熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ロシア版シェイクスピア「マクベス」・・・ベリャコーヴィッチの悲劇

2006年03月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   天王洲アイルの「アートスファア」で演じられたロシアのユーゴザーパド劇場の「マクベス」を観劇した。
   以前に「ハムレット」を観ているので2回目だが、イメージとしては、RSCやロイヤル・シアター、グローブ座等のイギリスのシェイクスピアと雰囲気が大分違う。
   しかし、演出意図は非常に明快で、スピード感のあるテンションの高い舞台で、魔女のアクションを際立たせており、魔女に運命を翻弄されて破滅して行くマクベス夫妻をぐいぐい追い込んで行く迫力は凄い。

   やはり最初は、ロシア語の響に違和感を感じたのであるが、団長で演出家のワレリー・ベリャコーヴィッチは、英語も良く分かるので翻訳は全く問題がないと言う。
字幕が舞台の両翼にディスプレィされていたが、ロシア語からの訳で小田島雄志訳を参照だと言うが少し違う。
   昔、NHKのフランス語講座の美しくてチャーミングな先生が、パリのレストランで会食した時、フランス語より英語の方が美しいと言っていたが、本当かどうか、しかし、難しいけれど、慣れると英国人の役者が喋る長いシェイクスピア戯曲の台詞の響は実に素晴しい。

   今回、終演後にトークセッションが持たれて、演出のワレリー・ベリャコーヴィッチ、途中からマクベスのワレリー・アファナシェフ、マクベス夫人のイリーナ・ボチェリシヴィリが出てきて非常に興味深い話を語ってくれた。
   
   舞台だが、正面に4本のポールが横に等間隔に並んでいて、その各々にくるくる回る一枚の金属製回転ドアがついている、ただそれだけである。
2枚合わせないと閉まらないので、ポールの間隔はドア2枚分である。
この金属製の板が壁にもなり、役者達の出入り口にもなるのだが、このドアをくるくる回転させながら舞台が展開する。
   人生も舞台も同じで、このように魔女に操られてくるくる回っているのだと言うことである。

   この劇団は、舞台セットは最小限に止めて、音楽と照明で効果を出し、役者の芸と舞台衣装で魅せるところに特色があるようだが、イギリスの舞台以上にシンプルである。
   今回、刀を役者に持たせず戦いの場を演じさせていたが、ハムレットの舞台でも、実際に役者にグラスを持たさずに乾杯をさせて観客のイマジネーションを引き起こすのだとベリャコーヴィッチは言っていた。

   トークセッションの最後で、科学の進歩で舞台芸術の技術が進みすぎて、本来のシェイクスピアが意図した舞台から遠ざかっているのではないかと質問してみた。
   即ち、シェイクスピアの頃の劇場は、例えば、ロンドンのブローブ座の様に青天井で日がカンカン照り付けている下でハムレットの漆黒の闇の場を演じていて、シェイクスピアは観るのではなく聴くのだと言われていた。素晴しいシェイクスピアの戯曲は、役者の台詞と歌で聞かせて観客を魅了していたのである。
   ところが、最近は、近代技術を駆使して音や光、舞台装置等舞台効果にウツツをぬかして、シェイクスピア戯曲本来の素晴しい台詞や役者の語り口や芸を軽視する演出者が多くなった、どう思うかと言うことであった。
   
   ベリャコーヴィッチの答えは単純明快であった。
   自分の舞台は、ヴェローナの街頭でも、何処で演じても良いのだ。音楽や照明を全部なくして、役者の芸だけで演じても全く問題がない。役者次第だ、と言うことであった。
   ひょうきんな表情に似合わず、凄い自信と誇りである。

   モスクワの本拠地の劇場は、この小さなアートスフィアの5分の1くらいらしい。劇場の大きさが変わったらどう対応するのかと聞かれて、アクションや声量を加減して適当にアジャストするのだと言っていた。
   元々、貧しくて工夫に工夫を重ねて役者の芸で魅せてきた劇団である、小手先の手練手管など元より縁のない世界なのであろう。
   それに、自分がやりたい役が演じられなかったので演出家になったのだと言っていたが、蜷川幸雄に一寸似ている。
もっとも、ベリャコーヴィッチの方は、まだ、自分が主役を演じられる立派な役者だと思っているところが違う。

   ところで、このマクベスの舞台で特記すべきは、3人の魔女の演出である。
   上半身裸の3人の男が仮面を後頭部につけて、舞台の殆どを後ろ向きで手と背中の筋肉の表情を中心に演じることである。
昔、バレーで魔女を男にした演出があり面白いと思って取り入れたと言うが、本来は、ヨーロッパ特有の魔女伝説さえ無視すれば、人間の運命を翻弄するのは男でも女でも良いと言うことであろう。
   この魔女は、後半のマクベスの最後の運命の予言「女から生まれたものには殺されない・バーナムの森が動かなければ負けない」と語る時だけ正面を向いて白塗りの素顔を見せる。

   アファナシェフだが、感情の起伏を際立たせて重厚なマクベスを演じており、苦痛に耐えられなくなると舞台をのたうつ。大劇場ゴーリキーでトップスターの一人だったがベリャコーヴィッチの魅力に惹かれて20年供にしていると言うベテラン、オペラのレイフェルカスに似た渋い役者である。
   イリーナ・ボチョリシヴィリだが、マクベスにダンカン王の殺害をそそのかす悪女の貫禄、そして、罪に耐えかねて狂乱するマクベス夫人の迫力はさすがロシアの女優。
衣装担当だと言うが、舞台とは違って、実際の素顔は一番日本語を上手く操っていて栗色がかった金髪の、思ったより若い快活な女優である。

   マルコム、バンクォーなどバックを固める役者も上手いが、黒ずくめの衣装を着けたロシア人役者の激しい演技は、一寸した恐怖で威圧感十分である。

   シェイクスピアは、人類共通のトピックスを戯曲にしているので、全く違和感がないと言うが、夫々主題の感じ方が民族の歴史や伝統を色濃く引き摺っていて、やはり、ベリャコーヴィッチの演出もロシアの民族性を反映した演出のように感じた。
   例えば、ダンカン王殺害の後、恐怖に慄くマクベス夫妻が激しく交合する場面など。
   いずれにしろ、新鮮かつ刺激的な舞台で面白かった。
   観客は、若い芸術家や芸術を専攻している感じの学生、学者風のシニア、西洋芝居好きの趣味人、全体的に地味で物静かな大人しい感じの人が多かった。
   同じシェイクスピアの舞台でも、RSCや蜷川と舞台によって観客の雰囲気が違うのが面白い。
   このアートスフィアは、東京グローブ座と同じ様にシェイクスピア劇場としては素晴しい。

   NHKのハイヴィジョンカメラが4台放列を敷いていた。7月9日の放映だと言う。
コメント
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