熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

養老孟司教授・感性豊かな感覚を失った現代人を憂う

2006年03月24日 | 政治・経済・社会
   今、ビッグサイトで、「フォト イメージング エキスポ 2006 PHOTO IMAGING EXPO 2006」が開催されていて、写真と影像関係の人々で賑わっている。
   私自身、展示そのものにも興味はあったが、養老孟司教授と月尾嘉男氏の講演を聞きたくて出かけて行った。

   養老教授の演題は、「脳と映像の地形図」。
   養老教授の著書は何冊か持っているが、まだ全く読んでいないので、興味を持って聴いていたが、やはり、自分にはない視点からの話で、非常に興味深く聞かせて貰った。

   NHKの社是である「公平客観中立」と言うのは、全くおかしいと言うことから話が始まった。
   一つのものを見る場合でも、位置が違えば全く違って見える筈で、NHKのカメラの映像は一個人の見た視点からの全く個人的な映像であって公平客観中立である筈がないと言うのである。
   
   万物は流転、諸行無常、とにかく、この世の中には同じものは全くなくて、それを感じる人間の感覚は個々に全く違う。
   しかし、人間の脳に入り概念となれば同じになる。

   動物は、感覚の世界に生きているので言葉が分からない。
   人間も赤ちゃんの時には、絶対音感があり音の区別が出来ていたが、3歳以降退化して違いが分からなくなって音痴になった。
   その代償として言葉を生み出したのであるが、幸せなことであったのであろうか。

   文明人は、感覚が鈍って違いが分からなくなり、モノが見えなくなってしまった集団である。
   現代人は、感覚をひたすら無視する社会を作ってきたのである。
   しかし、この違いが分かる人間の感覚、これが、人間にとって極めて重要なのである。

   文明は、総てを同じにすることが得意であり、情報は、正に固定して止まり変わらなくなってしまったものである。
   この情報社会文明に毒された人間は、何をして良いのか分からなくなって生きがいをなくしてしまった、謂わば、死んだも同然である。
   没個性の現代人が、個性、個性と言うのは全くおかしい、と教授は言う。

   縄文時代の人間の食生活は現代人より遥かに豊かで、食材も多岐に亘っていた。アフリカの原住民は、視力が5で遠くの動物を見分けられるが、文明社会の人間の目は1前後。文明生活によって豊かな五感が退化してしまって、違いが分かる感覚をドンドン失って行く。

   人間性を回復した精神的に豊かな生活をするためには、違いが分かるような生活、即ち、画一的な文明生活に毒されない感覚を研ぎ澄ました、豊かな自然に触れた生活を心がけなければならない、と言うことであろうか。
   何もないコンクリートジャングルのビッグサイトなど全く嫌いで用がなければ来ないと言う。

   人間の脳に入る感覚の半分近くは目から入るようであるが、映像を語ることによって養老教授は、文明社会の発展によって如何に人間本来の幸せが毒されて行くのかを伝えたかったのであろう。

   選択肢がドンドン少なくなって狭められて行き、豊かな感性を失いつつ個性を消失して行く文明人、エコシステムが崩壊して宇宙船地球号が危うくなる前に、恐竜の様に滅び去って行くのかも知れない。
   違いの分かるオトコ(人間)であり続けなければならない、と言うことであろう。

   

   
   
コメント
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