あの事件について、北海道の内田さんが、北海道民放クラブのHPに、書いていました。
あの事件とは、『 会員寄稿文 「草原の放送局」 内田 昭憲2011年5月~2014年8月掲載 』に掲載されています。
これを知ったのは、年賀状を読み返していたら、内田ご夫妻から来た賀状を手にして知ったのです。
忘れていたというより、知らなかったことにしたかったというのが、その時の私の心模様だと思います。
今日になって、文字をちゃんと感知し、さっそくHP検索をして、記事もすんなりと読み通せたので、私のモンゴルとの格闘は終わったなぁと、大げさでなく感じました。
そして、今日、ウランバートルで、その時もご一緒だった方が、再び日本語教師として、再訪されたニュースが届きました。
さらにダメ押しで、キーワードに対する忌避感がなくて、ごく普通な反応をしていました。
内田さんの記事をきっかけに、さらに明るく軽やかになっているのを発見。
そして、不思議なことに、この8年間、オルティンドーへの忌避感がなかったことに、気づきました。なんでだろうねぇ。
忌避感を抱いていたのは、幻だったのか、はたまた、ほかの理由だったのか。
いずれにしても、負の感情が一掃されたことに、乾杯だ。
チンゲル亭は、いま、こんな様子なんだろうなぁ。マイナス15度からマイナス20度くらいだろう。
歩くのは、15分くらいまで、口で息をすると肺が凍るので、マフラーでぐるぐる巻きにして、必ず鼻で呼吸をしたよねぇ。雪が積もらないから、道路はアイスバーンだ。
歩くとペンギン歩きになったよねぇ。
懐かしく思いだすことができた。