来週、ニューヨークのメトロポリタン・オペラが来日して、東京で、ワーグナー「ワルキューレ」、ヴェルディ「椿姫」モーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」を公演する。
日本に来る時は、ニューヨークの本拠地における公演よりもソリストにスターが揃って充実している場合が多いので楽しめる。
しかし、いくら引っ越し公演だからと言っても最上席が64,000円(600ドル)だからMETの約3倍、3演目のチケットを買えばほぼ新入社員の初任給が跳ぶのだから安いとは言えない。
「ワルキューレ」は、一昨年メットでギルギエフの指揮で観たが同じ歌手はドミンゴとフリッカのイヴォンヌ・ナエフだけで、あの時は、ロシアの歌手が幅を利かせていたが、今回は、雰囲気が違うので楽しみでもある。
ヴォータンのジェームス・モリスも久しぶりである。
ジェームス・レヴァインが来られなくなったのが一寸残念であるが、イギリスで御馴染みだったサー・アンドリュー・ディヴィスが代わりに振る。
もう一つは、椿姫だが、昨年ロンドンのコベントガーデンで、ヴィオレッタを歌うルネ・フレミングのデズデモーナと、ジェルモンを歌うディミトリー・ホロストフスキーのリゴレットを観たので、期待が大きい。
もう一度、その時、ルネ・フレミングにサインしてもらった自伝「THE INNER VOICE」を読もうと思っている。
フレミングのボリュームのある素晴しい美声がどのようにヴィオレッタの陰の姿に投影されるのか期待している。
私は、ロンドンのロイヤル・オペラには、在英中に良く通ったが、他の劇場で比較的楽しんだのはメトロポリタン歌劇場かもしれない。
1972年から1985年までの留学中とサンパウロ駐在中の日本への行き帰りや日本からのニューヨークへの出張途中、そして、久しぶりに一昨年、と言った所だが、出張中でも夜の会食を断ってMETに行ったのだから、可なり回数は重ねている。
フィラデルフィアからは、泊りがけで行くこともあったが、朝汽車で出て翌朝早く帰ると言ったこともした。
なにしろ学生の身であったので、学割の安い往復切符を買ってフィラデルフィアからアムトラックでペンセントラル・ニューヨーク駅に行き、駅前のギリシャレストランで夕食代わりにスブラキにかぶりついてメトロに乗ってMETに行く。
舞台の跳ねるのは夜の11時以降、場合によっては深夜となるが、治安の悪い地下鉄でビクビクしながら再びペンセントラル駅へ行ってアムトラックに乗る。
深夜以降の鈍行は遅いので、フィラデルフィアに着くのは朝に近い深夜となるが、タクシーは危ないので3キロ程の真っ暗な道を必死で歩いて学生寮に帰る。
兎に角、怪しい人間に遭遇すれば万事休す、そんな思いをしながらも、METの正面に煌々と輝く青と赤の鮮やかなシャガールの壁画の誘惑に誘われてメトロポリタン歌劇場に通っていたのである。
ブロードウエイのミュージカルにも同じ様に通った。「王様と私」でユル・ブリンナーを、「マイ・フェア・レディ」でレックス・ハリソンを観たのもその頃である。
この9月からのシーズンが、今のリンカーンセンターに移ってから40周年だと言うから、私の場合は、ずっと昔のことなのである。
確かに、カール・ベームの「薔薇の騎士」やアンナ・モッフォの「パリアッチ」のネッダ、フランコ・コレルリの「トーランドット」のカラフ等を観ているのだから古いはずである。
METのシーズンは、5月20日の「VOLPE GALA」、前のゼネラルマネージャー・ヨーゼフ・ヴォルピーの送別特別公演で終わっている。
ドミンゴやフレミング、それに、パバロッティ、フレーニやキリ・テ・カナワ、フレデリカ・フォン・シュターデ等懐かしい歌手も含めて多くの歌手が集合したと言う。
今のMETは、バレー・シーズンで、シンデレラ、ジゼル、マノン、スワンレイクなどの華麗な舞台が繰り広げられている。
若い時には、ロイヤル・バレーも含めてバレーにはよく行って美しい舞台を楽しんだが、声のない歌わないのが寂しくて止めてしまった。
METの新しいシーズンは、9月25日に、ロンドンで囃されたミンゲラの「蝶々夫人」で幕開けとか。ジェームス・レヴァインが、初めてマダム・バタフライを振ると言う。
タイトル・ロールは、クリスティーナ・ガラード・トマス・アントニー。
このシーズンは、ニュープロダクションが6演目で、リバイバルは18演目、新ゼネラルマネージャーのピーター・ゲルブの選定か、ニューヨーク・ファンの希望か、ヴェルディやプッチーニなどのベルカントのイタリア・オペラが多い。
