴダ公園が2009年度観光公社のパンフレットからの削除などでわかります。日本人の私がこのような韓国人の感情にとやかく言うことはできませんが、歴史的事実は消すことはできないということはできるかもしれません。
ちょっと話が飛ぶようですが、私は海外旅行でよく韓国人に出会います。韓国人は世界でも有数の海外旅行好き(2009年3月29日)のようでよく出会います。旅行者と見れば” Where are you from ? “ (どこから?)と尋ねるのが私の悪癖の一つです。みなさんはたいてい明るく答えてくれます。“Israel ! Israel is small but great!” などの返事が返ってくることがあります。台湾の人からはこちらから尋ねる先に日本の人ですかと親しげに話しかけてくれたことはかなり沢山ありました。そのことについては2011年2月3日に紹介しています。この台湾の人と対極にあるのが韓国人です。日本人と分かるとお前とは話したくないといった表情がありありとわかります。かなりの韓国人と海外で出会いましたが例外的にフランクに話してくれたのはシリアで出会ったクリスチャンのグル―プだけです。例外的であまりに嬉しかったので10年も前になりますがその時の様子がいまだにボケ老人の私にも記憶に残っています。この韓国人の外国での日本人に対するお前とは話したくない態度は韓国人の一般的な感情だと思っていました。今回の旅行ではそんなことは一度もありませんでした。偏見かもしれませんがそれは先に述べたように「お金」だと思います。
朝日新聞の記者であった小林慶二氏はその著「観光コースでない韓国」で以下のように述べています。
「***ソウル特派員を突如命じられ、赴任直後、歴史知識の無知をののしられた経験がある。韓国人は、謝罪するどうかはともかく、日本人が過去の歴史を学ぶことを望み、そうしようとしない日本人に不信と苛立ちを隠さない。(私注 観光客には『お金』のためにそうしない)いまだに60%を越す『日本嫌い』は、具体的な経験より、日本人の態度への不信である」(p13)
また次のようにも述べています。
「2006年、修学旅行や研修旅行で韓国に行った学生は184校、2万3千198人に及ぶ。若者に国境の壁は薄く、友人や思い出をつくって帰ってきた学生は少なくないだろう。だが、その友情が長続きするかどうかは疑問が残る。一方は過去の歴史を熟知し、片方はほとんど無知という、まったく違った土台の上につくられた友情だからだ」(p12)
このことは学生だけのことではありません。日本からの一般の韓国ツアー参加者の大部分がそうです。
韓国の旅行関係者にお願いしたい。明成皇后殺害、3・1運動、朝鮮語学会事件、柳寛順、安重根、李舜臣などの話をして嫌な感情を抱く日本人はほとんどいません。柳寛順にいたっては感動で涙する人が大部分でしょう。これらの話からもっと、もっと日韓の歴史を知り真の友好を深めたいとの旅行リピーターが増えること請け合いです、そして日韓の友情と友好がいっそう深まること請け合いです。
日本の旅行関係者にお願いしたい。韓国旅行関係者と話をして「歴史知識の無知をののしられ」ないような韓国ツアーコースを作ってください。どうですか「日韓友好を目指す歴史とグルメのツアー」はどうですか。リピーターが増えること請け合いですよ。
最低でもパゴダ公園で柳寛順を熱く語る現地ガイドのコースは作ってください。
最後に今回気にかかったことをもう一つ。現地ガイドの「ハングル語では**」という言い方が気にかかりました。ハングル語という言語はないと思います。ハングルは文字で日本ではカナにあたると思います。何故「韓国語」ではいけないのですか。NHKの語学講座で「ハングル講座」(ハングル語講座ではありません)とあるのを誤解したではないかと私は推測しました。NHKは「韓国語」とした場合北朝鮮関係で問題なので共通の文字ハングル講座としたように聞いています。これもなんだか日本に間違って媚を売っているとように感じるのは私の邪推ですかな。
「歴史認識の無知をののしる」、しかし旅行客には不快な思いをさせずにお金を使わすために歴史認識に蓋をする、同時に日帝時代の嫌な思い出は消したい、これらのアンビヴァレントな(感情)を韓国人にみた今回の旅行でした。
私はナショナリズムが嫌いで出来ればコスモポリタン的でありたいと常日頃思ってきましたが、今回の韓国旅行で違った意味(?)でのナショナリストになったような気がしました。
