このように近くまで行って象に触ることができます。しかし、かなりのチップを要求されるそうです。
私の著書「パックツアーの達人が教える海外旅行」の書評を「南イタリアからシチリア島、マルタ島へ」でご一緒した小林さんがamazonに投稿されました。大感激で小林さんの了解を得てここに転載します。
著者の山田百三郎さんとは、昨年”南イタリアとマルタのツアー”で知り合いました。
この本は帰りの飛行機と電車で読み終えまして、最近再読しました。
まず、レビューではないのですが、百三郎さんとの思い出で、特に印象にのこっている3つを紹介させてください。
一つ目。ポンペイで、ガイドさんがみんなにギリシア神話に関するクイズを出したのですが、答えたのは百三郎さんだけでした。
イタリア人ガイドさんは「日本人に毎回このクイズを出しているが、答えられたのは初めてです」と言われました。
二つ目。パレルモのサン・カタルド教会は自由参加で、百三郎さん以外全員1.5€も払って入ったのですが、「はいらなければ良かったー」と思いました。
出てきて百三郎さんにそう言ったら、「ガイド(たぶんロンリープラネット)に見るべきものがないと書かれていたから」と言われました。
百三郎さん、ちゃんと教えてよ!!地球の歩き方は☆☆だったんだから。
三つ目。同じくパレルモで昼食後自由だったので、百三郎さんにくっついて行きました。
「大聖堂の中に1.5€でフリードリッヒ二世とその家族が眠っているところが見られる」というので。
その少し前に塩野七生さんの『フリードリッヒ二世の生涯』を読んだばかりでしたので、本当にものすごく感動しました。
さらに、そこに次々欧米人の団体が訪れたので、百三郎さんが話しかけていました。
ドイツ人ということでした、うーん、やっぱり!
そのうちの一人が百三郎さんにドイツ語で質問、彼が答えたら皆がどっと笑いました。
「ドイツ語喋れますか」と聞かれ「少し」と答えたそうです。
私はそのやりとりを見て、ドイツの皆さんのファンになり、ドイツに行きたいと思いました。
その後百三郎さんとずーっと話しながら、ホテルまで一時間ぐらい歩いて帰りました、楽しかったですね♪
また百三郎さんとツアーに行けたらいいなあと思います。
添乗員さんの村上さんも、百三郎さんのこと気に入っているようでしたよ。
あ、すみません、レビューでしたね。
百三郎さんは好奇心旺盛で知識がいっぱいです。
とても面白い本でした。
百三郎さんの真似をして、スペインのガイドさんに「尊敬する人物は?」と聞いてみました。
やはり国王と答えられましたが、明るかったガイドさんがちょっと気難しい雰囲気になった気がしました。
韓国のところは、漢字が多くて、ちょっと面倒でした。ごめんなさい。
だけど百三郎さん的にはとても大事なところだと思うので、今度出版される時はこの私の意見を参考にしてくださると嬉しいです。
良い旅を!
「1975年に世界初の女性首相であったバンダラナイケ氏によって建てられました。森の中で親とはぐれたり、怪我をした象を保護しています。当初5頭のみでしたが、現在は85頭にまで増えました」(添乗員の松本栞さんの文章をそのまま借用)
運よく河で水浴びをしているところに出会いました。
世界3大宗教はいずれも当初は偶像崇拝禁止でした。現在それを守っているのはイスラーム教だけです。仏教もはじめは禁止でしたが、次第にそれが緩んでいきます。その最初の表れがこの写真の仏足石です。この仏陀の足跡を拝むということから次第に偶像崇拝禁止の掟が緩んでいきました。以前ミャンマーを旅行したとき涅槃仏をたくさん見ましたが、なぜか足の裏が強調されていて、私もたくさんの足の裏を撮影していました。足の裏の強調は私の今での推測ではこの仏足石の崇拝に起源するのではないかと思っています。
余談ですが、キリスト教の偶像禁止の緩みは魚が始まりのようです。イエスの名前と魚の名前とがダジャレ的に似ていることから始まったようです。(この件については鹿児島のバプティスト教会の牧師さんの話にヒントを得ています。牧師さんが魚が偶像崇拝の始まりであると説明されたのではありません。念のため)
ウィクペディアには次のような記載がありました。
最初の観光はコロンボ国立博物館でした。1877年イギリスのセイロン総督ウイリアム・グレゴリーによって作られました。博物館というのは事前にかなりの問題意識を持っていないと後に何も残りません。私の場合は。今回は写真も撮れたので(普通、博物館はダメ)少し記憶に残ったものを3つ紹介します。
スリランカはシンハラ人とタミル人との抗争で私には強く印象付けられています。入り口にこのような掲示がありました。左からシンハラ語、タミル語(注)、英語です。見にくいので拡大してみてください。当たり前のことですがシンハラ語とタミル語が併記されているのでなんとなくほっとしました。シンハラ語とタミル語はもちろん公用語ですが英語も第二公用語的な位置にあるようです。日本から英語留学に行く人もいるようです。
(注)大野晋氏はタミル人が日本に来てタミル語が日本語の起源になったという学説をとなえています。
違ったもう一人の男性がココナツ椰子の実を持って現れ、目の前で穴を開け飲むように勧めてくれました。この海岸に流れ着いた椰子の実であったようです。私は頂きながらロマンチック?な気分で柳田國男が伊良湖岬で出会った椰子の実をヒントに島崎藤村が作詞した「椰子の実一つ」、そして柳田國男自身の名著「海上の道」を思い出していました。
瞬間、現実に引き戻されました。そうです、お金です。彼らは50ドルを要求してきました。かなり長い間やり取りがあり、私が警察を呼ぶなどわめきながら10ドルで手打ちをしました。その後、お前は一人で来ているのかと尋ねるので、そうだと答えると(以下省略、皆さんの妄想に任せます。妄想はコメントに歓迎)
この件の表題を「ポン引き?」ではなく「ホスピタリティ?or ポン引き?」とすべきであったと今、反省しています。
“Sahara”さんコメントありがとうございました。推測は当たりましたか。この後も考えてください。今後ともよろしく。
スリランカには夜到着しホテルはコロンボ(注1)近郊のワッタラにありました。ホテルは海岸線にあり早朝浜辺を散歩しました。写真は浜辺から朝霧に浮かぶ幻想的なコロンボです。その時現地の一人の男性が近づいてきて「あなたの現地ガイドは誰か」(注2)と尋ねたので「サラさん」と答えました。すると「彼は私の友達だ」と言い、続けて「日本のウニは高い、スリランカのウニは安い。ここは俺のfarmだ」と言いながら(次ペイジへ)
(注1)「コロンボ」は現地発音では{カランボ}です。
(注2)会話は片言の日本語と片言の英語のちゃんぽんです。