METのホームページをあけると演目の紹介ページにCDのさわりが聞けてパバロッティの歌声が聴けるのが面白い。
日本に来る時は、ニューヨークの本拠地における公演よりもソリストにスターが揃って充実している場合が多いので楽しめる。
しかし、いくら引っ越し公演だからと言っても最上席が64,000円(600ドル)だからMETの約3倍、3演目のチケットを買えばほぼ新入社員の初任給が跳ぶのだから安いとは言えない。
「ワルキューレ」は、一昨年メットでギルギエフの指揮で観たが同じ歌手はドミンゴとフリッカのイヴォンヌ・ナエフだけで、あの時は、ロシアの歌手が幅を利かせていたが、今回は、雰囲気が違うので楽しみでもある。
ヴォータンのジェームス・モリスも久しぶりである。
ジェームス・レヴァインが来られなくなったのが一寸残念であるが、イギリスで御馴染みだったサー・アンドリュー・ディヴィスが代わりに振る。
もう一つは、椿姫だが、昨年ロンドンのコベントガーデンで、ヴィオレッタを歌うルネ・フレミングのデズデモーナと、ジェルモンを歌うディミトリー・ホロストフスキーのリゴレットを観たので、期待が大きい。
もう一度、その時、ルネ・フレミングにサインしてもらった自伝「THE INNER VOICE」を読もうと思っている。
フレミングのボリュームのある素晴しい美声がどのようにヴィオレッタの陰の姿に投影されるのか期待している。
私は、ロンドンのロイヤル・オペラには、在英中に良く通ったが、他の劇場で比較的楽しんだのはメトロポリタン歌劇場かもしれない。
1972年から1985年までの留学中とサンパウロ駐在中の日本への行き帰りや日本からのニューヨークへの出張途中、そして、久しぶりに一昨年、と言った所だが、出張中でも夜の会食を断ってMETに行ったのだから、可なり回数は重ねている。
フィラデルフィアからは、泊りがけで行くこともあったが、朝汽車で出て翌朝早く帰ると言ったこともした。
なにしろ学生の身であったので、学割の安い往復切符を買ってフィラデルフィアからアムトラックでペンセントラル・ニューヨーク駅に行き、駅前のギリシャレストランで夕食代わりにスブラキにかぶりついてメトロに乗ってMETに行く。
舞台の跳ねるのは夜の11時以降、場合によっては深夜となるが、治安の悪い地下鉄でビクビクしながら再びペンセントラル駅へ行ってアムトラックに乗る。
深夜以降の鈍行は遅いので、フィラデルフィアに着くのは朝に近い深夜となるが、タクシーは危ないので3キロ程の真っ暗な道を必死で歩いて学生寮に帰る。
兎に角、怪しい人間に遭遇すれば万事休す、そんな思いをしながらも、METの正面に煌々と輝く青と赤の鮮やかなシャガールの壁画の誘惑に誘われてメトロポリタン歌劇場に通っていたのである。
ブロードウエイのミュージカルにも同じ様に通った。「王様と私」でユル・ブリンナーを、「マイ・フェア・レディ」でレックス・ハリソンを観たのもその頃である。
この9月からのシーズンが、今のリンカーンセンターに移ってから40周年だと言うから、私の場合は、ずっと昔のことなのである。
確かに、カール・ベームの「薔薇の騎士」やアンナ・モッフォの「パリアッチ」のネッダ、フランコ・コレルリの「トーランドット」のカラフ等を観ているのだから古いはずである。
METのシーズンは、5月20日の「VOLPE GALA」、前のゼネラルマネージャー・ヨーゼフ・ヴォルピーの送別特別公演で終わっている。
ドミンゴやフレミング、それに、パバロッティ、フレーニやキリ・テ・カナワ、フレデリカ・フォン・シュターデ等懐かしい歌手も含めて多くの歌手が集合したと言う。
今のMETは、バレー・シーズンで、シンデレラ、ジゼル、マノン、スワンレイクなどの華麗な舞台が繰り広げられている。
若い時には、ロイヤル・バレーも含めてバレーにはよく行って美しい舞台を楽しんだが、声のない歌わないのが寂しくて止めてしまった。
METの新しいシーズンは、9月25日に、ロンドンで囃されたミンゲラの「蝶々夫人」で幕開けとか。ジェームス・レヴァインが、初めてマダム・バタフライを振ると言う。
タイトル・ロールは、クリスティーナ・ガラード・トマス・アントニー。
このシーズンは、ニュープロダクションが6演目で、リバイバルは18演目、新ゼネラルマネージャーのピーター・ゲルブの選定か、ニューヨーク・ファンの希望か、ヴェルディやプッチーニなどのベルカントのイタリア・オペラが多い。
METのホームページをあけると演目の紹介ページにCDのさわりが聞けてパバロッティの歌声が聴けるのが面白い。