勝鬨橋の第一生命ホールで、UR都市機構の主催で「都市(まち)に住む。人が輝く都市づくり、住まいづくりを目指して」が開かれて、基調講演「都市・次世代に継ぐ環境」をたけしのお兄さん北野大教授が行った。
工業化学専攻の工学博士で、淑徳大学コミュニケーション学部の教授だが、血は争えない、たけしの様にユーモアがあって面白い講義であった。
元住宅公団の招きだからと言うわけではなかろうが、食寝分離、即ち、食事をしていた茶の間で食卓を片付けてフトンを敷いて寝ていた生活空間を、DKと寝室に分けた画期的な2DK,3LDKの公団住宅生活から話を始めた。
全員中流生活のハシリとも言うべきサラリーマン憧れの文化生活、それが、公団住宅に住むことであった、そんな時代が確かにあって、私自身も、海外へ転勤するまでは、社宅を嫌って大阪と埼玉で公団住宅のお世話になったことがある。
次に話題は、安心安全、そして、生活の利便性を求めての都市回帰に移った。シニアが、子育てで住んでいた郊外の広い住宅から都心のマンションへの住み替えが始まっていると言うのである。
住空間が狭くなるので、来客があってもお茶だけで、泊めない、とにかく、シンプルライフに徹するのだと言う。
しかし、最近の調査で、2007年から始まる現役引退の団塊の世代に聞くと、過半数が引退後は田舎での生活を希望していると言う。
それに、シニアの雑誌「日経マスターズ」がトカイナカと言う特集を組んだ。
トカイナカと言うのは、例えば、筑波のような所で、田舎の生活を満喫できるが、一時間半程度で、何時でも都心に出かけて友人に会ったり観劇したり、とにかく簡単に都市へのアプローチが出来る都会に交通至便の田舎と言うことである。
ところが、良く考えてみれば、相当多くの郊外の一戸建てに住んで都心に通勤していた人々は、このトカイナカと似たり寄ったりの所に住んでいて少しも変わらないのではなかろうか。
ところで、北野教授は、今後の最大の問題は人口問題で、19世紀が10億から16億に、20世紀は16億から60億に人口が増えて、人類は、資源の枯渇性と気候を人為的に変更、即ち、温暖化を認識するに至った、と言う。
過密化、工業化(公害)等によって、自然の自浄作用をオーバーするほど環境を破壊して仕舞っており、今後の都市づくりには、共生、循環、太陽がキイワードであり、中水の再生やモノの所有ではなく利用に視点を移すなどの心がけが大切である。
街の真ん中に鎮守の杜のような精神的に求心力のあるものを作ることが、都市づくりには必要であろう、と言う。
パネルディスカッションに参加していたアグネス・チャンが、都市づくりについて、Together, Child First, Move onを提案していた。
老若男女を問わず誰もが群れ集まれる場所、子供を最優先にする空間、何時でも移住したくなるような所、と言うことであるが、住環境への上昇志向の前に昔懐かしい隣近所が家族のように親しく生活していたコミュニティの形成であろうか。
大使や一等書記官でスイスやスエーデンに駐在していた藤井威氏が、何故、ヨーロッパの街があんなにも美しいのかと言って、それは、人々が子孫に残したいような、即ち、Susteinable持続可能な街を作ろうとするからだと言っていた。
日本の住宅だって昔はもっと立派で美しかった。
政府が、いい加減な建築基準を設定して業者を野放しにし、外国からの住宅輸入を制限し、その上に、土地代が無茶苦茶に高すぎたから立派に出来なかっただけである。
私は、ヨーロッパにもアメリカにも美しくて素晴しい住環境もあれば、どうしようもない貧しいスラム街があることも知っている。
しかし、中世がそのまま残っていてみんなが今でも住んでいるような古い街並みは、間違いなしに、人間の豊かな生活の営みが残っていて、実に素晴しい生活環境を作り出している。
イタリアにも、スペインにも、フランスにも、ドイツにも、オランダにも、勿論イギリスにもあって、大きな都市でなくても、小さな田舎町でも、町には人がつどい集まる中心がある。
そんな街の中央には、教会とシティホール(ラートハウス、市庁舎)を中心に広場があり、人々の集い集まる空間があるのである。
シティホールや教会の地下には、ビアホールや居酒屋があり、休日には、広場でバザールが開かれ、大道芸人が取って置きの芸を披露している。
