ここでのガイドさんです。もちろんイスラーム教徒のタタール人です。でもスカーフはかぶっていませんね。
蛇足をひとつ。ここはイスラーム圏ですからアラビア語「アッサラームアレイクム」のあいさつ言葉が通用しました。
ここでのガイドさんです。もちろんイスラーム教徒のタタール人です。でもスカーフはかぶっていませんね。
蛇足をひとつ。ここはイスラーム圏ですからアラビア語「アッサラームアレイクム」のあいさつ言葉が通用しました。
5月14日の地図にクリミア半島がありますが、この地域を中心に15世紀~19世紀後半にかけてクリミア汗国(1441~1783)が繁栄を誇っていました。ジンギスカンの血筋を自称するイスラーム教スンニ派タタール人の国家です。1783年にロシアに併合され1944年には対独協力という濡れ衣でスターリンによって一人残らずウズベキスタンなどへ強制移住させられました。ソ連邦崩壊後世界各地から帰還が始まり現在ではこの地に約25万人のクリミア・タタール人が住んでいます。
このクリミア汗国の首都があったバフチサライ(庭園宮殿と言う意味)を観光しました。この宮殿は16世紀にオスマントルコ、ペルシア、イタリアの建築家によって建てられその後数回建て替えられましたが基本構造は原型のままです。写真は宮殿の入り口です。ご覧の通り沢山の観光客で賑わっていました。
黒川祐次氏は「物語 ウクライナの歴史」で次のように述べられています。「私も同地を訪れたが、現在ヨーロッパ化しているクリミアの山峡に純イスラム風の木造の宮殿が忽然と現れるのを見て何か魔法にかかったような不思議な感覚にとらわれたものである」(p80)
追記 2020年10月13日
写真はベラルーシのミンクスのホテルで見かけたリビア人の若者たちです。かなり多くの若者がホテルに宿泊していました。アッサラームアレイクムというアラブの挨拶をして一緒に朝食をしました。何故ここにこのように大勢のリビアの若者いたのでしょうね。
ウクライナのオデッサで自分はジプシーだと言って話しかけていた中年の男性がいました。ロマではなくジプシーと言ったのもよくわかりませんでした。
モルドヴァについては今回の旅行前まではワインが有名だということしか知りませんでした。1991年までソ連邦の一員であったことぐらい少しは知っていましたが恥ずかしながら隣国のルーマニアと言語もほとんど同じの同一民族の国であることは知りませんでした。したがって。両国の統一問題が常に政治問題になっているようです。
そこで、現地ガイド(写真)にあなたはルーマニアとの合併を望みますかと尋ねてみました。彼女は長々とその間の事情を説明してくれているようですが、私にはほとんど理解不能です。そこでもう一度あなた自身は統合に賛成ですか、反対ですかと尋ねました、彼女の答えはガイドとしてはその質問には答えることができないという返事でした。政治的に微妙な問題のようです。