写真はソウルの世宗路に李舜臣の像と並んでいた世宗大王の像です。彼は5月3日に紹介したようにハングルを作り仁政を施したとして最も尊敬されている朝鮮王朝4代目の国王です。手前に見えるのが彼の時代につくられた土地測量器でその向こうにあるのが世界で最初につくられたとされる測雨器です。この地下には彼の博物館がありました。日本では文化を残し仁政を敷いた天皇の話はありませんが、強いてあげれば神話の世界の仁徳天皇ですかね。
次回からは少し肩の力を抜いて韓国トリビアの巻を始めます。最初は恒例(?)になったトイレのシンボルマークです。優れものがありましたよ。
「***朝鮮語に対する新たな関心を呼び起こし、何年間も繰り返し伝えられる偏狭な民族観念を鼓舞激励し民族文化の向上と、民族意識の高揚をもくろみ朝鮮独立のために実力伸長の手段を講じ全力を***」
「偏狭な」という単語を除けばこの文章は表彰状のように読めます。しかし1945年1月16日裁判所の判決文です。このような理由で「治安維持法」の「内乱罪」が適用され「朝鮮語学会」の関係者8名に8年~2年の懲役刑の判決がありました。それまでに2名が獄中で死亡していました。日本政府の朝鮮語(韓国語)抹殺政策のシンボル的事件でした。
「朝鮮語学会」は1921年に結成され「朝鮮語辞典編集会」を組織して辞典編集に着手し、「ハングル正書法統一案」を制定しました。この事件で「朝鮮語大辞典」のために用意されていた三万二千枚の原稿と20万の語彙カードが押収されました。
博物館内は薄暗くノーフラッシュのカメラで腕も悪く、日本語の説明文も少なく良い写真は有りませんが、以下4点を紹介します。
獄中で皇国教育がなされていたのですね。蛇足ながら戦後教育の皆さんに「皇国」とは「天皇の統治する国」という意味であることを注にしておきます。担当者も本気で彼らに皇国教育ができると思っていたのでしょうかね。
日本敗戦(韓国では光復日)の翌日1945年8月16日にここ西大門刑務所から多くの反日、独立運動をした囚人たちが出獄しました。ここ西大門は植民地時代(韓国では日帝時代)多くの政治犯が収容されていました。4月30日に紹介した柳寛順ユガンスンもここに収容され拷問で死亡しました。その後普通の刑務所になりましたが、1998年歴史館になり一般公開されています。
写真は入り口です。
記念館の広場には自然石の記念碑がいくつかありました、これは1979年に誕生110年記念事業として建立した故朴正煕大統領の揮毫碑です。
入館料は無料でしたが、来館者は少ないようで館内は閑散としていました。なぜか私には私の一挙手一投足を監視するように一人の女性がついて回りました。日本語も通じなくしたがって何の説明も案内もしません。ただ展示物の撮影の可、不可をやかましく指示しました。私の邪推かもしれませんが、日本人が何か展示物にいたずらをするのではないかと監視しているように感じました。館内には日本語を話す人は一人もいませんでしたが日本語のパンフレットはありました。
安重根は1879年生まれ、1894年結婚、1897年カトリックに入信、1908年抗日義兵に参加、義兵戦争に敗れ1909年断指同盟を結成します。
抗日義兵とは、朴殷植はその著「韓国独立運動之血史」で以下のように定義しています。
「義兵は民軍である。国家有急のとき、ただちに義をもって起ち、朝令による徴発を待たずして従軍する適愾者である」
また、宮本正明氏は「1910年の『韓国併合』は、粘り強く継続された義兵闘争を徹底的な武力弾圧により圧殺するなかでなしとげられた」(東アジア近現代通史4 p317)と述べています。
断指同盟については写真の説明文をご覧ください。これは韓国の古い習慣で「弑逆の宣誓をあらわしています。(週刊金曜日825号鎌田慧「残夢」p53)
逮捕拘禁裁判をした日本の当局も安重根については一定の敬意をもって接していたようです。獄中では拷問もなかったようですし、死刑の判決後裁判官が上告を勧めてもいます。彼はそれを断ります。彼はまた獄中で自叙伝と東洋平和論を執筆していますが、裁判長はそれが完成するまで死刑執行を延期する処置を執っています。
彼の東洋平和論はヨーロッパの侵略に対して韓・日・中がお互い平等の立場で協力し共同で事にあたり東洋平和を守ろうと論じたものでした。
ちょっと余談噺になりますがでっち上げの大逆事件で幸徳秋水が逮捕された時(1910年5月)鞄の中に安重根の肖像写真がありそこに「安君一挙 天地皆振」と快哉の一句が書きつけられていました。(週刊金曜日852号鎌田慧「残夢」p52~53)
年本雅樹さんいつもコメント有難うございます。