北野先生の言う鎮守の杜もそんなモノかも知れない。
工業化学専攻の工学博士で、淑徳大学コミュニケーション学部の教授だが、血は争えない、たけしの様にユーモアがあって面白い講義であった。
元住宅公団の招きだからと言うわけではなかろうが、食寝分離、即ち、食事をしていた茶の間で食卓を片付けてフトンを敷いて寝ていた生活空間を、DKと寝室に分けた画期的な2DK,3LDKの公団住宅生活から話を始めた。
全員中流生活のハシリとも言うべきサラリーマン憧れの文化生活、それが、公団住宅に住むことであった、そんな時代が確かにあって、私自身も、海外へ転勤するまでは、社宅を嫌って大阪と埼玉で公団住宅のお世話になったことがある。
次に話題は、安心安全、そして、生活の利便性を求めての都市回帰に移った。シニアが、子育てで住んでいた郊外の広い住宅から都心のマンションへの住み替えが始まっていると言うのである。
住空間が狭くなるので、来客があってもお茶だけで、泊めない、とにかく、シンプルライフに徹するのだと言う。
しかし、最近の調査で、2007年から始まる現役引退の団塊の世代に聞くと、過半数が引退後は田舎での生活を希望していると言う。
それに、シニアの雑誌「日経マスターズ」がトカイナカと言う特集を組んだ。
トカイナカと言うのは、例えば、筑波のような所で、田舎の生活を満喫できるが、一時間半程度で、何時でも都心に出かけて友人に会ったり観劇したり、とにかく簡単に都市へのアプローチが出来る都会に交通至便の田舎と言うことである。
ところが、良く考えてみれば、相当多くの郊外の一戸建てに住んで都心に通勤していた人々は、このトカイナカと似たり寄ったりの所に住んでいて少しも変わらないのではなかろうか。
ところで、北野教授は、今後の最大の問題は人口問題で、19世紀が10億から16億に、20世紀は16億から60億に人口が増えて、人類は、資源の枯渇性と気候を人為的に変更、即ち、温暖化を認識するに至った、と言う。
過密化、工業化(公害)等によって、自然の自浄作用をオーバーするほど環境を破壊して仕舞っており、今後の都市づくりには、共生、循環、太陽がキイワードであり、中水の再生やモノの所有ではなく利用に視点を移すなどの心がけが大切である。
街の真ん中に鎮守の杜のような精神的に求心力のあるものを作ることが、都市づくりには必要であろう、と言う。
パネルディスカッションに参加していたアグネス・チャンが、都市づくりについて、Together, Child First, Move onを提案していた。
老若男女を問わず誰もが群れ集まれる場所、子供を最優先にする空間、何時でも移住したくなるような所、と言うことであるが、住環境への上昇志向の前に昔懐かしい隣近所が家族のように親しく生活していたコミュニティの形成であろうか。
大使や一等書記官でスイスやスエーデンに駐在していた藤井威氏が、何故、ヨーロッパの街があんなにも美しいのかと言って、それは、人々が子孫に残したいような、即ち、Susteinable持続可能な街を作ろうとするからだと言っていた。
日本の住宅だって昔はもっと立派で美しかった。
政府が、いい加減な建築基準を設定して業者を野放しにし、外国からの住宅輸入を制限し、その上に、土地代が無茶苦茶に高すぎたから立派に出来なかっただけである。
私は、ヨーロッパにもアメリカにも美しくて素晴しい住環境もあれば、どうしようもない貧しいスラム街があることも知っている。
しかし、中世がそのまま残っていてみんなが今でも住んでいるような古い街並みは、間違いなしに、人間の豊かな生活の営みが残っていて、実に素晴しい生活環境を作り出している。
イタリアにも、スペインにも、フランスにも、ドイツにも、オランダにも、勿論イギリスにもあって、大きな都市でなくても、小さな田舎町でも、町には人がつどい集まる中心がある。
そんな街の中央には、教会とシティホール(ラートハウス、市庁舎)を中心に広場があり、人々の集い集まる空間があるのである。
シティホールや教会の地下には、ビアホールや居酒屋があり、休日には、広場でバザールが開かれ、大道芸人が取って置きの芸を披露している。
北野先生の言う鎮守の杜もそんなモノかも知れない。