熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

いけばな小笠原流展・・・花の饗宴

2006年03月21日 | 展覧会・展示会
   日本橋高島屋で、「いけばな小笠原流展 盛花―いま・そして―moribana from now on」を見た。
   一門の関係者と一般客で大変な賑わいで、小形デジカメで写真を撮ろうとしたがままならず、結局、予定のセミナー聴講に遅れてしまったが、一挙に沢山の華麗な花の饗宴に圧倒されてしまったのが正直なところである。

   小笠原流は、19世紀末に、小原雲心によって創始された盛花と言う新形式のいけばな。
   水盤や剣山を使って「盛る」ように花を展開させるもので、それまでの花の線の動きを主とした様式に比べて、面的な広がりを強調するのが特徴だと言うことであるが、とにかく、豪快な盛花あり、清楚で極めてシンプルないけばなありで、そのバリエーションは凄い。
   それに、花と言っても身近にある花だけではなく南国の極めて珍しい花や果実、それに、木の根っこや鳥の羽、色々な素材がいけばなを構成しており、家元の大作など巨大な空洞のある大木を転がした意表をついた創作である。

   私自身は、いけばなに全く知識も教養もなく、花が好きなだけで、それに、椿がどのように生けられているのかを見たいと思って展示会に出かけたのである。
   椿は、今の季節の花であるが、殆ど使われておらず、椿の輝く緑の葉だけがバックとして使用されている例が多かった。
   口絵のいけばなは、赤い薔薇とピンクの乙女椿をミックスした盛花で、洋と和が上手く調和していて面白かった。
   加茂本阿弥の白花が豪華な中国の玉の花瓶に一輪挿された茶花スタイルのいけばながあったが、これも小笠原流かと思って見ていた。
   漆塗りの容器やひょうたん型の鉢に挿された椿など何点か椿の盛花があったが、いずれも蕾が主体で、四海波、岩根絞と言った大輪系だが華やかさに欠ける為に主役になれないのかも知れない。
   もっとも、1作品だけ椿主体の盛花があった。下方の水盤近くには開花した   椿が何種類か華やかに生けられていて、その上にすっくと長い枝が1メートルほど立ち上がってその先に椿の花がある、そんな作品である。
   しかし、椿はやはり落着いたお寺の茶花に似合うのか、残念ながら、周りの極彩色の派手な花に圧倒されて良さが目立たない。
   
   何年か前に、三越で、最近惜しくも亡くなられた安達曈子さんの椿を主体としたいけばな展を見たが、青竹をふんだんに使った豪快と言うかシンプルと言うか、とにかく、生きた椿を前面に舞台に押し出した素晴しい表現に感動したことを思い出す。
   茶花の雰囲気に近い一輪挿しや花びらだけを水盤様の容器に浮かせただけの椿など、この小笠原流の対極にあるような感じのものが多かったように思うが、父君が椿が好きで屋敷に一杯の椿が植えられていて、謂わば椿屋敷で育ったようなものであるから椿には特別の思い入れがあったのであろう。

   昔、奈良の尼寺である法華寺を訪れた時、仏前に小さな容器に色々な椿の花だけが一輪ずつ浮かせて並べられていたのを思い出した。
   庵主さんに仏様を荘厳するためだと伺ったような記憶がある。
普通、茶花などには蕾の椿が使われているが、花が開いて一番美しい状態の椿を愛でるには、これが最も良い方法かも知れないと思った。
   椿の花の難点は、とにかく、花が開けばすぐに首から落ちてしまうこと。

   暖かくなって来たので、庭の椿が一挙に花を開き始めた。
   微かに芳香を漂わせる「港の曙」が咲き乱れている。
   もう本格的な春である。
コメント (1)
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