この写真はバスからヤンゴン市内の道路を撮ったものです。横断歩道のしるしがありますが、赤青の交通信号がありません。このように交通信号のない横断歩道がほとんどでした。交通量の多いところで横断歩道もないところを渡っている歩行者もいました。もうひとつ、市内ではバイクを見かけませんでした。法律でヤンゴン市内ではバイクは禁止されているそうです。
この写真はバスからヤンゴン市内の道路を撮ったものです。横断歩道のしるしがありますが、赤青の交通信号がありません。このように交通信号のない横断歩道がほとんどでした。交通量の多いところで横断歩道もないところを渡っている歩行者もいました。もうひとつ、市内ではバイクを見かけませんでした。法律でヤンゴン市内ではバイクは禁止されているそうです。
「水かけ祭り」のオウマさんの踊りを紹介するのが遅くなりオウマさんには大変失礼しました。
彼女の特技の一つに踊りがあります。パガンでの夕食時少女たちの踊りのショウ(後日紹介)があり、そこでオウマさんが飛び入りの水かけ祭りの踊りを披露してくれました。「水かけ祭り」はミャンマー暦の元旦を祝う国民的お祭りです。タイのも有名ですね。
現地ガイドはすでに紹介したように日本語ペラペラのオウマさんでした。(正確な名前はオンマータイOhn Mar Htaikさんです)彼女は日本の大学(京都)にも留学していて日本大好きのミャンマー人です。日本人と結婚したかったそうですが縁がなく現在ミャンマー人と婚約中だそうです。留学後もたびたび来日されており現在も来日中(今日明日に帰国とのこと)で私がお願いしていたことで昨日電話をいただきました。
彼女の将来の夢はアウンサンスチーさんのような政治家だそうです。私が少し意外だったのは現大統領ティン・セインも尊敬していることでした。
今回の旅行の現地手配会社は「さくら観光」でした。小須田明雄さんが日本の会社を脱サラしてミャンマーに住みミャンマー人のニン・ウェー・ラインさんと結婚して旅行手配会社を2012年に立ち上げました。ミャンマーでは外国人は社長には成れないようで小須田さんはアドバイザーという役職で、奥さんが社長さんです。
写真は社長ご夫妻で子供さんもいらっしゃるようです。(以上おもにwww.sakurakankou.comによる)
日本からの個人旅行などはオウマさんのような日本語スタッフなどが充実しているようなのでこの会社に直接依頼されるとよいように思いました。
表紙には初級となっていますが、かなり難しそうですね。ちなみに、ビルマ語と日本語の文法は類似していて比較的学習は容易だそうです。
今回の現地ガイド、オウマさんはほぼ完ぺきな日本語の使い手でした。(次回紹介)
ヤンゴンにある寝釈迦像で有名なチャウッジーパゴダ(後日紹介)を観光中写真のような日本語教科書で勉強していた高校生らしき女の子がいました。ミャンマーでは日本語を学習する人たちもかなりいるようです。ミャンマー人の日本留学生は年々増加しアジアからの留学生の8位を占め2011年統計で1682人となっています。
メイッティーラは第2次世界大戦の末期ミャンマーでの日英最大の激戦が行われ日本軍は敗北し双方数十万人の死傷者が出た所です。勿論現地の人たちも巻き添えに遭い多くの人が亡くなりました。この地に国家や人種を超えすべての犠牲者を弔い世界平和を祈願して「ナガヨン・パゴダ」(世界平和パゴダ)が建立されました。
ヤンゴンからチャイティーヨへ向かう途中でバスが止まり「右向こうに見えるのが第2次世界大戦で戦死したイギリス兵の墓地です。降りて見学しますか」と車内放送がありました。見学希望者は私一人でバスはそのまま通過でした。私としては旧宗主国イギリスとミャンマーの微妙な関係を知るための手掛かりが得られればと思いましたが、残念でした。かなり広大な墓地のようですね。
パガンにある追悼碑を訪れました。この「鎮魂」の文章(拡大してみてください)に「各々の祖国のため」とあり日本人だけの「鎮魂」でないと書かれているころが好いですね。ミャンマー人に多大の被害をかけたというお詫びの一言があればもっとよかったですね。